2014/02/26

ザ・ビューティフル 英国の唯美主義 1860-1900

『ラファエル前派展』につづいて、三菱一号館美術館で開催中の『ザ・ビューティフル 英国の唯美主義 1860-1900』に行ってきました。

本展はイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館の所蔵作品を中心に、19世紀後半の耽美主義(唯美主義)を代表する絵画や本の挿絵、工芸品、宝飾品など約140点を紹介した展覧会。2011年にヴィクトリア&アルバート博物館で開催された『The Cult of Beauty: The Aesthetic Movement 1860-1900』を日本向けに新たに構成しなおしたということです。

英語のタイトルは『Art for Art’s Sake (芸術のための芸術)』。芸術至上主義、美のための美を追求したイギリスの唯美主義の美術にスポットを当てた総合的な展覧会としては日本初なのだとか。




19世紀半ばの美術やデザインの世界はさまざまな形式や理論が入り乱れていて、そこに「ひとつの明確で革命的な理想」として現れたのが“唯美主義”であると会場の説明にありました。

 ウィリアム・ド・モーガン 「大皿」
1888年頃 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

唯美主義の芸術家やパトロンの邸宅を飾ったのがこうした工芸品で、それは必需品であり、ステータスであったようです。ヒマワリや孔雀は唯美主義のシンボルとして、いろいろな作品にたびたび登場します。

エドワード・バーン=ジョーンズ 「ヘスペリデスの園」
1882年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

バーン=ジョーンズの「ヘスペリデスの園」は装飾性が高く、なんともゴージャスな作品。表面は浅浮彫りで細工され、仕上げに金と白金の箔が貼られています。


新たな美の探求

『ラファエル前派展』を観てきた流れで考えると、ロセッティやミレイあたりが唯美主義の原点なのかなとばかり思っていたのですが、そうした前衛の画家だけでなく、正統派の画家の中でも伝統的な主題にとらわれず、フォルムや色彩の美を追求した唯美主義者がいたとありました。ワッツやフレデリック・レイトンがその代表的な画家のようです。

ジョージ・フレデリック・ワッツ 「孔雀の羽を手にする習作」
1862-65年頃

ワッツというと象徴主義の代表作「希望」を思い浮かべますが、もともとはイタリア・ルネサンスに影響を受けだ画家だそうで、この「孔雀の羽を手にする習作」は白く柔らかな肉感の中にも美しさや色気が前面に出ていて、古典的な女性像にはない官能性が際立っています。会場の解説に「女性を単に美の対象として見るのではなく、モデルの性的な魅力を率直に楽しむように描いた」ということが書いてあったのですが、この辺りから裸婦画に性的な意味が盛り込まれるようになったということなんでしょうか。

そのほか、レイトンの「パヴォニア」やロセッティの「愛の杯」がとても印象的。ロセッティによる装幀や挿絵なども展示されています。


遠い過去、遥かなる場所Ⅰ ジャポニス
遠い過去、遥かなる場所Ⅱ 古代文化という理想


唯美主義の芸術家やデザイナーは当時ヨーロッパでブームになっていたジャポニスムや、また古代ギリシャ美術をイメージソースにした作品を発表します。

勉強不足だったんですが、“アングロ・ジャパニーズ”という様式を始めて知りました。日本美術や特に浮世絵の色彩やデザインに影響を受けたインテリアや家具デザインのことで、多様な装飾的要素を組み合わせ、形態の軽快さや美しさにポイントを置いていたということです。ゴドウィンの装飾デザインや生地見本帳、ホイッスラーによる花瓶など、日本的なものにヨーロッパの美的センスが融合していて興味深いものがあります。

アルバート・ムーア 「黄色いマーガレット」
1881年 郡山美術館蔵

フレデリック・サンズ 「メディア」
1866-68年頃 バーミンガム美術館蔵

ムーアの「黄色いマーガレット」は古代ギリシャの女性像を彷彿とさせつつも、写実的な質感と色彩が陶然とするほどの美しさ。「メディア」はサンズの代表作とのこと。メディアのドラマティックで呪術的要素が伝わってきます。ほかに、アルマ=タデマのデザインによる腕輪や肘掛け椅子も見もの。


