2017/08/22

地獄絵ワンダーランド

三井記念美術館で『地獄絵ワンダーランド』を観てまいりました。

どうせ子どもも楽しめます的な夏休み向けの企画だろ、と最初はあまり興味を持ってなかったというか、高をくくっていたのですが、これが思いのほか面白かったのです。

くだけたタイトルから察せられるように、小難しところがなくて、もちろん子どもも楽しめるでしょうけど、仏画、地獄絵に興味がある人なら誰でも十分楽しめるのではないでしょうか。

毎年この時期は、妖怪だの怪談だのにまつわる作品を集めた展覧会がありますが、今年は源信の1000回忌ということもあってか、奈良国立博物館の『源信展』よろしく、出光美術館の『祈りのかたち 仏教美術入門』でも地獄絵が特集されていたりして、奈良に『源信展』を観に行けなかった身としてはとてもありがたいことです。


第1章 ようこそ地獄の世界へ

会場入ってすぐのアプローチには、肩慣らしというべきか、水木しげるの『水木少年とのんのんばあの地獄めぐり』の原画13点が展示されていて、地獄と極楽浄土の情景が分かりやすく紹介されています。あくまでも絵は水木ワールドなのですが、源信の『往生要集』の世界に意外なほど忠実なのに驚きました。

完本としては現存最古という鎌倉時代の版本の『往生要集』も展示されています。墨も黒々としていて状態は良さそう。日本人の死後世界観に絶大な影響を与えた“あの世のガイドブック”と解説されていて、うまいこと言うなと感心してしまいました。

「六道絵」(重要文化財)
中国・南宋~元時代 新知恩院蔵 (※写真は一部)

「六道絵」の最高傑作といわれる聖衆来迎寺の国宝「六道絵」の模写(文政本)や地獄草紙の模写もあったりしますが、興味深かったのが新知恩院蔵の「六道絵」(6幅)。中国伝来の六道絵としては他に違例がないとかで、日本のよく見る六道絵とは確かに雰囲気が異なります。大変精緻に描かれていて、青い髪や赤い髪をなびかせる鬼は風神や雷神の図様の原形を見る思いがしました。


第2章 地獄の構成メンバー

上品蓮台寺の「六地蔵像」も印象的。飛雲に乗って六地蔵が六道に向かう様子を描いたもので、云わば“六地蔵来迎図”。しかもみんな色白美男子。「地蔵十王図」というのもあって、地蔵菩薩が閻魔大王含め十王を従えている様子が描かれています。

「地蔵十王図」
室町時代 龍谷ミュージアム蔵

當麻寺の6曲1双の「十王図」は十王図10幅と地蔵菩薩図と阿弥陀三尊来迎図各1幅を表具ごと屏風仕立てにしたもの。片隻のみ展示されていましたが、十王図と並んで最後に阿弥陀来迎があるというのが面白い。地獄の顛末を見せつつ救済についてもフォローしているんでしょうね。地獄の様子はいかにも恐ろしげで、血の池かと思ったら、罪人の伸ばされた赤い舌で、舌の上で鬼が牛を使って耕す耕舌地獄という場面なんだそう。出光美術館で観た「六道・十王図」にも同じ場面がありました。


第3章 ひろがる地獄のイメージ

ここでは「立山曼荼羅」と「熊野観心十界曼荼羅」。「立山曼荼羅」は立山信仰に基づくものだと想像はつきましたが、立山の山中には地獄があると考えられていたそうで、血の池地獄に女の顔が浮かんでたり、人面牛馬がいたり、曼荼羅というより地獄絵のよう。鬼も大津絵風で、民間信仰の曼荼羅という感じです

「熊野観心十界曼荼羅」
江戸時代 日本民藝館蔵

「熊野観心十界曼荼羅」は柳宗悦の収集品。地獄極楽の絵解きをしながら諸国を廻ったという熊野比丘尼が絵解き布教に用いたものといいます。これも素朴絵風のところがあって、楽しんで学ぶという感じ。上部の円相に心の字が書かれていて、半円に人生の歩みを描く“老いの坂”も描かれています。


