2017/10/22

鈴木春信展

千葉市美術館で開催中の『ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信』を観てまいりました。

錦絵創始期を代表する浮世絵師・鈴木春信。同じ千葉市美術館で昨年開催された『初期浮世絵展』の最後の章に登場するのが鈴木春信だったように、春信の時代から浮世絵は色彩豊かな錦絵に大きく発展していきます。

本展は、海外の浮世絵コレクションとしては質・量ともに最大級のボストン美術館が所蔵する春信作品を中心に約150点で構成(一部、千葉市美術館所蔵作品の展示もあり)。春信の浮世絵は実にその8割以上が海外にあるのだそうです。今回初めて展覧会に出品される作品も多く、貴重な春信作品が観られるまたとない機会です。

春信の浮世絵というと、細身の可憐な美人画や、中性的な表情の若い男女の色恋といったイメージがありますが、洒落っ気のある見立絵ややつし絵、洗練された江戸風俗を描いた作品もとても多くて、春信の表現力の豊かさに魅了されます。


会場の構成は以下のとおりです:
Prologue 春信を育んだ時代と初期の作品
Chapter 1 絵暦交換会の流行と錦絵の誕生
Chapter 2 絵を読む楽しみ
Chapter 3 江戸の恋人たち
Chapter 4 日常を愛おしむ
Chapter 5 江戸の今を描く
Epilogue 春信を慕う

鈴木春信 「風流やつし七小町 かよひ」
宝暦(1751-64)末期

まずは延享(1744-48)から宝暦(1751-64)にかけての奥村政信や石川豊信など春信の一世代前の浮世絵が展示されています。この頃は墨摺絵に紅や緑などの色版を重ねただけの紅摺絵が普及した時代。まだ技術も発達していないので構図もシンプルですが、宝暦年間のものになると、工夫もされてきて同じ紅摺絵でも色数が増えてきます。

まだ駆け出しの春信は細判の役者絵をよく手掛けていたようです。春信は浮世絵の技術を誰に学んだのか謎の部分も多いのですが、役者絵については役者絵で人気の鳥居清満の影響が指摘されています。「風流やつし七小町 かよひ」は春信の紅摺絵時代の作品。春信らしい女性のスタイルがこの頃完成されたと解説されていました。

鈴木春信 「座鋪八景 鏡台の秋月」
明和3年(1766)頃

鈴木春信 「風流江戸八景 駒形秋月」
明和5年(1768)頃

今回、春信の作品をあらためて観て、“見立て絵”や“やつし絵”というものがとても多いのに気づきます。“見立て絵”も“やつし絵”も古典的な題材や歴史上の出来事・人物を当世風に見立てて描いたものをいいますが、“やつし絵”は“やつす”という言葉から連想されるように、ちょっと俗っぽく描いたものを指したりします。ある程度の古典や歴史の教養、ウィットや趣向を楽しむ知的さが必要なわけで、このあたりに当時の江戸の人々のエスプリを感じます。

「座敷八景」は中国画の伝統的な画題である「瀟湘八景」を座敷の風景に見立てたシリーズ。展示されていた「鏡台の秋月」は「瀟湘八景」の「洞庭秋月」にあたりますが、洞庭湖も満月も描かれていません。実は鏡台の鏡を満月に、着物の波千鳥を湖に見立てているわけですが、その遊び心というか、なんて洒落てるんだろうと驚きます。

「風流江戸八景 駒形秋月」も 同じ「洞庭秋月」を見立てたもの。隅田川を洞庭湖に見立ててるわけですが、女性の着物が秋ではなく梅の文様だったりするのはなぜでしょう。それにしても春信の描く女性と若衆は判別がしずらい。この若衆は髪型や帯でそれと分かるけど、若衆でも着飾ってたり振袖姿だったりすることもあるので混乱します。

鈴木春信 「見立三夕 西行法師」
明和3〜4年(1766-1777)頃

こちらの左は若衆。オシャレな振袖に身を包み、三味線を手にし、おそらく色子(男娼)だと分かります。西行の<心なき身にもあはれは知られけり しぎたつ沢の秋の夕ぐれ>を見立てています。

鈴木春信 「見立玉虫 屋島の合戦」
明和3〜4年(1766-67)頃

鈴木春信 「山吹の枝を差し出す娘(見立山吹の里)」
明和3〜4年(1766-67)頃

「見立玉虫 屋島の合戦」は源平の屋島の戦いを当世風に描いたもの。対になった作品(千葉市美の所蔵品)には弓矢を持った若衆が描かれていて、那須与一が扇の的を射抜く場面を見立てたもので、女性が玉虫御前だと分かります。矢には恋文と思われる矢文が付いていたり、着物の柄も帆掛け船になっていたり、那須与一に見立てた若衆のそばには茄子畑が描かれていたり、いろいろ気付きだすととても面白い。

「山吹の枝を差し出す娘」は江戸の人なら誰でも知っていただろう太田道灌のエピソードを描いたもの。玄関が縄暖簾なので、店先なのでしょう。「ごめんなさい、今日は品切れました」とでも言ってるのでしょうか。

鈴木春信 「いばらき屋店先(見立渡辺綱と茨城童子)」
明和4〜5年(1767-68)頃

「いばらき屋店先」は一見恋仲の男女を描いたただの絵にも見えますが、渡辺綱と茨木童子を見立てたものなんだとか。謡曲「茨木」が有名ですが、茨木童子は渡辺綱に腕を斬られる鬼女。片腕を袖に隠しているのは渡辺綱に斬られた腕を表しているとのこと。ちょっとこれはハイレベル。