唯美主義運動とグローヴナー・ギャラリー

唯美主義のサロン的な役割を果たしたロンドンのグローヴナー・ギャラリーに所縁の作品を展示。縦に細長いキャンバスに女性の全身を彫像のように描き、まわりに花をあしらったムーアの「花」がここでも素晴らしい。

ウィリアム・ブレイク・リッチモンド 「ルーク・アイオニディーズ夫人」
1882年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

フレデリック・レイトン 「母と子(さくらんぼ)」
1864-65年頃 ブラックバーン美術館蔵

≪「美しい人々(上流人士)」と唯美主義の肖像画≫では、リッチモンドの「ルーク・アイオニディーズ夫人」とレイトンの「母と子(さくらんぼ)」が秀逸。リッチモンドの衣装の質感やレイトンの百合やサクランボの写実を超えた美しさには目を見張ります。「ルーク・アイオニディーズ夫人」には背景に手の込んだ刺繍が施された日本の絹地が、「母と子」には鶴の屏風が描かれ、ともに当時のジャポニスム・ブームがいかにヨーロッパの生活に受け入れられていたかがよく分かります。

エドワード・バーン=ジョーンズ 「ブローチ」
1890年頃 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

バーン=ジョーンズのデザインによるトルコ石や珊瑚、真珠、ルビーを象嵌したブローチや、象牙と黄水晶を象嵌したブローチなど、女性でなくとも綺麗だなと思う作品がズラリ。


ホイッスラーとゴドウィン

モリスやホイッスラーと関係の深かった建築家ゴドウィンによるデザイン建築図やデザイン画から飾り戸棚やテーブルまで、またホイッスラーのエッチング作品などを展示しています。ちなみに、出品リストでは≪唯美主義運動とグローヴナー・ギャラリー≫の前にあるのですが、実際にはそのあとに展示されています。

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー 「ノクターン: 黒と金-輪転花火」
1875年 テイト蔵

グローヴナー・ギャラリーに展示されたホイッスラー作品を、かつてラファエル前派を高く評価していた評論家ラスキンが酷評したことがきっかけで裁判沙汰になります。「ノクターン: 黒と金-輪転花火」はそのとき展示されていたホイッスラー作品の一枚。当時ホイッスラーは夜景の闇と花火などの瞬間的な光の美しさに強い関心を示し、類似の作品を多く残しているようです。ちなみに、ホイッスラーは勝訴するも裁判費用のため破産してしまったのだとか。

テムズ川、ヴェネチア、アムステルダムをそれぞれ描いたホイッスラーのエッチングもとても印象的でした。


「ハウス・ビューティフル」

唯美主義の絵画芸術の盛り上がりとともに、室内装飾への関心が高まったといいます。ここでは当時の室内装飾の様子を絵画やデザインから観ていきます。

アンナ・アルマ=タデマ 「タウンゼンド・ハウス 応接間、1885年9月10日」
1885年 ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ蔵

まず目を見張るのは、アンナ・アルマ=タデマの「タウンゼンド・ハウス 応接間」。アンナ・アルマ=タデマはイギリスを代表するヴィクトリア調時代の画家ローレンス・アルマ=タデマの娘で、本作はローレンスの自宅兼アトリエを描いたもの。なんとアンナが17歳のときの作品だそうです。父譲りの精緻で写実的な美しい作品。調べても検索に引っかからないので、画家としては活躍しなかったのかもしれませんが、「才能あるアマチュア画家」とパネルで解説されていた通り、恐るべき才能の持ち主だったようです。

ウォルター・クレイン 「奥方の部屋」
1881年頃 スティーブン・キャロウェイ・コレクション

アーツ&クラフツとも関わりの深い挿絵画家クレインの「奥方の部屋」も素敵です。当時の最先端のお洒落な生活って、こんなだったんでしょうね。


「美術産業製品」 -唯美主義のデザイナーと営利主義

さて、一つ階を降りて2階の会場へ。
ここではクレインがデザインを手がけた壁紙やバーン=ジョーンズのお皿、ケイト・グリーナウェイやド・モーガンのタイルなど、色彩や模様の美しさが素晴らしい当時の商業製品を展示。ウィリアム・モリスの「家には役に立つと思うか美しいと信ずるもの以外置かないように」という言葉に、自分の家の中を見渡してしまいました(笑)