第4章 地獄絵ワンダーランド

江戸時代に入ると、地獄絵もバラエティに富み、世間の人が賢くなって地獄を怖がらなくなったなんてことが解説されていました。最早怖いんだか楽しんだか分からないような地獄絵のパロディ「地獄図巻」や人気歌舞伎役者・八代目市川團十郎の死絵の浮世絵、河鍋暁斎の絵でも知られる地獄太夫の一休宗純との出会いからその後の往生までを綴った絵伝、サイコロ振って最後は極楽浄土を目指す浄土双六なんかもありました。

「地蔵十王図」
江戸時代 東覚寺蔵(※写真は一部)

民間信仰的な地獄絵がいくつかあって、どれもユニーク。「観心十法界図」は「心」の字を中心に放射状に十界図が描かれていて、地獄に堕ちるも極楽浄土に行くのも心次第と諭します。葛飾・東覚寺の「地蔵・十王図」はヘタウマな素朴さに強く惹かれます。十王も漫画的に描かれていて面白い。並びにあった「十王図」は日本民藝館の『つきしまかるかや展』でも拝見した作品。まるで子どものイタズラ書きで、いくら民間信仰とはいえ、どんな用途でどんな人が描いたのかとても気になります。白隠の「地獄極楽変相図」も楽しい。お釈迦様や閻魔様は白隠の仏画風、地獄の様子は戯画風に描かれています。

「十王図屏風」
江戸時代 日本民藝館蔵(※写真は一部)


第5章 あこがれの極楽

最後にあった「山越阿弥陀図」は体は山に隠れ、顔しか見えないという珍しいタイプの作品。体が見えないので、阿弥陀如来なのかさえ本当は分からないとか。「当麻曼荼羅」は出光美術館でも観ましたが、こちらは當麻寺の曼荼羅の1/6の縮小版。



出光美術館の『祈りのかたち 仏教美術入門』は仏教美術史の流れで地獄絵が観られますが、こちらはさまざまなタイプ別の地獄絵を観ることができ、二つ併せて観ると、奈良に行かなくても大丈夫という気分になります。(行ければ行きたかったけど)


【特別展 地獄絵ワンダーランド】
2017年9月3日(日)まで
三井記念美術館にて


太陽の地図帖 地獄絵を旅する (別冊太陽 太陽の地図帖 20)太陽の地図帖 地獄絵を旅する (別冊太陽 太陽の地図帖 20)

2017/08/20

祈りのかたち

出光美術館で開催中の『祈りのかたち 仏教美術入門』を観てまいりました。

最近のトレンドなのか、いろんな美術館で、美術ビギナー向けの展覧会をやっていますが、出光美術館でも所蔵する仏画や仏像を中心に、仏教美術のイロハを紹介する展覧会を開催しています。

日本美術はとりわけ中世までは仏教に関係したものがほとんど。仏画にしても仏像にしても、その種類や造形、それこそ手の形や持ち物に至るまで、さまざまな意味や決まりがあり、理解しようとすると仏教の歴史や時代背景なども密接に絡んできて、美術ビギナーにはなかなか敷居の高いところがあるのではないでしょうか。

そんな本展は、古くはガンダーラの石像や中国の金銅仏にはじまり、密教や弥勒・普賢信仰、浄土教、禅宗などの仏教美術の優品が並び、とても充実。解説も丁寧で分かりやすく、自分もいろいろ勉強になることが多くありました。


第1章 仏像・経典・仏具-かたちと技法

仏像が最初に造られたのは1~2世紀のガンダーラ(もしくはマトゥラーとも)が最初といわれますが、展示されていたガンダーラの石像は2~3世紀のもの。どこかギリシャ彫刻の名残を感じます。中国・西晋時代(3~4世紀)の神亭壺には動物や楼閣などの文様とともに早くも坐像の仏様が施されていました。

中国の金銅仏では東晋時代の「金銅仏三尊眷属像」が見事。如来と左右脇侍の菩薩、さらには光背には化仏まで施され、ずいぶん手の込んだ造りです。法隆寺の国宝「阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)」に彷彿とさせます。日本のものでは白鳳仏「金銅聖観音菩薩立像」があって、白鳳仏らしい大陸様の造形の中にも両手で水瓶を持つ姿が珍しい。

「絵因果経」(重要文化財)
奈良時代 出光美術館蔵

仏画では、まずは奈良時代の「絵因果経」。「絵因果経」は過去現在因果経に絵をつけたもので、奈良時代の絵画を知る上でもとても貴重な遺品。素朴な画風も面白い。「扇面法華経冊子断簡」は扇面に法華経の経文と一緒に宮廷風俗を描いた装飾経。東博や四天王寺、藤田美術館にある「扇面法華経冊子」と同じ四天王寺伝来のものといいます。平安時代の大和絵作品としてこれも大変貴重です。