鈴木春信 「鷺娘」
明和3〜4年(1766-67)頃

錦絵は、裕福な趣味人の間で流行した絵暦がだんだんとお金と手間をかけて、版画技術のレベルが上がった結果生まれたといわれています。そのため、中には少数の摺りでないとできないような工芸的な細工が施されたものもあって、「鷺娘」は雪や綿帽子の白い部分に“きめ出し”がされていたり、振り袖に菱文の“空摺り”がされていたり、非常に手が込んでいます。これは現物を観て初めて分かる素晴らしさ。

鈴木春信 「寄菊 夜菊を折り取る男女」
明和6〜7年(1769-70)頃

「寄菊 夜菊を折り取る男女」は要するに花の枝を折って盗もうとする男女なのですが、とても色がきれい。特に漆黒の闇の黒と春信を特徴づける独特の黄色。昨年、目黒区美術館で開催された『色の博物誌』でも紹介されていましたが、春信の浮世絵は植物性のものが主で、褪色しやすいのですが、今回のボストン美術館所蔵の浮世絵は摺られたばかりのような発色の美しさに驚きます。

小松軒 「大江山酒呑童子」
明和2年(1765)絵暦

小松軒 「頼光一行と衣を洗う女」
明和2年(1765)絵暦

今回の展示でとても興味深かったのが、絵暦交換会の流行を先導した趣味人の一人という小松軒の作品。浮世絵制作はあくまでも趣味で、本職は薬屋らしいのですが、ちょっと度が越えているというか、当時の多色摺でここまで細密な作品は珍しいのでは。“絵暦”なので、和暦の月や数字が隠れていたりするのですが、その凝り様もハンパありません。

鈴木春信 「浮世美人寄花 笠森の婦人 卯花」
明和6年(1769)頃

「浮世美人寄花 卯花 笠森の婦人」は春信と同時代にアイドル並の人気だったという笠森稲荷の水茶屋・鍵屋の娘お仙を描いたもの。鍵屋の娘お仙や浅草の柳屋の娘お藤は浮世絵でたびたび描かれる美人の代名詞ですが、印象的だったのが歌麿の「おきたとお藤」で、すっかり年を取ったお藤と歌麿の時代に評判だったという難波屋のおきたが新旧美人風に描かれています。

喜多川歌麿 「おきたとお藤」
寛政5〜6年(1793-94)頃

最後には春信の影響を受けた浮世絵作品が並び、つづいて千葉市美の所蔵品展『江戸美術の革命 -春信の時代-』が続きます。円山応挙の障壁画や伊藤若冲、曽我蕭白に加え、鶴亭など南蘋派がいくつか出ています。浮世絵では大阪の月岡雪鼎の墨摺版本が出ていて、これがなかなか良い。『鈴木春信展』と『江戸美術の革命 -春信の時代-』を観てたら、優に2時間を超えていました。


【ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信】
2017年10月23日(月)まで
千葉市美術館にて

※2017年11月3日(金・祝)~2018年1月21日(日) 名古屋ボストン美術館に巡回


鈴木春信 決定版: 恋をいろどる浮世絵師 (別冊太陽 日本のこころ 253)鈴木春信 決定版: 恋をいろどる浮世絵師 (別冊太陽 日本のこころ 253)

2017/10/15

運慶展

東京国立博物館で開催中の『運慶展』を観てまいりました。

春に奈良博で『快慶展』を観て、そして待望の『運慶展』。現在、運慶と確認もしくは推定されている仏像は31躯あるといいますが、その内の22躯(出品リスト上は19躯)が集結というこれ以上望めないレベル。さすがに見応え十分です。

会場には運慶の仏像以外にも、父・康慶や運慶の息子ら慶派の仏像もあって、運慶前後の慶派の流れが分かるのもいい。しかも運慶の仏像に限っては、全て全方位展示という贅沢さ。お寺に行ってもここまで間近で観られませんし、まして後ろ姿を拝むことなどできませんが、本展では隅々までじっくりと観ることができます。これも広いトーハクの平成館だからできること。

展示方法については賛否両論いろいろ声が聴こえてきます。ライティングにより仏像が立体的に浮かび上がり効果的だという人もいれば、照明が過剰すぎるという人もいます。ここ数年のトーハクの特別展の傾向ですが、展覧会がエンタテイメント化していることも、これでいいのだろうかと思うこともあります。それでもこれだけの運慶の仏像が観られるのですから、ありがたいことです。


第1章 運慶を生んだ系譜-康慶から運慶へ

最初に登場するのが円成寺の「大日如来坐像」。運慶の最初期の作品で、これがデビュー作ともいわれます。一般的な制作期間が3ヶ月ぐらいのところ、1年弱というかなり長い時間をかけ丁寧に造られたとか。表情や均整のとれた引き締まった体躯は瑞々しく、抑揚のある深い彫り、智拳印を結ぶ腕の力強さは新しい時代の彫刻という印象を受けます。

運慶 「大日如来坐像」(国宝)
平安時代・安元2年(1176) 円成寺蔵

運慶の「仏頭」は想像以上に大きくて驚きます。江戸時代に焼失した興福寺西金堂の本尊・釈迦如来立像の焼け残ったものですが、頭部だけでも1m近くあり、いわゆる丈六像(約4.8m)だったのではないかといわれています。