オスカー・ワイルド、唯美主義運動と諷刺

ここでは唯美主義の象徴として、時代の寵児となったオスカー・ワイルドの本の装幀やビアズリーによる挿絵、また当時の唯美主義者を揶揄した風刺画などが展示されています。

ワイルドは作品の内容が物議を醸すなど常に注目を集めいていたのは知られていますが、当時は唯美主義者そのものが不健全とか変人扱いされていて風刺の対象になっていたということは知りませんでした。しかし、ワイルドの名が唯美主義と同義語になっていたことが災いし、アルフレッド・ダグラスとのスキャンダルでワイルドが身の破滅を招くと、唯美主義の人気も評価も失墜してしまったといいます。

オーブリー・ビアズリー 「クライマックス -サロメ」
1907年(1894年初版) ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

ワイルドの享楽的で扇情的な作風とビアズリーの耽美的で画風は、その時代の退廃的な、デカダンスなムードと相俟って、唯一無二の組み合わせだったのだなと強く感じます。

シメオン・ソロモン 「月と眠り」
1894年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

『ラファエル前派展』でも気になっていたソロモンも数点展示されていました。いま観るとそれなりに評価ができると思うのですが、当時はこの同性愛的な表現はどう受け取られていたのでしょうかね。


輝かしい落日 -唯美主義後期の絵画と「ニュー・スカルプチャー」

最後に19世紀末の絵画や写真、また彫刻を紹介しています。本展のメインビジュアルに使われているムーアの「真夏」はここに登場。鮮やかなオレンジ色の衣装とマリーゴールドの花環、またシンメトリーな構図がとても印象的です。ムーアの作品は「主題をもたない」と評されていますが、この絵に意味するものはなくとも、芸術のための芸術、美の極致を描こうとする確固とした意思は伝わってきます。

アルバート・ムーア 「真夏」
1887年 ラッセル=コート美術館蔵

19世紀後半のイギリスの芸術運動をただ絵画の側面だけで見るのではなく、美術工芸品も含めその特色を探るという意味で非常に興味深い展覧会でした。会場の三菱一号館美術館は英国人建築家ジョサイア・コンドルが設計(明治27(1894)年に竣工)したもので、19世紀末の英国的な雰囲気を今に伝える空間でこれらの芸術作品を鑑賞できるというのもプラスだと思います。


【ザ・ビューティフル -英国の唯美主義 1860-1900】
2014年5月6日まで
三菱一号館美術館にて


モリスが先導したアーツ・アンド・クラフツ―イギリス・アメリカモリスが先導したアーツ・アンド・クラフツ―イギリス・アメリカ


もっと知りたいバーン=ジョーンズ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたいバーン=ジョーンズ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)


オーブリー・ビアズリーオーブリー・ビアズリー

2014/02/25

ラファエル前派展

六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催中の『ラファエル前派展』に行ってきました。

過度に甘美でロマンティックな女性賛美というか、その独特のムードがちょっと苦手でこれまで積極的には観てこなかったのですが、ラファエル前派から象徴主義、耽美主義にかけての英国絵画を取り上げた2つの展覧会がちょうど都内で同時開催されていましたので、せっかくの機会ですから一緒に観て参りました。

まずは『ラファエル前派展』から。

本展はロンドンのテートを皮切りに、モスクワ、ワシントンと回ってきた巡回展だそうで、テート所蔵の72点の作品が展示されています。

“ラファエル前派”とは、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハントの3人の美術学生によって1848年に結成された「ラファエル前派兄弟団」がベースで、当時のイギリスのアカデミズム偏重の美術教育に異を唱え、イタリア・ルネサンスの画家ラファエロに象徴される古典主義的な形式や慣例にとらわれない絵画を目指そうという芸術運動のこと。本展では“ラファエル前派”の3人の作品を中心に、第二世代のウィリアム・モリスやエドワード・バーン=ジョーンズらの作品、また“ラファエル前派”を中心とした人間関係にスポットを当てています。


1. 歴史 | History

歴史画は当時のイギリスでは最も上位におかれたジャンルで、ラファエル前派の画家たちは古典的な型に縛られない、リアルで独創的な歴史画を再構築します。

ここでの見ものは、なんといってもミレイで、その精細で極めて高い写実性と大胆な構図、そして美しい色彩にまず驚かされます。ハムレットの恋人オフィーリアを描いた「オフィーリア」はラファエル前派の最高傑作といわれるだけあり、その幻想的で、どこか崇高で、超越的な美の世界に目を奪われます。モデルは後にロセッティの妻となるエリザベス・シダルで、シダルは湯をはったバスタブで長時間ポーズをとらされたため風邪をひいたというエピソードが紹介されていました。