静嘉堂文庫美術館の『よみがえる仏の美』でも観た「百万塔および百万塔陀羅尼」が出光美術館にもあるんですね。制作年も同じなので、出どころは一緒なのでしょう。現存する世界最古の印刷物の可能性もあるとされています。

伝・土佐光信の「十六羅漢図」は16福の内8幅が展示されていましたが、中国・南宋時代の十六羅漢図の写しとのこと。土佐派の仏画はそんなに観ないので、興味深いものがあります。

仙厓は最後の章でまとまって出てきますが、ここにも少しあって、面白かったのが「釈迦三尊十六羅漢図」。仙厓にしては珍しく、真面目に描いたものなのか、初期のものなのか、あまり見ないタイプの作品です。一方で「大黒天画賛」や「七福神画賛」のようにゆるい作品も。


第2章 神秘なる修法の世界-密教の美術

鎌倉時代にもなると迫真的な表現が強まり、「大威徳明王図」にしても「愛染明王図」にしても恐ろしい形相をしていますが、その中で藤原信実筆と伝わる「五髻文殊菩薩図」は少年のような美しい文殊菩薩が印象的。藤原信実というと「北野天神縁起絵巻」の作者ともされる人。信実の筆かどうかは明らかでありませんが、確かに優れた絵師の手によるものだということは分かります。

「真言八祖行状図 (瀧智)」(重要文化財)
平安 ・保延2年(1136) 出光美術館蔵

「真言八祖行状図」(8幅)は去年の『美の祝典Ⅰ-やまと絵の四季』で修復後初公開として話題になった仏画。明治に廃仏毀釈により廃寺になった奈良の密教寺院・内山永久寺の真言堂の障子絵だったとされ、本展では真言堂での実際の配置を再現したという並び方がされています。人物や王朝風の建物とともに桜や紅葉、松、柳、草花などが描かれ、よくよく見ると、祖師図というより春や秋の情景を描いた和様の山水画にも思えます。


第3章 多様なる祈り-弥勒・普賢信仰の美術

平安時代から鎌倉時代に掛けて、末法思想を背景に篤い信仰を集めた弥勒菩薩、女性も守り導くことから貴族の女性の間で広く信仰されたという普賢菩薩を中心に紹介。「普賢菩薩騎象図」が2幅あったのですが、白象に普賢菩薩が乗った典型的な作例で、内一つは放射状の後光が描かれ、女性的な穏やかな表情が印象的でした。

「普賢菩薩騎象図」
鎌倉時代 出光美術館蔵


第4章 極楽往生の希求-浄土教の美術

今年は源信1000年忌ということもあり、いくつかの展覧会で地獄絵を特集していますが、ここでも源信の 『往生要集』の強い影響下で制作された作品が紹介されています。

「十王地獄図」は十王と本地仏、さらに地獄の様子を描いた双幅の地獄絵。各幅に5体ずつ十王が描かれ、それぞれ上部に忌日を記し、人は死後その忌日ごとに十王の裁きを受けなければならないことが絵画化されています。各幅の間には、地獄に落ちた者に救いの手を差し伸べる「地蔵菩薩立像」を配置していて、極楽浄土を求め、地蔵菩薩にすがったいにしえの人々の信仰に思いを馳せます。

「六道・十王図」はその名のとおり六道や十王を描いた6幅対の作品。さまざまな責め苦など地獄の恐ろしい様子が鮮やかな色彩で克明に描かれています。ただ恐ろしいだけでなく、阿弥陀来迎を描くなど救済の道も示しているのが興味深い。

「六道・十王図(閻魔王図)」
室町時代 出光美術館蔵

「当麻曼荼羅図」は當麻寺の「綴織当麻曼荼羅図」の約1/4の縮小版。阿弥陀如来の極楽浄土の様子がびっしりと描き込まれています。すごい人口密度。

ほかにも阿弥陀来迎図がいくつか展示されていたのですが、解説に鎌倉時代以降は来迎にも迅速性と早急性が求められるようになったありました。根津美術館の『高麗仏画展』で疑問に思ったことに、高麗仏画の来迎図は立ったまま“待っている”というイメージなのに対し、日本の来迎図は動的で“迎えに来る”という構図なのはなぜかということがあったのですが、日本の来迎図にはそういう背景があったということなのでしょうか。