父・康慶の「四天王像」は、今年の春に拝見した興福寺仮講堂の『興福寺国宝特別公開2017 阿修羅~天平乾漆群像展』では“康慶一派”となっていましたが、本展では“康慶作”として紹介。力強い造形や躍動感は運慶に引き継がれていったことがよく分かります。踏まれてた邪鬼の表情も見もの。康慶の国宝「法相六祖坐像」も写実の追求、流れるような衣文の表現が素晴らしく、運慶に繋がるものを強く感じます。


第2章 運慶の彫刻-その独創性

本展では運慶の仏像は制作年順に並べられているのですが、次に来るのが伊豆・願成就院の「毘沙門天像」。運慶は源頼朝の義父・北条時政に請われ、興福寺再建の最中に東国へ下ったといい、願成就院の仏像は関東で運慶が最初に手がけたとされます。願成就院には運慶真作の仏像が5躯ありますが、今回は「毘沙門天像」のみ出陳。東大寺南大門の金剛力士像のように大きく腰をひねらせた動きのある姿が印象的です。忿怒の異形の姿というより若武者のような勇ましさを感じます。

運慶 「大日如来坐像」(重要文化財)
鎌倉時代・12〜13世紀 光得寺蔵

運慶 「大日如来坐像」(重要文化財)
鎌倉時代・12〜13世紀 真如苑真澄寺

運慶の「大日如来坐像」は現存する3点が全て出ています。2011年に金沢文庫で開催された『運慶展』でも3点が揃い比較展示されていましたが、いずれも造形が共通しているのが興味深い。とりわけ足利・光得寺の「大日如来坐像」は高さ30cmほどの小像ですが、肩にかかる髪や装身具など細緻な彫刻的表現が見事。仏像を360度ぐるりと観られる貴重な機会ではありますが、光得寺の「大日如来坐像」はこれまた見事な厨子と一つでさらに傑作だと思うので、別々に展示されていたのがちょっと残念でした。

運慶と息子・湛慶の合作とされる岡崎・瀧山寺の「聖観音菩薩立像」は寺外初公開の美仏。鮮やかな色彩は明治時代の補彩といいますが、艶かしく肉感的な肢体、写実的かつ細緻な衣文の表現、宝冠など豪華な装身具など、これも運慶なのかと驚くほどの美しさ。像内には頼朝の遺髪と歯が納められているということからも、ただの仏像でないことが分かります。ちなみに来年1月から金沢文庫で開催される『運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』には瀧山寺の三尊のひとつ「梵天立像」が出陳されるそうです(前回の金沢文庫の『運慶展』には「帝釈天立像」が出陳されていました)。

運慶 「八大童子立像(写真は制多伽童子・恵光童子)」(国宝)
鎌倉時代・建久8年(1197)頃 金剛峯寺蔵

誰もが認める運慶の傑作といえば、高野山・金剛峯寺の「八大童子立像」。本展ではその内、運慶作とされる6躯が出陳されてます。ガラスケースに収まり並ぶ様はまるで高級宝飾店のショーケースのよう。みずみずしい童子の肉体性、今にも動き出しそうなリアルな表現の完成度の高さには唸らずにいられません。極めつけは玉眼の目で、何かを訴えかけるような目の表情は人間そのものです。

運慶 「無著・世親菩薩立像」(国宝)
鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 興福寺蔵

本展の一番の見どころが《四天王像が北円堂安置とみる仮説による再現》。興福寺南円堂の「四天王像」はもともと北円堂にあったとする説が現在有力ですが、その仮説に基づき、現・南円堂の「四天王像」と北円堂の「無著・世親菩薩立像」を一つのスペースに再現展示しています。「四天王像」の写実を超えたダイナミックな表現、「無著・世親菩薩立像」の圧倒的な造形力。本来中心にあるべき「弥勒如来坐像」の出陳がなく写真だけというのが残念ですが、台座も入れれば軽く2mを超える大きな仏像が居並ぶ威圧感は凄く、いずれも興福寺で過去に拝見していますが、こうした空間で観ると、そのインパクトに圧倒されます。ただ、北円堂は南円堂より一回り小さいはずなので、これだけ大きな仏像があったとすると、かなり圧迫感があるのではないかと思います。

現・南円堂の「四天王像」は運慶の息子たちの手によるものとする説がありますが、運慶がどこまでタッチしてたかは不明で、図録には持国天像と多聞天像は運慶作の可能性があると書かれていたり、先日拝聴した某運慶研究者の講演では多聞天像は運慶の創意が見られるとしていたりします。今後の研究の動向に注目したいところです。

無著と世親は興福寺の宗派である法相宗の教義を大成させた高名な学僧の兄弟。『運慶展』を観た日に興福寺・多川貫首の講演も拝聴したのですが、「無著・世親菩薩立像」は美術史的にいわれる老・壮の違いではなく到達した仏のレベル(唯識の修道階位)の差であるという興味深い話がありました。北円堂の創建時(奈良時代)に安置されていた羅漢2躯を南都焼討後の復興時に法相宗の唯識教学に基づき、羅漢を無著と世親に充てたのではないかとのことでした。


