2010/11/27

吉例顔見世大歌舞伎・昼の部

引き続き昼の部。

今月の昼は『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』の通し狂言です。

通常は悪漢坊主・河内山宗俊を主役にした『天衣紛上野初花 河内山』と、御家人くずれの片岡直次郎を主役にした『雪暮夜入谷畦道』として別々に上演されることの多い狂言ですが、今回は通しでの上演。

通しの場合は『河内山と直侍』と通称で呼ばれ、5年前にも国立劇場で上演されていますが、序幕の「湯島天神境内の場」から大詰めの「池の端河内山妾宅の場」まで全てを通しで上演するのは昭和60年以来! 通しといってもここまでの通しはなかなかお目にかかれないようです。

実は、昨年、歌舞伎座で『河内山』の「松江邸広間より玄関先まで」を観ていて、その前にも同じ幕をテレビで観ていますが、個人的にはちょっと退屈な部類に入る出し物でした。しかも今回は自分の苦手とする幸四郎。菊五郎と時蔵の直侍と三千歳見たさにチケットを取ったものの、一抹の不安を抱えながら、新橋演舞場へ向かいました。

一幕でかかる『河内山』は、出雲守・松江侯のもとで奉公している上州屋の一人娘・浪路が松江侯から妾になるよう迫られ、家に返してもらえないと知った江戸城のお数寄屋坊主(茶坊主)・河内山が、上野寛永寺の使僧と偽って松江屋敷に乗り込み、娘を取り返すというストーリー。今回は通しということで、その前後も語られるというわけです。

前の場面では、金の無心に質屋・上州屋を訪れた河内山が浪路の話を聞き、礼金200両と引き換えに娘を連れ戻すことを請け負います。次の幕で直次郎と恋仲の花魁・三千歳の挿話があって、その次が「松江邸」。そしてあとの場面では再び直次郎と三千歳の逢瀬が描かれ、そして最後の大詰を迎えます。やはり前後の幕があると、話の筋が全て繋がっていくので、まず背景が頭に入ってくるし、登場人物の役柄や人間関係も良く理解できて、とても分かりやすかったと思います。前回退屈でしょうがなかった「松江邸」も今回は非常に面白く感じました。

楽しみだった菊五郎と時蔵の直侍と三千歳も、やはり持ち役だけあり、観ていて安心。思ったとおり素晴らしかったです。「松江邸」では、松江出雲守の錦之助が出色で、独裁的で我がままな嫌な殿様を巧く演じていて、非常に良かったと思います。“ああいう殿様だから”というのが頭にあるので、まわりの彦三郎、錦吾、高麗蔵、そして梅枝も役が生きてきて、また河内山の登場も悪でありながらもヒーロー的な雰囲気が出て、リアルな「松江邸」になった気がします。上州屋の後家おまきの秀太郎や蕎麦屋での按摩丈賀の田之助、蕎麦屋の徳松といった周りの役者も傑作で、当初の不安や予想に反して(?)、非常に満足度の高い今月の歌舞伎でした。

2010/11/26

やけたトタン屋根の上の猫

昨日、新国立劇場でテネシー・ウィリアムズの『やけたトタン屋根の上の猫』を観てきました。

テネシー・ウィリアムズというと、一般ウケする『ガラスの動物園』や文学座のレパートリーとしても有名な『欲望という名の電車』は比較的上演されますが、なぜか『やけたトタン屋根の上の猫』は滅多に上演される機会がなく、今回とても楽しみにしてました。しかも主役がベルリン映画祭で主演女優賞を受賞したばかりの寺島しのぶというホットなキャスティング。チケットもものの数分で完売という人気ぶりでした。

で、お芝居はどうだったかというと、とてもいいんです、とてもいいんですけど、「だけど」がつくというか。期待の寺島しのぶのマーガレット(マギー)が、ちょっと僕のイメージするマギーと違うというか……。

第一幕は寺島しのぶの独壇場で、膨大な台詞を喋るんですが、テンションばかり高くて、もう少し繊細さが欲しかったな、と。 たぶん演出からして、そういうアプローチだったのでしょう。「こんな喜劇的な話だったけ」と思わせるところもしばしば。義姉との応酬は最早コメディでした。<“触らぬもの”状態のゲイの夫から愛を取り戻そうともがく妻>という本来のマーガレットの設定がよく見えないというか、逆に<義父の遺産を得ようと必死で、傷ついたゲイの夫に無神経な妻>という感じに僕には映ってしまいました。マギーの安易な行動が夫の“親友”スキッパーの破滅のきっかけとなり、それが結局は夫婦の不和の原因となり、二人の間に影を落としてるのに、それが感じられなかったのが残念でした。