「当麻曼荼羅図」
鎌倉時代末期~南北朝時代 出光美術館蔵


第5章 峻厳なる悟りへの道-禅宗の美術

禅宗美術は一休宗純ゆかりの住吉・床菜庵伝来の作品と、白隠・仙厓の禅画で構成。一休宗純関連のものは墨蹟や賛を入れた祖師像が中心で、以前『水墨画にあそぶ』という本で読んだ泉州時代の一休のことを思い出しながら観ていました。

仙厓は出光ではたびたび観ますし、去年は『大仙厓展』があったばかりなので、もっと他の絵師なり、仏画なりを見せてくれれば良かったのにと思わなくもありませんでしたが、ずらーっと仙厓が並んでます。まぁ、仙厓好きだからいいんですけど。

仙厓 「○△□」
江戸時代 出光美術館蔵

それにしても出光美術館の所蔵品だけでこれだけ厚みのある展覧会ができるのだから凄いですよね。見応えがありました。


【祈りのかたち 仏教美術入門】
2017年9月3日(日)まで
出光美術館にて


すぐわかる日本の仏教美術―彫刻・絵画・工芸・建築 仏教史に沿って解きあかす、美の秘密すぐわかる日本の仏教美術―彫刻・絵画・工芸・建築 仏教史に沿って解きあかす、美の秘密

2017/08/18

杉本文楽 女殺油地獄

世田谷パブリックシアターで『杉本文楽 女殺油地獄』を観てきました。

前回の『杉本文楽 曾根崎心中』から3年。ふたたび近松、しかも『女殺油地獄』に挑戦ということで、期待を抱かずにいられません。

杉本文楽版『女殺油地獄』は、下之巻「豊島屋油店の段」を前と奥に分け、「前」を素浄瑠璃、「奥」を人形浄瑠璃という構成。今回は一人遣いではありませんでしたが、『曾根崎心中』同様に手摺りはありませんでした。

冒頭、人間国宝・鶴澤清治が新たに作曲したという「序曲」を自ら三味線で聴かせ、つづいてあらかじめ録音された杉本博司の声で近松門左衛門の口上人形がご挨拶という仕掛け。公演回数が多いわけでないので、録音でなく生で話しても良かったんじゃないかと思いましたが、そこはプロの語り手でないので、しょうがないのかもしれません。

素浄瑠璃は義太夫を竹本千歳太夫、三味線を鶴澤藤蔵という組み合わせ。ところが千歳太夫の声の調子が最悪。公演初日から声の調子が悪いと漏れ聞こえていましたが、最後まで戻らなかったようです。

最後の「奥」は義太夫を豊竹呂勢太夫 豊竹靖太夫、人形遣いを吉田幸助、吉田一輔、吉田玉勢といった若手が勤めていました。

豊島屋の「前」を素浄瑠璃にしたのは面白いと思いましたが、義太夫の千歳太夫の声の調子が悪く、素浄瑠璃の迫力が十分活かされなかったのが残念。また演出方法を「前」と「奥」でがらりと分けたことで、「前」の臨場感の連続性が途切れ、奥がいまひとつ盛り上がらず、緊張感に欠けたものになってしまったように思います。

前回の『曾根崎心中』は目の肥えた文楽ファンから賛否両論あったとはいえ、文楽の固定概念を壊す演出に見るべきものはありましたが、 今回はそれもなかった。ただ杉本博司の遊びに付き合えるかどうか。近松を観る・聴くというより、杉本のインスタレーションを観る感覚に近いように感じました。

今回の『女殺油地獄』では、前回以上に通常の文楽公演では見ない観客層が多かった気もします。一般の文楽ファンは前回の『曾根崎心中』で早くも離れて行ってしまったのかもしれません。恐らく文楽を初めて観る人も多かったでしょうし、そもそも初心者に素浄瑠璃はハードルが高すぎたんじゃないでしょうか。あれじゃ初めて文楽を観る人が気の毒だと思いました。

叶うものなら、仁左衛門の与兵衛で『女殺油地獄』をまた観たいなと思いながら三軒茶屋をあとにしたのでした。


能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10)能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10)