ジョン・エヴァレット・ミレイ 「オフィーリア」
1851-52年

ジョン・エヴァレット・ミレイ 「マリアナ」
1850-51年

ミレイでは、シェイクスピアの『尺には尺を』を題材に、婚約者に捨てられた女性の嘆きと孤独な心情を端正な筆致と豊かな表現力で描いた「マリアナ」にも強く惹かれました。その色彩の美しさには思わず見とれてしまいます。優れて写実的な「釈放令、1746年」や、ペン画の「マティルダ王妃の墓あばき」など、ミレイの極めて高い画力に唸らされます。

ウィリアム・モリス 「麗しのイズー」
1856‐53年

気になったのはモリス唯一の油彩画という「麗しのイズー」。モリスは人物描写が得意でなかったそうで、平面的なところもありますが、それこそルネサンス以前の装飾絵画のよう。イゾルデの後側に竪琴を弾くトリスタンが描かれていたりします。そのほか、ヘンリー・ウォリスの若き詩人の死を劇的に描いた「チャタートン」やアーサー・ヒューズの三幅の祭壇画「聖アグネス祭前夜」も良かったです。ヒューズの「四月の恋」はちょっと苦手。


2. 宗教 | Religion

中世キリスト教絵画の図像や形式を写実性と独創性で復活させたラファエル前派の宗教画を紹介。

ジョン・エヴァレット・ミレイ 「両親の家のキリスト(大工の仕事場)」
1849-50年

ミレイの「両親の家のキリスト(大工の仕事場)」はイエスやマリア、ヨセフといった聖家族を、理想化された姿として描く伝統的な宗教絵画から逸脱し、労働者や庶民に置き換えて描いたため、ディケンズや批評家からは集中砲火を浴びたのだとか。今観ると温かな人間味に溢れた作品に思えますが、当時はそれがセンセーショナルだったんでしょうね。キリストは釘で手に傷を負っていて、キリストの磔刑をほのめかしているなど、キリスト教的な記号やメタファーが多く指摘されています。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「聖カタリナ」
1857年

中世の宗教画のようなフォード・マドックス・ブラウンの「ペテロの足を洗うキリスト」、ドラマ性を感じるウィリアム・ベル・スコットの「大洪水の前夜」あたりは好み。ロセッティも「聖カタリナ」「ナザレのマリア」「礼拝」と良作が揃っていますが、それほど技量が優れてるという感じはせず、まだ後期のような耽美的傾向もありません。


3. 風景 | Landscape

これもやはりルネサンスから続く古典的な風景画とは一線を画した、自然に忠実で、精細な風景画で、こうした近代的な風景画がフランスの印象派などとほぼ同時期(というより少し早く)に発生していたことは面白いところです。

ウィリアム・ダイス 「ペグウェル・ベイ、ケント州 -1858年10月5日の思い出」
1858-60年

個人的に惹かれたのはダイスの「ペグウェル・ベイ、ケント州 -1858年10月5日の思い出」で、前景と後景のバランスも良く、自然を正確に写し取ろうという気概が伝わってきます。それでいて人々の顔を異様に白くし、全体的な色のトーンをまとめていたり、上部に彗星を描いたり、いろいろ興味の尽きない作品でした。


4. 近代生活 | Modern Life

単に社会改革による生活の変化や風俗を描くということだけでなく、ラファエル前派の画家たちはそこに社会への鋭い批評性を持ち込もうとしたようです。そのあたりが若い画家集団の勢いというか生真面目さというかユニークさを感じます。

ウィリアム・ホルマン・ハント 「良心の目覚め」
1853-54年

メインで取り上げられているのがハントの「良心の目覚め」で、男に囲われていた女性が自分の生き方に罪深さを覚え立ち上がるという絵なのですが、絵がストレート過ぎて、なんかこっちが気恥ずかしくなります。絵の中には象徴的なモチーフも描かれていたりして、メッセージ性にこだわっているようです。