第3章 運慶風の展開-運慶の息子と周辺の仏師

興福寺の「天燈鬼立像・龍燈鬼立像」はいつもは四天王像に踏まれている邪鬼を取り上げたユニークな仏像。運慶の息子・康弁の現存する唯一の作品とされる「龍燈鬼立像」は運慶が関わっているのではないかという話もあるようです。個人的に大好きな仏像で、春に興福寺でも拝見しましたが、今回は周りをぐるりと見られるのが嬉しい。誇張した筋肉や玉眼の表現は間近で観て初めて気づく素晴らしさ。かわいいお尻も必見です。「天燈鬼」までふんどししてるとは知りませんでした。

「天燈鬼立像 龍燈鬼立像」(国宝)
鎌倉時代・建保3年(1215) 興福寺蔵

海往山寺の「四天王像」もまた素晴らしい。40cmにも満たない小像ですが、保存状態も良く、精緻な彫刻的表現、鮮やかな彩色が見事。いわゆる大仏殿様四天王像で、運慶一門の手によるものとされているようです。

そして最後に伝・浄瑠璃寺の「十二神将立像」。最近の調査で運慶の没後の作である可能性が高くなったというニュースも記憶に新しいところ。現在トーハク(5躯)と静嘉堂文庫美術館(7躯)に分蔵されていて、12躯全て揃って展示されるのは42年ぶりだそうです。東博所蔵の方はときどき総合文化展(常設展)で公開されていたり、静嘉堂文庫美術館所蔵の方も昨年『よみがえる仏の美』で修理を終えたばかりの4躯が公開されましたが、やはり12躯が勢揃いした姿を観られなんて仏像ファンには感涙ものでしょう。頭に十二支の象徴が付いていたり(付いてないのもある)、申神の顔が猿ぽかったり、巳神の足が妙に筋肉質だったり、それぞれ干支をイメージさせるのも面白い。

運慶 「十二神将立像(写真は未神・辰神)」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵

今回の『運慶展』と奈良博の『快慶展』を観て思うのは、運慶には快慶にないものがあり、快慶には運慶にはないものがあることで、快慶が「静」とすれば、運慶は「動」、快慶は洗練された様式美に魅力があるとすれば、運慶は重厚な造形力にその本質があるように感じました。運慶とはどんな仏師だったのか。分かってるようで分からなかった運慶の魅力を存分に堪能できる展覧会でした。混雑しなければ何度も足を運びたいところです。


【興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」】
2017年11月26日(日)まで
東京国立博物館・平成館にて


芸術新潮 2017年 10 月号芸術新潮 2017年 10 月号


運慶への招待運慶への招待

2017/10/07

江戸の琳派芸術

出光美術館で開催中の『江戸の琳派芸術』を観てまいりました。

出光美術館で琳派は何度も観てると思うのですが、江戸琳派をテーマにした展覧会は実に16年ぶりなんだそうです。

江戸琳派なので酒井抱一と鈴木其一が中心。光琳は数点あるけど宗達はなし。なんと出光美術館所蔵の抱一・其一作品のほぼ全てが展示されているそうです。

抱一や其一に代表される江戸琳派は宗達・光琳とはまた違う華やかさ、色彩美があり、その洗練された画風が大きな魅力でもあります。さすがにここまで江戸琳派が揃うと壮観。出光美術館の琳派作品の充実ぶりにあらためて感心しました。


会場の構成は以下のとおりです:
1 光琳へのまなざし - 〈江戸琳派〉が〈琳派〉であること
2 〈江戸琳派〉の自我 - 光琳へのあこがれ、光琳風からの脱却
3 曲輪の絵画 - 〈江戸琳派〉の原点
4 〈琳派〉を結ぶ花 - 立葵図にみる流派の系譜
5 師弟の対話 - 抱一と其一の芸術

酒井抱一 「風神雷神図屏風」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

まずは“琳派といえば”的な抱一の「風神雷神図屏風」。隣には、光琳の「風神雷神図屏風」の裏に描かれた抱一の「夏秋草図屏風」の草稿が展示されていました。草稿なので銀地ではないし、彩色もあっさりとしていますが、逆にみずみずしい印象を受けます。雷神の裏には雨に打たれた夏の草花、風神の裏には嵐になびく秋の草花を描くという風流人・抱一らしい発想だと思うと同時に、本来四季を表した絵ではない「風神雷神図屏風」に夏と秋という季節的な意味をプラスしたというところがが素晴らしいなと思います。

酒井抱一 「紅白梅図屏風」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

琳派は画風の継承というより、画題やモチーフ、デザイン性といったピンポイントなところを流用しつつさらに展開させるという自由さがあると思うのですが、伝・光琳の「紅白梅図屏風」と並んで展示されていた抱一の「紅白梅図屏風」は光琳のエッセンスを咀嚼することで抱一ならではの洗練された作品になってると感じます。ただ、抱一画に先立つ作品として鈴木芙蓉の「紅白梅図屏風」がパネルで紹介されていて、抱一は芙蓉の作品を参考にしてるのではないかとありました。

酒井抱一 「八橋図屏風」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

「八橋図屏風」も光琳の「八橋図屏風」(メトロポリタン美術館所蔵)をもとにしていますが、実は燕子花の数が光琳は約130輪なのに対し抱一は80輪だったり、一隻の横幅がそれぞれ45㎝も長かったり、光琳の屏風よりすっきりとした印象があります。抱一の「八橋図屏風」は絹地に描かれていこともあって、色彩の質感もずいぶん違って見えます。ただ摸倣するのではなく、どうアレンジするかいろいろ考えていたのでしょう。