映画版の『熱いトタン屋根の猫』はプロダクション・コードがあって、オリジナルにあるゲイ的な要素は直接的に描かれていませんが、マギーのアプローチは原作に近いと自分は思っているのです。映画版を観たテネシー・ウィリアムズは激怒した言われていますが、エリザベス・テイラーといい、ポール・ニューマンといい、戯曲の持つ雰囲気が出ていて、あれはあれで成功していると思います。寺島しのぶには、あのエリザベス・テイラーのような魅力が欠けてたような気がします。

ポール・ニューマンが映画で演じたブリックは北村有起哉が演じています。もう少し失望感とか無力感が出ていても良かったかなとも思いましたが、第二幕の父親との“会話”なんて、息もつけない程のものすごい緊張感。T・ウィリアムズ的な絶望の世界を体現していて素晴らしかったです。ブリックの母親役で銀粉蝶が出てて、彼女が台詞を話しだすと、寺島しのぶの影が薄くなるほど存在感があって、さすが舞台女優は違うなと感心しました。

と、偉そうなこと書いてますが、やっぱりテネシー・ウィリアムズはいい。こういう世界、好きだなぁとあらためて思いました(笑)。ただ、あまりに彼は絶望の淵をあからさまに描くので、そうしたものに慣れてない人は直視できないというか、いたたまれない気分になるのだと思います。ブリックと父親がお互いの心の叫びをぶつけ合うシーンなんて、それを直視しなければならない観客は逃げ場さえなくて、どう見ても落ち着かない様子でした。それがテネシー・ウィリアムズの作品がなかなか上演されない理由なのかなとも少し思いました。

2010/11/16

吉例顔見世大歌舞伎・夜の部

今月の新橋演舞場は“顔見世”と銘打つ割には、あまり役者が揃っておらず、また演目も少々地味なんですが、珍しく自分は昼の部も夜の部も観に行くことになりました。

さて、まずは夜の部、『ひらかな盛衰記』(逆櫓)。
義経が木曽義仲を討伐する話を背景とした歌舞伎を代表する義太夫狂言の一つです。船頭松右衛門に幸四郎、その義父・権四郎に段四郎、お筆に魁春、およしに高麗蔵と、華はないものの手堅い役者でまとめられた印象。幸四郎は(いつものことですが)自分に酔ったようなモゴモゴした台詞回しで聴きづらいのが難点ですが、周りの役者も手伝って、芝居は満足のいく内容でした。ただ、第二場の立ち廻りが、幸四郎の動きが鈍く、迫力に欠けるというか、精彩がないというか、なんだか間延びしてしまい、全然緊迫感のないものになってしまったのがとても残念。まぁ、年齢のことを考えるとしょうがないのかもしれません。ただ、ダレた感じも、最後の天王寺屋の登場で一気に引き締まったのはお見事。幸四郎より一回りも年上の富十郎のあの元気はすごいものです。

続いては20分ぐらいの短い舞踊で『梅の栄』。
前半は、種太郎、種之助、米吉、右近という次世代を担う御曹司たちが踊り、後半は芝翫と孫の宜生が登場するという趣向です。若い4人は、種太郎を除いてはみんなまだ10代で、年長の種太郎と舞台経験の多い右近は見れたものの、他は顔見世の舞台で踊らせるのはどうかと思うような内容。芝翫も、さよなら公演で孫と踊っただろうにまたかという感じ。去年の『雪傾城』で成駒屋の孫の中ではまだ筋の良かった宜生に今回白羽の矢が立ったのがまだ救いでしたが(とはいえ、まだ9歳…)、こういうのは大歌舞伎ではなく、成駒屋の発表会や俳優協会のイベントのようなところでやってもらいたい。ファンとしては、芝翫ならではの舞踊が見たいものだし、余程『逆櫓』や昼の『河内山』でもいいから狂言の方に出て欲しかった気がします。

最後は、菊五郎劇団による今月の眼目『都鳥廓白浪』(忍ぶの惣太)。
京の吉田家でお家騒動が起こり、嫡子松若丸は行方知れず。弟・梅若丸は江戸まで逃げ延びますが、目の不自由な忍ぶの惣太に誤って殺されてしまいます。忍ぶの惣太は実は吉田家の家臣で、家宝・都鳥の印を手に入れるものの、今度は傾城花子に中身をすり替えられてしまい、その花子は盗賊・霧太郎の仮の姿で実は松若丸だったという「実は…実は…」のオンパレードな河竹黙阿弥の白浪物です。