週刊誌記者 近松門左衛門 最新現代語訳で読む「曽根崎心中」「女殺油地獄」 (文春新書)週刊誌記者 近松門左衛門 最新現代語訳で読む「曽根崎心中」「女殺油地獄」 (文春新書)

2017/08/14

月岡芳年 妖怪百物語

太田記念美術館で開催中の『月岡芳年 妖怪百物語』を観てまいりました。

月岡芳年の代表作である「和漢百物語」シリーズと「新形三十六怪撰」シリーズ、そして「月百姿」シリーズの全点を2カ月に分けて公開するという展覧会。

ちょうど5年前ですが、芳年が観たい、芳年が観たいとほうぼうで言っていたら、東京で約17年ぶりという『月岡芳年展』が同じ太田記念美術館で開かれ、あらためて芳年のドラマティックでエネルギッシュな浮世絵版画の世界に惚れ込みました。その中で、とりわけ印象に残ったのが、この「和漢百物語」と「新形三十六怪撰」と「月百姿」。その時の展覧会では全点は観られなかったので、これはもう芳年好きにはたまらないのではないでしょうか。

今月8月は芳年初期を代表する「和漢百物語」シリーズと晩年の傑作「新形三十六怪撰」シリーズを全点展示。ほかにも芳年の怪奇もの妖怪ものの浮世絵版画を集め、夏にぴったりの展覧会になっています。

月岡芳年 「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」
明治21年(1888)

まずは畳の座敷に上がらせていただいて、並んだ作品をじっくり拝見。
いきなり「岩見重太郎兼亮 怪を窺ふ図」は半裸の女性が生贄にされているというショッキングな浮世絵。ヒヒの姿をした妖怪というのも珍しい。「不知藪八幡之実怪」はなんと水戸黄門が登場。一度入ったら二度と出られないという藪の前でいかつい白髪の老人が光圀が藪に入るのを防ぐという絵。「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」は上空から襲いかかる鬼とそれを見上げる渡辺綱という竪二枚継のスリリングな構図が見事。横殴りの雨と稲光の描写もインパクトがあります。渡辺綱の鬼退治の話は妖怪物の浮世絵ではよく見かけ、本展でも同画題の作品が他にもありました。

月岡芳年 「和漢百物語 伊賀局」
慶応元年(1865)

「和漢百物語」からは「伊賀局」。後醍醐天皇の妃に仕えた女官の話で、亡霊をものともせず涼しげな顔で団扇を仰ぐ姿が面白い。


第1章 初期の妖怪画

芳年は数え12歳の頃に歌川国芳のもとに入門。その3年後には三枚続の大判錦絵を手掛けるまでになったといいます。「桃太郎豆蒔之図」は数え21歳のときの作品。この頃はまだ後年のような複雑な線は見られず、構図もそれほど凝ってません。ただ翌年制作の「楠多門丸古狸退治之図」を見ると、闇に浮かぶ化け物を黒い影のように描くなど、師・国芳の画風を継承しながらも構図や表現に独自性を出そうとしていたようです。

月岡芳年 「楠多門丸古狸退治之図」
万延元年(1860)

青い色の山姥が不気味な「正清朝臣焼山越ニ而志村政蔵山姥生捕図」や、日本の動物と異国の動物の対決というユニークな「和漢獣物大合戦之図」、禿や山伏の姿をしたユーモラスな妖怪が楽しい「於吹島之館直之古狸退治図」、歌舞伎の曽我ものでは脇役の朝比奈三郎が閻魔大王を叩きのめすという「一魁随筆 朝比奈三郎義秀」など、題材の幅の広さもさることながら、芳年の表現力・構成力がどれも楽しい。


第2章 和漢百物語

「和漢百物語」はその名のとおり、日本(和)や中国(漢)の怪異譚を取り上げた揃物の浮世絵版画。百物語となってますが、実際には26図のみ。「酒呑童子」や源頼光朝臣の土蜘蛛、大宅太郎光圀のがしゃ髑髏、渡辺綱の鬼退治といった説話ものでよく見る妖怪もあれば、織田信長や豊臣秀吉に因んだ怪談や相撲の力士が化け物を退治する話など、そんな話もあるんだというようなものもあります。歌舞伎の『伽羅先代萩』の仁木弾正の名場面を描いたものもありました。

月岡芳年 「和漢百物語 酒呑童子」
元治2年(1865)

月岡芳年 「和漢百物語 白藤源太」
元治2年(1865)