酒井抱一 「燕子花図屏風」
享和元年(1801) 出光美術館蔵

抱一は姫路藩・酒井家に生まれ、若い頃は吉原に遊び、俳諧を嗜むという風雅を地で行く趣味人で、浮世絵など当時の文化に親しみました。今でいえば、都会人であり、現代人であり、そうした環境で磨かれたセンスは雅趣というものは、抱一作品の端々から伝わってくる気がします。

「燕子花図屏風」の軽妙なフレーミング、自ら詠んだ俳句を揮毫した短冊と色紙を貼り交ぜた「糸桜・萩図」の風情。初期の浮世絵作品「遊女と禿図」も、遊女とかむろのバランスが悪いのはご愛嬌ですが、一端の浮世絵師という印象を受けます。

鈴木其一 「蔬菜群虫図」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

鈴木其一 「藤花図」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

抱一のもとで磨かれた確かな腕に、さらにグラフィカルなデザインセンスや色彩感覚を身につけたのが其一。愛嬌のある表情が可笑しい「三十六歌仙図」や、琳派というよりもっと博物学的なリアリティを感じる「蔬菜群虫図」。其一が描いた薄の表装に光琳の富士図の扇面を貼った掛軸装のやまと絵的な風情も見事。「秋草図屏風」や「藤花図」は銀地、銀箔が変色してなければ、どんなに美しかったか。

酒井抱一 「十二ヵ月花鳥図貼付屏風」(※写真は左隻)
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

抱一の「十二ヵ月花鳥図貼付屏風」が一双まるまる展示されているのも贅沢。抱一の十二ヵ月花鳥図は人気だったようで複数の作品が知られていますが、その表現は一様でないといいます。解説には「おそらく多くの需要に応えるべく抱一の工房・雨華庵の画家たちが動員されたと思われる」とありました。七月に描かれた向日葵と朝顔とカマキリは抱一というより其一的な匂いがすると以前から気になっていたのですが、もしかしたら弟子時代の其一が担当していた可能性もあるかもしれませんね。抱一の晩年の作品のいくつかは其一が抱一名義で描いていたとする説がありますが、「青楓朱楓図屏風」なんかも其一の画風に妙に近い気がします。どうでしょう。

酒井抱一 「青楓朱楓図屏風」
文政元年(1818) 個人蔵

其一の作品ではいかにも其一らしい「四季花木図屏風」や、個人的にも大好きな「桜・楓図屏風」が出ているのですが、あまりお目にかかることのない「月次風俗図」全十二図が出品されているのが嬉しいところ。「月次風俗図」は四角や丸、扇面など3つの形式の画面に、菜の花に鷽替、梅に鼠、曽我兄弟の仇討ち、雨中の楓、鮎の群れ、砧打、柿に菊、ほおずきに麦藁蛇など、月ごとの季節にちなんだ行事や自然、風俗などが描かれています。もとは押絵貼屏風だったようで、発注主の好みもあるのか、其一にしては割と瀟洒な表現が印象的です。

鈴木其一 「四季花木図屏風」
江戸時代・19世紀 出光美術館蔵

一時期あれだけ多かった琳派の展覧会も少し落ち着き、あらためて琳派の作品に対峙するいい機会かもしれません。去年サントリー美術館で開催された『鈴木其一展』に出品されていない作品も多いので、其一ファンは必見だと思います。


【江戸の琳派芸術】
2017年11月5日(日)まで
出光美術館にて


別冊太陽244 江戸琳派の美 (別冊太陽 日本のこころ 244)別冊太陽244 江戸琳派の美 (別冊太陽 日本のこころ 244)

2017/09/25

狩野元信展

サントリー美術館で開催中の『狩野元信展』を観てまいりました。

個人的に今年最も楽しみにしていた展覧会の一つ。狩野派の二代目であり、狩野派を画壇の中央へ押し上げただけでなく、日本絵画史上最大の画派へ成長する礎を築いた最重要人物である狩野元信。意外なことに単独で元信を取り上げる回顧展は初めてだといいます。

サントリー美術館は元信の「酒伝童子絵巻」を所蔵していますが、いずれ重要文化財に指定されたら元信の展覧会を開きたいという希望があったのだそうです。「酒伝童子絵巻」は2015年に重要文化財に指定され、念願叶って企画が実現。国内外に現存する元信筆もしくは工房作とされる作品が一堂に揃い、構成もよく整理され、大変充実した展覧会になっていました。


第1章 天下画工の長となる - 障壁画の世界

まずは元信の代表作である大徳寺大仙院方丈の旧障壁画をじっくり。
元信の作品にはまだ国宝がありませんが、最初に国宝に指定されるとしたら、恐らくこの障壁画なんじゃないかと思います。方丈の中心となる室中は足利将軍家に仕えた先輩格の相阿弥ですが、周囲の4室は狩野派が手掛けていて、その内「四季花鳥図」と「禅宗祖師図」のみが元信の真筆。ほかの障壁画は元信の下、弟子たちが分担したとされています。

狩野元信 「四季花鳥図(旧大仙院方丈障壁画)」 (※写真は一部)
室町時代・16世紀 大仙院蔵 (需要文化財)
(※期間中展示替えあり。但し10/4~10/16は展示がありません)

「四季花鳥図」は去年の東博の『禅展』で全幅展示されましたし、ほかの障壁画も東博の常設などで何度か拝見していますが、やはり「四季花鳥図」の素晴らしさは特筆的。水墨画を基調としつつ、濃彩の花や鳥を取り入れたスタイルは近世障壁画の幕開けを感じさせます。「禅宗祖師図」も人物の的確な表現や霞雲を取り入れた奥行き感など、これまでの日本の漢画系水墨画とは異なる新たな表現が見られ、元信の画力の高さと構成力の巧みさに舌を巻きます。