ロバート・ブレイスウェイト・マーティノウ 「我が家で過ごす最後の日々」
1862年

面白かったのはマーティノウの「我が家で過ごす最後の日々」。イギリスの典型的な“家族の肖像(Conversation Pieces)”というジャンルを踏襲したような絵で、それでいてラファエル前派らしく精細な描写で、古典的なモチーフを当世風にアレンジしたところが面白いなと思います。


5. 詩的な絵画 | Poetic Painting

ロセッティは1950年代半ばに展覧会への出品をやめ、自然主義的な作品からも離れ、ダンテの詩やアーサー王伝説などを題材にした中世風の作品制作に没頭するようになったといいます。ここではロセッティの作品のほか、ロセッティの妻シダルやバーン=ジョーンズらの作品を紹介しています。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「ベアトリーチェの死の幻影を見るダンテ」
1856年

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「ダンテの愛」
1860年

この頃のロセッティの作品はロマン主義的な色合いが濃く反映されていて、色彩や装飾性の点でも独特の傾向がはっきりと出てきているのが分かります。ロセッティの肖像画を見るとなかなかのイケメンで、実生活でもシダルという婚約者(後に結婚)がいながらも、後にモリスの妻となるジェーン・バーデンと関係を持ち、長年に渡って三角関係を続けたとか、どの絵が誰がモデルだとか、会場にはそうした情報も細かく解説されていました。(個人的にはそうしたゴシップには興味がないので省きますが)

シメオン・ソロモン 「ミティリニの庭園のサッフォーとエリンナ」
1864年

ソロモンの「ミティリニの庭園のサッフォーとエリンナ」は明らかに同性愛を示唆したような作品で、このあたりも退廃的な唯美主義や象徴主義美術の前触れを見ることができるようです。ちなみにソロモンは同性愛の罪で逮捕され、その後の画家人生を絶たれます。


6. 美 | Beauty

1860年代以降の作品を中心に展示。この頃になると、「芸術のための芸術」を目指す唯美主義的な傾向が顕著になり、色彩や形式の美を追求しようという新たな表現形式の時代に入っていることが分かります。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「最愛の人(花嫁)」
1865-66年

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「プロセルピナ」
1874年

ロセッティは1850年代末に油彩画に復帰したそうですが、その作品は初期ラファエル前派の頃のものとは大きく異なり、豊かな装飾性と濃厚な色彩、そして女性の官能美に溢れています。「最愛の人(花嫁)」は東洋風の衣装(日本の着物らしい)や黒人の少女といった異国趣味を前面に出していて、それがより一層女性の官能的な姿を強めています。「プロセルピナ」はローマ神話の女神で、冥界のザクロを食べてしまったため一年のうち半分は冥府にいなければならなくなったという神話を描いたもの。暗い画面に一際目立つザクロの赤さとうなじが何かエロティックな印象さえ与えます。

ほかにロセッティの代表作の一つという「ベアタ・ベアトリクス」も展示されています。ダンテの愛したベアトリクスにロセッティの早世した妻シダルを重ね合わせて描いたという作品で、シダルがアヘンの過剰摂取で亡くなったことと関連しているのか、鳥がケシの花を加えていたりします。


7. 象徴主義 | Symbolism

最後は象徴主義。ここではロセッティの唯美主義的な絵画を引き継いだバーン=ジョーンズの作品3点を展示。「「愛」に導かれる巡礼」は『薔薇物語』の一場面を描いた作品で、制作に20年をかけ、死の前年に完成させたのだそうです。旅の詩人が「愛」に導かれる図ということですが、天使の羽は黒いのですね。

エドワード・バーン=ジョーンズ 「「愛」に導かれる巡礼」
1896-97年

ラファエル前派の画家の展覧会は時々あって、「オフィーリア」も何度も来日しているようですが、テート所蔵の優品をごっそり持ってきて、体系的に見せていく展覧会としては過去最大級とのこと。ラファエル前派にあまり親しんでなかった自分もとても面白いと感じる展覧会でした。人間相関図なども紹介されていて、ラファエル前派の背景もよく分かります。ラファエル前派のことをちゃんと知りたいという方にはもってこいなのではないでしょうか。三菱一号館美術館の『ザ・ビューティフル 英国の唯美主義 1860-1900』と併せて鑑賞されると、より楽しめると思います。


【テート美術館の至宝 ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢】
2014年4月6日(日)まで
森アーツセンターギャラリーにて