「白藤源太」は河童が相撲を取ってる図が笑えますが、白藤源太が河童を投げ殺したという伝説に基づくのだとか。相撲絵にもよく描かれる小野川喜三郎も妖怪を退治したという伝説があるそうで、首長入道に煙草の煙を吹きかけるというユニークな作品がありました。

月岡芳年 「和漢百物語 頓欲ノ婆々」
慶応元年(1865)

「舌切り雀」も芳年が描くとこうなる(笑)。大きなつづらを開けると、そこには…。妖怪もユーモラスですが、頭を抱えて仰け反る婆さんも可笑しい。

月岡芳年 「和漢百物語 華陽夫人」
元治2年(1865)

「華陽夫人」はまるでピアズリーのサロメ。秦の皇帝の后で絶世の美女だが、実は悪狐だったという話だそうです。


第3章 円熟期の妖怪画

菊池容斎の『前賢故実』というと、松本楓湖や小堀鞆音などに代表される明治期の歴史画に多大な影響を与えた日本の歴史上の偉人たちの人物画伝ですが、芳年もその影響を強く受けていたのだそうです。人物の表現が明らかに緻密になっただけでなく、西洋画を意識した陰影法を取り入れたり、構図もよりダイナミックで劇的なものになっていくのが分かります。「大日本名将鑑 平惟茂」なんて、まるで劇画です。縦の構図で巨鯉に乗る金太郎を描いた「金太郎捕鯉魚」も迫力満点。庭の雪山が骸骨になっているだまし絵風の「新容六怪撰 平清盛」も面白い。

月岡芳年 「大日本名将鑑 平惟茂」
明治12年(1879)


第4章 新形三十六怪撰

「新形三十六怪撰」はその名のとおり36図からなる芳年最晩年の集大成。かつてのような過剰な演出や奇抜な表現は影を潜め、線もより繊細になり、どちらかというと様式美を感じるところさえあります。

月岡芳年 「新形三十六怪撰 清玄の霊桜姫を慕ふ」
明治22年(1889)

月岡芳年 「新形三十六怪撰 二十四孝狐火」
明治25年(1892)

「新形三十六怪撰」には「舌切り雀」や「分福茶釜」のようにオーソドックスな昔話もありますが、「四谷怪談」や「桜姫東文章」、「本朝二十四孝」、「関の扉」、「船弁慶」、「鷺娘」のように歌舞伎や能などで人気の演目や三遊亭圓朝の怪談噺「牡丹灯籠」、河鍋暁斎の作品でも知られる「地獄太夫」など、どちらかというと、江戸時代以降に創作された話や時代的にも新しい怪談が中心になっているようです。

月岡芳年 「新形三十六怪撰 ほたむとうろう」
明治24年(1891)

芳年の弟子に美人画を得意とした水野年方がいて、昨年、同じ太田記念美術館で『水野年方展』も拝見しましたが、「新形三十六怪撰」の優美な女性像や、今回出品されてませんが、年方の美人画の代表作「風俗三十二相」などを観ると、年方や年方の門人である鏑木清方や池田輝方といった美人画に連なるものも感じます。

月岡芳年 「新形三十六怪撰 地獄太夫悟道の図」
明治23年(1890)

9月には「月百姿」が全点公開。本展の半券提示で次回の『月岡芳年 月百姿』が200円割引になります。


【月岡芳年 妖怪百物語】
2017年8月27日まで
太田記念美術館にて


月岡芳年 妖怪百物語月岡芳年 妖怪百物語

2017/08/06

萬鐵五郎展

神奈川県立近代美術館葉山で開催中の『萬 鐵五郎展』を観てまいりました。

去年の夏も葉山まで『クエイ兄弟展』を観に行ったのですが、ちょうど海水浴に行く人たちと時間が重なり、バスを何便も見送るという目にあったので、今回は平日に、時間もずらして行ってきました。

萬鐵五郎というと代表作のいくつかを東京国立近代美術館で観たりする程度で、それほど高い関心は持ってなかったのですが、昨年の東京ステーションギャラリーの『動き出す!絵画』と今年の埼玉県立近代美術館の『日本におけるキュビズム』で萬のさまざまな作品に触れ、にわかに興味を持ち始めました。