狩野元信 「禅宗祖師図(旧大仙院方丈障壁画)」 (※写真は一部)
室町時代・16世紀 東京国立博物館蔵 (需要文化財)
(※期間中展示替えあり。但し展示は10/23まで)

先日、山下裕二氏の記念講演会を拝聴したのですが、その中で、能阿弥、芸阿弥、相阿弥と続いたいわゆる三阿弥のあとを誰かが継承した形跡がなく、恐らく元信は相阿弥が持っていた門外不出の粉本を譲り受けたのではないかという話がありました。将軍家所蔵の中国絵画はそう簡単に観られるものではないでしょうから、そうした粉本を学習することで“真・行・草”という発想も生まれたのかもしれません。


第2章 名家に倣う - 人々が憧れた巨匠たち

室町水墨画の手本とされ、当時の漢画系の画家に絶大な影響を与えたのが馬遠や夏珪、玉澗、牧谿といった中国・宋元の画家たち。馬遠と夏珪の様式は真体、牧谿は行体、玉澗は草体のそれぞれ規範となるわけですが、そうした違いを感じながら観ると、元信の作品だけでなく、狩野派の作品を理解する上でも役立つんじゃないかと思います。

沈恢 「雪中花鳥図」
中国・明時代 15世紀 泉屋博古館 (※展示は10/2まで)

南宋時代の作品が多い中、印象的だったのが沈恢の「雪中花鳥図」。静謐な画面の中にピンク色の梅が華やかに映えます。呂紀の花鳥図を思わせる明代らしい作品です。

個人的には「相阿弥模写梁楷筆耕織図巻」が出ていたのが嬉しいところ。狩野派の伝統的な画題に稲作や蚕織の一連の作業を描いた耕織図というのがありますが、その基とされるのが南宋の画家・梁楷の「耕織図巻」で、「相阿弥模写梁楷筆耕織図巻」はその名のとおり相阿弥が模写したものの更に模写。恐らく元信は相阿弥の模写を見て、耕織図を屏風形式に再構成したのでしょう。相阿弥本は現存しないので、江戸時代に描かれたこの模写本からしか知る術はないのですが、所蔵先の東博でもなかなかお目にかかることができず、ずっと観たいと思っていました。


第3章 画体の成立 - 真・行・草

馬遠や夏珪、玉澗、牧谿といった中国絵画の筆様を、元信は書道の楷書・行書・草書に倣い、真体(楷体)・行体・草体という3つの画体に整理。漢画のスタイルをマニュアル化することで、優秀な弟子を育成し共同制作の効率を高めることに成功します。元信の経営者的能力が評価される由縁です。

狩野派の作品を見慣れてないと、真体・行体・草体という概念はなかなか難しいところがありますが、展示作品のキャプションに「真体」「行体」「草体」と印がついているので狩野派初心者も安心です。

伝・狩野正信 「竹石白鶴図屏風」 (重要文化財)
室町時代・15世紀 真珠庵蔵 (※展示は9/25まで)

元信の父・正信の作品もいくつかあって、中でも白眉が「竹石白鶴図屏風」。正信筆だろうとされているようですが、筆者については諸説あり、元信説もあるとか。山下先生は二扇目の岩の上の小鳥によって強調される斜めのラインを絶賛していましたが、左上の淡墨から濃墨への諧調さが表す奥行き感や湿潤な空気感もまた素晴らしい。

狩野元信 「真山水図」
室町時代・16世紀 京都国立博物館蔵 (※展示は10/9まで)

正信の掛幅の「山水図」と元信の「真山水図」が並んで展示されていて、いろいろ比較しながらずっと観ていました。正信の縦の構図を元信は横に展開。中央に大胆に余白を入れることで、空間の広がりと奥行き感を出すのに成功しています。右側の屹立した山の描写などは正信の「山水図」をほぼ流用しているのですが、人物をよく見ると(単眼鏡でないと分かりません)、正信は輪郭線が平板なのに対し、元信は肥痩のある線で非常にきっちりと丁寧に描いていて、その性格が分かるような気がします。

「元信」印 「四季花鳥図屏風
室町時代・16世紀 静岡県立美術館蔵 (※展示は10/9まで)

日本で水墨の花鳥図屏風に色彩を加えるということがいつから始まったかよく知りませんが、着色の折枝画や花鳥図は既に存在しましたし、雪舟の晩年作にも著色の花鳥図屏風があるので、恐らく室町時代後期には先例があったのでしょう。元信も基本的には大仙院の障壁画のように、水墨の花鳥図に色彩を施した程度のものが多いようですが、特筆すべきはやまと絵の要素を大胆に取り入れた、いわゆる和漢融合で、極めて装飾性の高い彩色の花鳥図屏風を残しています。他館に貸し出されているということで代わりに高精細複製品が展示されてましたが、白鶴美術館所蔵の金壁画「四季花鳥図屏風」は元信の幅の広さに驚くと同時に、ここまで完璧にやまと絵の世界を表現できるその実力に圧倒されます。

狩野元信 「四季花鳥図屏風」(重要文化財)
室町時代・天文19年(1550) 白鶴美術館所蔵 (※複製品を展示)