美術手帖3月号増刊 ラファエル前派 19世紀イギリスの美術革命美術手帖3月号増刊 ラファエル前派 19世紀イギリスの美術革命


ラファエル前派の世界ラファエル前派の世界

2014/02/24

アルトナの幽閉者


新国立劇場でサルトルの『アルトナの幽閉者』を観てきました。

重い話で台詞量がハンパなくて3時間半でしかもサルトル! どっと疲れましたが、なかなか見応えのある芝居でした。

舞台は第二次世界大戦終戦から13年の時が経ったドイツ。自分の死期を悟った父は、いまやドイツ有数の企業に成長した造船会社を次男に委ねようとするのですが、次男の嫁の激しい抵抗に遭います。実は家の2階には死んだはずの長男が“幽閉”されていて、次男の嫁がパンドラの箱を開けたとき、13年保たれていた家族のバランスが崩れていきます。

長男フランツは狂気に囚われ、30世紀の法廷でドイツ人の戦争犯罪を「蟹たち」に向かって弁護するという妄想に取り憑かれています。舞台の進行とともに、彼を狂気に至らせた3つの事件(脱走したユダヤ人を匿った事件、前線での従軍体験、妹を強姦しようとしたアメリカ人への傷害事件)が語られ、フランツの心の傷の深さと、父や妹との複雑な関係が徐々に明らかにされます。

隣国との緊張関係、きな臭いナショナリズムの動き、そしてここにきて『アンネの日記』の破損事件・・・戦後ドイツと戦争責任を扱った芝居を意図あって今出してきた訳ではないと思うのですが、こんなときに観ると過去の戦争の暗部を描いた芝居が何か現代日本への皮肉のようにも思えてきます。

そんな重苦しく出口の見えない話ですが、その閉塞感もただ息苦しいだけに終わらず、悲劇が喜劇に思える瞬間さえあるのは今の時代の感性だからなのか、若い演出家や役者によるものだからなのか。ただそれが芝居に独特の面白味を与えていて、退屈させません。

時折挟まれるフラッシュバックの演出の巧さ。芝居のリズムを止めることなく、逆に芝居にリアリティとより一層の緊迫感を与えることに成功しています。そして充実した俳優陣。何より緩急自在に狂人を演じた岡本健一が素晴らしい。狂気の世界と現実の狭間で生きるフランツを、膨大な台詞に溺れることなく自分の言葉で表し、さらに生きることの辛さとその裏腹なおかしみまで表現した彼の圧倒的な表現力が、この芝居をここまで“見せる”ものにしたといっていいでしょう。

『アルトナの幽閉者』はある意味、父と子の愛憎劇でもあり、息子を愛しながらも長年避けてきたために、どう向き合えばいいのか苦しむ父を演じた辻萬長が安定した上手さを見せます。最初は高い声が耳について嫌だなと思った妹レニの吉本菜穗子も、気が付けばその芝居に引きこまれている自分がいました。弟の妻ヨハンナの美波も難しい役どころを的確に演じていたと思います。

日本でもいろんな問題が根深くあるように、ドイツでもアウシュビッツの元看守3人が拘束されたというニュースがつい先日流れていたりと、戦争から何十年も経っているにもかかわらず、いまだに多くの人が戦争と対峙しています。そうした問題をある家族の中に凝縮した芝居と言えるのかもしれません。幽閉されていたのは実はフランツだけでなく家族全員だったわけですが、幽閉から解放された先にあるものは何かを考えさせられる芝居でした。


劇作家サルトル劇作家サルトル

2014/02/08

野見山暁治展 いつかは会える

ニューオータニ美術館で開催中の『野見山暁治展 いつかは会える』に行ってきました。

現在94歳。いまも現役で活動を続ける日本を代表する画家・野見山暁治。本展は、2008年に開業した東京メトロ副都心線の明治神宮前駅に飾られているステンドグラス「いつかは会える」や、JR博多駅にある「海の向こうから」、同じく福岡空港国際線ターミナルの「そらの港」の3点のステンドグラス作品の原画をはじめ、ここ10年程の近作を中心とした展覧会です。

もうかれこれ10年ぐらい前に東京国立近代美術館で開催された『野見山暁治展』を観ているのですが、あのときでさえ既に齢80を越えていて、元気な方だなと感心していたのですが、それが今も変わらず精力的に作品を発表しつづけているのだから驚きです。