本展は今年の春に岩手県立美術館で開催された展覧会の巡回で、萬鐵五郎のここまでの規模の回顧展は約20年ぶりだそうです。水彩、油彩、素描だけでも約360点(前後期展示替えあり)、資料関係を含めると約440点という膨大な量。展示が充実しているのはもちろんですが、ここはスペースも広いので、ゆったりとして見やすいのがいいですね。


Ⅰ. 1885-1911 出発

10代の頃の図画帖や水墨画、洋画風の鉛筆画、水彩画などが展示されていましたが、面白かったのが通信教育で添削された水墨画。明治時代に水墨画の通信教育があったのも驚きなのですが、漁師を描いた絵に頭は6頭身にするようにとか講師のコメントが朱筆で事細かに書かれていて面白い。こうして基礎をみっちり叩き込んだのでしょう、20歳の頃の油彩画「静物(コップと夏みかん)」を観ても描写がとても的確です。

萬鉄五郎 「静物(コップと夏みかん)」
明治38年(1905) 岩手県立美術館蔵

東京美術学校に首席で入学し、卒業するときは19名中16番目だったというのは有名なエピソード。美校時代は「婦人像」のように典型的な外光派の油彩画も残していて、この路線のままいけば卒業も優秀な成績だったかもしれませんが、途中から後期印象派やフォーヴィズムに感化され、画風が一変。当時の美校では全く評価されなかったそうです。

萬鉄五郎 「婦人像」
明治43年(1910)頃 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「点描風の自画像」
明治44年(1911)頃 岩手県立美術館蔵

とはいえ、不評だった卒業制作「裸体美人」も今や重要文化財。そんな「裸体美人」をはじめ多くの萬作品でモデルにもなった“よ志”夫人のコメントが紹介されていましたが、萬の表現主義的暴発に対し「したいようにしたらいい」と言っていたというのが笑えるし、この奥さんあって萬なんだなと思います。

萬鉄五郎 「裸体美人」 (重要文化財)
明治45年(1912) 東京国立近代美術館蔵

萬は自画像も多いんですが、ほんの数年の間でも作風の変化が激しく、さまざまに試行錯誤をしている跡も伺えます。今回の展覧会は一応時代ごとに区分けされているんですが、作品自体が年代順に並んでる訳でないので、表現の変化を細かに見る点ではちょっと分かりづらいのが難点。行ったり来たりして制作年を確認しながら観てました。

萬鐵五郎 「赤い目の自画像」
大正2年(1913)頃 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「雲のある自画像」
明治45~大正2年(1912-13)頃 岩手県立美術館蔵


Ⅱ.1912-1913年 挑戦

卒業後は、若手洋画家の表現主義的な盛り上がりの中で生まれたヒュウザン会(フュウザン会)に参加するなど意欲的な活動がつづきます。萬芸術の基礎となる要素がこの時期にほぼ出揃ったと解説されていました。日傘をさす女性や袴姿、丁字路、飛び込みといった繰り返し描かれるモチーフが現れ、女性の独特のフォルムもこの時期に固まってくるのが分かります。

萬鉄五郎 「女の顔(ボアの女)」
明治45・大正元年(1912) 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎 「風船をもつ女」
大正2年(1913)頃 岩手県立美術館蔵

並んで展示されていた「女の顔」と「女の顔(ボアの女)」の何ともいえない表情が秀逸。「風船をもつ女」もいかにも日本的な女性とフォーヴィズムの色彩の絶妙なバランス(アンバランスというべきか)、写実からは遠いところにあるリアルさが素晴らしい。日本女性を美しく描き出すのではなく、頭の大きさや胴の長さなど欠点や決して美しいわけではない顔の表情を強調することで、独特のリアリティを生み出していることに成功している気がします。

萬鉄五郎 「太陽の麦畑」
明治45・大正元年(1912)頃 東京国立近代美術館蔵

萬の場合、西洋の受け売りじゃなくて、萬ならではの造形や色彩になっているのが凄いと思うんです。毒々しい色彩と荒々しい筆致。つぎつぎと溢れ出るイメージ。中には「ゴッホ?」みたいなのもありましたが。

萬鉄五郎 「仁丹とガス灯」
明治45・大正元年(1912)頃 岩手県立美術館蔵


Ⅲ.1914-1918年 沈潜

生活や制作上の理由から約1年4ヶ月ほど岩手の土沢に移るのですが、この時期の作品は茶褐色の暗い色調や、これまでの激しさとは異なる重苦しい風景画などの作品に占められます。「木の間から見下した町」の気味の悪さ、息苦しさ。他の作品でも道や畑は波打つようにうねり、どことなくムンクを思わせるようなところもあり、萬の絵画制作に対する苦悩や鬱屈とした心の内を見るような気持ちになります。