第4章 和漢を兼ねる

歌舞伎の人気演目『傾城反魂香』に絵師・土佐将監の娘と結婚の約束をした狩野元信が将監の娘から土佐家の秘伝を手に入れるという話が出てきます。これは芝居の話ですが、将監はやまと絵の土佐光信がモデルとされ、実際に元信は光信の娘と結婚したとも伝えられます。元信は多角的な顧客層の獲得や多様化する需要のため、和様の要素を取り入れざるを得なかったのかもしれません。もしくは戦略として土佐派に接近し、やまと絵の領域に進出したのか。そう考えると興味が尽きません。

狩野元信 「酒伝童子絵巻」(重要文化財)
室町時代・大永2年(1522) サントリー美術館蔵 (※場面替えあり)

「酒伝童子絵巻」は『絵巻マニア列伝』に続いての再登場。「酒伝童子絵巻」だけを観ていると、元信作品の中で異色に思えますが、同じく元信筆の「清凉寺釈迦堂縁起絵巻」を観ると、決して特異な作品ではないことが分かります。人物や室内の描写は色彩豊かなやまと絵の絵巻の描き方がされていますが、背景の山並みは漢画的に描かれています。

「二尊院縁起絵巻」は薄い群青のすやり霞など元信の絵巻と共通する点があるのですが、工房作ではないかとのこと。人物の表情も画一的で、これまで観てきた元信の際立った人物表現を思うと、ちょっと違うと感じます。「酒飯論絵巻」は元信説もあるようですが、筆者は不明。ただ、酒好きの男と酒よりごはんが好きな男と両方ほどほどに好きな男が持論を展開するという内容が面白い。絵巻マニア必見です。

「元信」印 「富士曼荼羅図」(重要文化財)
室町時代・16世紀 富士山本宮浅間大社蔵 (※展示は10/9まで)

今回一番観たかった作品の一つが「富士曼荼羅図」。工房作といわれますが、元信の絵巻に共通する薄い群青のすやり霞や、やまと絵の風俗画を思わせる豊かな人物描写、小さな人物も線の肥痩が巧みで丁寧に描かれていて、想像以上に優れた作品でした。何より富士山の山道をジグザグに登る参詣者の姿は感動的。是非これは単眼鏡で覗いて欲しい。


第5章 信仰を描く

今回ボストン美術館から3点の元信作品が里帰りしています。そのひとつが元信の仏画の最高傑作という「白衣観音図」。太くしっかりとした衣文線、暗い背景から浮かび上がる色彩の美しさ、中国や朝鮮の仏画を思わせる岩や波の表現。状態も非常に良く、最高傑作といわれ、なるほどと思う優品です。

狩野元信 「白衣観音図」(重要文化財)
室町時代・16世紀 ボストン美術館所蔵


第6章 パトロンの拡大

狩野永納が著した画人伝『本朝画史』の元信伝には「若くして貧す」とあるといいます。父・正信の晩年は病気などが理由で長く絵師としての活動ができなかったという話もあり、また時代的にも戦国時代の只中、元信は支持基盤を拡大するのに必死になっていたことが想像できます。

「細川澄元像」は現存する元信作品の中では最も初期の作品。有力な戦国武将をパトロンにするという狩野派の戦略もこの頃から始まっていたのかもしれません。澄元の姿がとても緻密に丁寧に描かれていますが、馬の独特の造形も印象的。ほかの展示作品にも類似の馬の表現が見られます。

狩野元信 「細川澄元像」(重要文化財)
室町時代・16世紀 永青文庫蔵 (※展示は10/9まで)

白鶴美術館の「四季花鳥図屏風」が複製だったり、元信真筆の「妙心寺霊雲院方丈障壁画」や元信周辺の画家説のある「洛中洛外図歴博甲本」といった重要な作品が出てなかったり、欲を言えば切りがないのですが、これだけ揃えば十分過ぎるかもしれません。いや、内容は期待以上でした。元信から桃山時代・江戸時代の近世絵画は幕を開けると言っても過言ではないと思いますし、そういう意味では大変意義深い展覧会だと思います。


【六本木開館10周年記念展 天下を治めた絵師 狩野元信】
2017年11月5日(日)まで
サントリー美術館にて


別太131 狩野派決定版 (別冊太陽―日本のこころ)別太131 狩野派決定版 (別冊太陽―日本のこころ)

2017/09/16

月岡芳年 月百姿

太田記念美術館で開催中の『月岡芳年 月百姿』を観てまいりました。

先月まで開催していた『月岡芳年 妖怪百物語』につづいて、月岡芳年の代表作「月百姿」シリーズの全点を公開するというファン待望の展覧会。わたしも全点観るのは初めてです。

「月百姿」は、月をテーマにした作品100点からなる摺物シリーズ。最晩年の47~54歳にかけて制作されたもので、『月岡芳年 妖怪百物語』で紹介されていた「和漢百物語」シリーズや「新形三十六怪撰」シリーズのようなダイナミックさや奇抜さは影を潜め、物語主体の表現や情緒的な描写が印象的です。

同じ月をテーマにしているといっても、さすが100点もあるとヴァリエーションも豊か。会場は、<美しき女たち>、<妖怪幽霊・神仏>、<勇ましき男たち>、<風雅・郷愁・悲哀>と4つのカテゴリーに分けて紹介されています。