自分にとって、歌舞伎座さよなら公演以来の菊五郎・菊之助・時蔵とあって、非常に楽しみにしていました。誰々が実は何々でという芝居は歌舞伎には多くありますが、『忍ぶの惣太』はそういう登場人物がかなりいて、しかも展開が結構スピーディーなので、付いていくのもちょっと大変でしたが、見せ場も多く、申し訳ないけど『逆櫓』と違って役者に華があって、存分に楽しめました。また、萬次郎や團蔵、そして歌六と脇を締める役者も申し分なし。丑市の内縁の妻役の芝喜松が好演していて、同じく女に現を抜かす夫を持つお梶の時蔵が淡白な演技でちょっと物足らなかったのに比べ、芝喜松はこってりと芸達者なところをみせ笑わせてくれました。最後の“おまんまの立廻り”も、花子初役の菊之助が力を入れているだけあり、見どころ十分。菊五郎が霧太郎のちょっと間の抜けた手下・峰蔵として登場するのですが、菊五郎らしい可笑しみたっぷりで、最後の最後まで飽きさせませんでした。

昼の部の感想はまた後日。

2010/11/10

東大寺大仏―天平の至宝―

先日、東京国立博物館で開催中の『東大寺大仏展』に行ってきました。

といっても、大仏様は来ておりません。当たり前ですが。

それでもなんで、“大仏展”か? まぁ、ちょっと誇大広告的なタイトルという感じもなきにしもあらずですが、要は“大仏造立にかかわる作品を通して、「奈良の大仏」の寺として、現代に至る まで広く信仰を集め、日本文化に多大な影響を与えてきた東大寺の歴史”を辿るものなのだそうです。それならただの“東大寺展”でも良かったような気もする のですが、“大仏”はこだわりなんでしょうね…。

それでも、会場内には、東大寺の大仏殿の前にデーンと置いてある高さ約4.6メートルの「八角燈籠」(国宝)が持ち運ばれていたり、バーチャルリアリティで盧舎那仏(大仏)が再現されていたり、国宝・重文クラスの大変貴 重な仏像や宝物などが展示されていたりと、さすが“東大寺”という力の入れようでした。

「八角燈籠」(国宝)

個人的にとても観たかったのが、国宝の「誕生釈迦仏立像」。お釈迦様の誕生日である灌仏会のときに、この仏さまの頭から甘茶をかけるのだそうです(現在はレプリカを使っているようですが)。下の丸いお椀はその受け皿になっています。こうした誕生仏に甘茶をかける儀式は昔からあって、誕生仏もいくつも現存しているようですが、東大寺のこの「誕生釈迦仏立像」はそうしたものの中で一番大きいのだとか。

「誕生釈迦仏立像」(国宝)

11/2~11/21までは、東大寺にある正倉院の貴重な宝物も展示されています。先日、約1250年間も行方が分からなかった正倉院宝物の幻の大刀が、 実は明治時代に大仏様の足元から発見されていた国宝の大刀だったということが分かり、ニュースで話題になっていましたが、それと同様に大仏様の足元から見 つかった数々の宝物も展示されています。残念ながら、話題の「金銀荘大刀」は展示されていませんでしたが、別の「金銀荘大刀」が展示されており、その大刀 もこれから調査を行うのだとか。また近々新たな発見があるかもしれません。

当然、正倉院の宝物が期間限定展示があるということは、入れ替えになる作品もあるということで、「菩薩半跏像」(重要文化財)や「花鳥彩絵油色箱」(国宝)などが一時お休み中。これらの作品は、11/23からまた展示されるのだそうです。

「伎楽面 酔胡従」(重要文化財)

基本的には年代順に展示されていて、東大寺の創建に始まり、大仏の造立、そして天平の文化を紹介して、鎌倉時代以降の復興にスポットを当てています。鎌倉 時代以降のコーナーには仏像も多く展示されていて、平家による焼き打ちから東大寺を再興させた重源上人の坐像や快慶作の「阿弥陀如来立像」(重要文化財)など素晴らしい作品も多くあります。

「重源上人坐像(部分)」(国宝)

会場の最後のコーナーには、先日三井記念美術館で鑑賞したばかりの「五劫思惟阿弥陀如来坐像」もいらっしゃってました。やっぱりファンキー (笑)


光明皇后1250年御遠忌記念
特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」
東京国立博物館にて
12/12(日)まで
http://todaiji2010.jp/