萬鉄五郎 「木の間から見下した町」
大正7年(1918) 岩手県立美術館蔵

静物画も結構描いているようなのですが、この土沢時代の静物画はいいですね。決して明るくないし、楽しげな生活風景をイメージもできないのですが、家族が身を寄せ合って暮らしている慎ましい生活が滲み出ていて、とても惹かれます。

萬鉄五郎 「薬罐と茶道具のある静物」
大正7年(1918) 岩手県立美術館蔵

こうした暗く土着的な作品群はこの時期だけのようなのですが、カンディンスキーを思わせる作品や未来派のような作品もあったり、表現主義的な傾向もより強まっているところもあって興味深い一方で、ちょっと煮詰まっている感じもあります。

萬鉄五郎 「かなきり声の風景」
大正7年(1918) 山形美術館寄託

興味深いのはこの頃を前後して水墨の南画が増えてくるところ。萬の南画は以前にも観たことはありますが、今回は回顧展というだけあって展示数も多い。油彩とは違う自由奔放な筆遣いで、とりわけ茅ヶ崎移住後の作品は牧歌的な風景や人々が描かれていて観ていて楽しい。水分を含んだ太い墨で輪郭を描いた水墨の「裸婦」は萬の裸婦の独特のフォルムがよく出ていて、とても惹かれました。こうした南画に見られる大らかさは晩年の油彩にも活かされているようです。

萬鉄五郎 「川辺の石垣」
大正3~5年(1914-16) 萬鉄五郎記念美術館蔵(展示は7/30まで)

萬鉄五郎 「日の出」
大正8年(1919)年頃 萬鉄五郎記念美術館蔵(展示は7/30まで)

「もたれて立つ人」といえば、日本のキュビズムのエポックメイキング的な傑作。展示の並びが土沢時代のあとに来るので、土沢でもがき苦しんだ結果、生み出された作品のような印象を受け混乱するのですが、これは土沢に移る前に制作した作品。この時期の萬はキュビズムの研究に没頭するあまり神経衰弱に陥ったともいわれます。キュビズムの試みは少し前から見られ、裸婦画や風景画などにキュビズム様式を感じるものもありますが、特に自画像はピカソの自画像を思わせるものがあったり、「もたれて立つ人」と同じ朱色を使ったものもあったり、いろいろ模索をしていた跡が伺えるし、その結果が「もたれて立つ人」なんだろうと感じます。

萬鉄五郎 「もたれて立つ人」
大正6年(1917) 東京国立近代美術館蔵


Ⅳ.1919-1927年 解放

茅ヶ崎移住後の作品は明るく暖かな色彩に溢れ、肩の力の抜けた作品が目に見えて増えるのが分かります。温暖な気候風土も良い方向に影響したのでしょう。しばらく影を潜めていたフォーヴィズム的な造形も現れ、筆致も明らかにリズミカルです。茅ヶ崎の風景や海、子どもたちを描いた作品も目立ちます。

萬鉄五郎 「水着姿」
大正15年(1926) 岩手県立美術館蔵

体は大人の女性、顔は子どもというユニークは「宙腰の人」、宗達の「松島図」のような海に傘を持つ少女という組み合わせが面白い「水着姿」など、相変わらずインパクトの強い作品があります。この頃の静物画がまたとても良くて、キュビズムを咀嚼したような作品があったり、セザンヌを思わせる作品があったり、興味深い感じがしました。

萬鉄五郎 「ねて居るひと」
大正12年(1923) 北九州市立美術館蔵

萬は41歳で亡くなるので、画業という意味ではわずか20年ぐらいしかないんですね。萬の画風の変遷や日本の近代洋画のエポックメイキング的な傑作の数々を見ていると、あまりそんな風には思えないし、20年の画業とは思えない密度の濃さに驚きます。没後90年でこれだけの規模なんですから、没後100年にはどんな展覧会になるんでしょうか。


【没後90年 萬鐵五郎展】
2017年9月3日(日)まで
神奈川県立近代美術館 葉山にて


万鉄五郎 (新潮日本美術文庫)万鉄五郎 (新潮日本美術文庫)