まずは小野小町と紫式部という平安王朝を代表する女流歌人を描いた作品が興味深い。紫式部は石山寺の有名な場面で、『源氏物語』のイメージを膨らませているのか、ほおづえをついて月をぼんやりと眺めています。一方の小野小町は、深草少将の怨霊に取り憑かれた小町が老いて乞食になる能の『卒都婆小町』を描いたもの。かつて絶世の美人と謳われた姿からは想像もできない老婆となって月を見つめています。

月岡芳年 「月百姿 卒塔婆の月」
明治19年(1886)

月岡芳年 「月百姿 きぬたの月 夕霧」
明治23年(1890)

この日は山種美術館で『上村松園 -美人画の精華-』を観た足で伺ったのですが、松園の「砧」と同じ画題の作品がありました。松園の「砧」は夫の帰りを待ち立ちすくむ妻の姿を描いていますが、芳年の「砧」は夫の身を案じながら砧(洗濯した布を棒で叩いて皺をのばすための道具)を打つ場面そのものが描かれていて、そばには松園も最初は描くつもりだったという腰元の夕霧が静かに座っています。

ほかにも『上村松園 -美人画の精華-』に出品されていた作品(松園作品ではありませんが)と共通の画題では『平家物語』の小督を描いた「嵯峨野の月」、『源氏物語』の夕顔を描いた「源氏夕顔巻」が展示されているので、違いを観るのも面白いかも。

月岡芳年 「月百姿 名月や畳の上に松の影 其角」
明治18年(1885)

「名月や畳の上に松の影」は芭蕉の弟子・其角の俳句を描いた作品。月そのものは描かず、畳に映る松の影で月夜の風情を表現した風流な一枚です。抱一か其一かという感じの琳派風の屏風がまたいいですね。

月岡芳年 「月百姿 孤家月」
明治23年(1890)

妖怪や幽霊を描いた作品は、それまでの観る人を脅かすような恐怖を煽る演出はあまりなく、どちらかというと物語の一場面を切り抜き暗示的に描くなど、物語性の高さをより感じます。「孤家月」は“浅茅ヶ原の鬼婆”として知られる伝説を描いたもの。鬼婆を描いた芳年の作品というと、妊婦を逆さづりした恐ろしい「奥州安達が原ひとつ家の図」を思い浮かべますが、ここでは縄の先を描かず(縄には石が吊るされていて、石を落して人を殺そうとしている)、隙を窺う鬼婆だけを描いています。

月岡芳年 「月百姿 大物海上月 弁慶」
明治19年(1886)

「大物海上月 弁慶」は有名な「船弁慶」を描いた作品。芳年の「新形三十六怪撰」にも「大物之浦ニ霊平知盛海上に出現之図」という平知盛の亡霊に立ち向かう弁慶の姿を描いた作品がありますが、「月百姿」の「弁慶」は俄かに海が荒れ出し、この先を暗示しているかのよう。

月岡芳年 「月百姿 山城 小栗栖月」
明治19年(1886)

月岡芳年 「月百姿 雪後の暁月 小林平八郎」
明治22年(1889)

物語の脇役にスポットを当てている作品がいくつかあったのも興味深いところ。「山城 小栗栖月」は本能寺で織田信長を襲撃した明智光秀を討とうと竹やぶに身を潜める村人を描いたもの。「雪後の暁月 小林平八郎」は『忠臣蔵』の吉良上野介側の侍を描いたもの。表舞台には決して出ない人々を描くことで、“月”の寂しさや切なさを強調しているのかもしれません。

月岡芳年 「月百姿 名月や来て見よかしのひたい際 深見自休」
明治20年(1887)

深見自休は江戸の侠客。歌舞伎『助六』の髭ノ意休のモデルともいわれています。桜吹雪の中夜道を堂々と歩く大きな背中がかっこいい。着物の黒は一見無地に見えるのですが、ちょっと下から覗きこむと市松模様の正面摺りが施されているのが分かります。

月岡芳年 「月百姿 烟中月」
明治19年(1886)

火事と喧嘩は江戸の華。江戸火消を描いた「烟中月」もかっこいい。あえて纏持ちの動きを止めることで火災の激しさがより強調して見えます。

月岡芳年 「月百姿 あまの原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」
明治21年(1888)

美しく輝く月を見ながら、遠い故国の三笠の山にかかる月を思い浮かべる阿倍仲麻呂。何ともしみじみとした一枚ですね。シンプルなんだけど、仲麻呂の和歌とともに心に深く響きます。

月岡芳年 「月百姿 たのしみは夕顔だなのゆふ涼男はててら女はふたのして」
明治23年(1890)

久隅守景の「納涼図屏風」を思い出さずにはいられない一枚。直接描かれてはいませんが、妻は乳飲み子を抱いてるんでしょうか。夫はちょっとお酒でも入ってるのでしょうか。リラックスして楽しそう。観てるこちらにも夫婦の屈託のない会話や涼しい夜風が感じられるようです。

「盆の月」も面白い。天に昇っていくかのような構図。はっちゃけた盆踊りの雰囲気がとても伝わってきます。

月岡芳年 「月百姿 盆の月」
明治24年(1891)

ほかにも印象的な作品がいくつもあって、全部紹介しきれないほど。「月百姿」は芳年の展覧会では必ず並ぶぐらいの代表作ですが、全点揃うことはあまりありません。状態もとても良く、見応えがありました。月が照らし出す世界はみんな趣き深い。


【月岡芳年 月百姿】
2017年9月24日(日)まで
太田記念美術館にて


月岡芳年 月百姿月岡芳年 月百姿