会場はステンドグラスの原画ごとに、≪いつかは会える≫,、≪海の向こうから≫、≪そらの港≫と章を分け、それそれの作品と同時期に描かれた作品を併せて展示しています。

明治神宮前駅のステンドグラスの「いつかは会える」を観たときは意外とポップな色調だなという印象を受けた記憶があるのですが、原画はステンドグラスと違って、くすんだ色というか、ローキーな感じ。ステンドグラスは光が入りますから、印象も変わってくるんでしょうね。原画の方が確かに野見山暁治らしい絵だなという気がします。

野見山暁治 「いつかは会える」(ステンドグラス原画)
2007年

野見山暁治がステンドグラスの原画を制作するようになったいきさつはよく知らないのですが、「いつかは会える」は初めてのステンドグラス作品だそうで、約1年半の歳月を要したといいます。そしてその後、博多駅や福岡空港のパブリックアートに携わるわけですが、考えてみるとそれぞれ、87歳、90歳、92歳のときに発表してるわけで、その衰えを知らぬ意欲というか挑戦力にはただただ脱帽です。

野見山暁治 「そらの港」(ステンドグラス原画)
2012年

だけどなんですね、2011年のブリヂストン美術館の展覧会を観に行かなかったものですから、野見山暁治の作品を展覧会でちゃんと観るのは10年ぶりぐらいなんですけど、その作品の変貌ぶりというか、進化というか、深化というか、そこが個人的には一番衝撃でした。

ググったら、数年前にこんなことを言ってました。「画面にひしめく形が掻き消え、痕跡さえ見当たらない空間、何かが充満した空白」を描きたいと最近は思ってると。まだまだ発展を続けそうな予感。

野見山暁治 「誰にも言うな」
2008年

展示されていた近年の作品群の中では、黒く塗りつぶされた手のひらのような形が威圧感を与える「誰にも言うな」や、青い波と白い波間のシンプルな「遠い海から」、ハート形を包むように幾重にも色がる線が印象的な「ずっとここに居る」、絵から強い意志が伝わってくるような「ぼくは信じない」あたりが印象的でした。

野見山暁治 「渋谷風景」
1938年

一番奥の部屋では、≪これまで見てきた景色≫と題し、戦前戦後の作品を中心に、野見山暁治のこれまでの足跡を振り返っています。16歳のときに描いた自画像や、美校時代のセザンヌ風の風景画、キュビズムに影響を受けていた頃の作品など15点ほどが展示されていました。たぶん以前、展覧会で観た作品もあるとは思うのですが、暗く重い色調の「骸骨」や「花と瓶」あたりが個人的には好きです。フランシス・ベーコンの立方体の枠線を思わせる作品もあり、ちょっと興味深かったです。

野見山暁治 「花と瓶」
1948年

出品数は36作品と少ないのですが、その内の半分以上がステンドグラス作品に携わる以降(つまり87歳以降!)の作品で、老いを全く感じさせないパワーに圧倒される展覧会でした。さらに研ぎ澄まされていく94歳の現役画家の“いま”が分かってとても面白かったです。

ところで、正式発表はまだないのですが、ニューオータニ美術館が閉館するとのウワサがありますが、この展覧会が最後になってしまうんでしょうか。それとも“いつかは会える”んでしょうか。気になるところです。

※その後、本展覧会をもって休館をすると正式に発表がありました。

2014/02/03

世紀の日本画 [前期]

≪日本美術の祭典≫三本目は東京都美術館で開催中の『世紀の日本画』へ。

こちらは前・後期に分け、全ての作品が入れ替わるとのこと。まずは前期展示を観てまいりました。

本展は、岡倉天心のもと、橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草らによって創設されたものの、その後解散状態にあった日本美術院が大正2年(1914年)に再興されてから100年を記念しての展覧会。

なので、日本美術院で活躍した画家や、過去に会員だったことのある画家に限られていて、“世紀の”と銘打っているからといって、近代日本画史に燦然と輝く傑作とかがズラリ並んでるというわけではありません。

とはいえ、そこは近代日本画の中心にあり、今もわが国最大の日本画の美術団体である日本美術院の記念展だけあって、出展されている作品は日本美術院の画家の代表作、名作ばかり。日本美術院の歴史はそのまま近代日本画の歴史でもあるのだとよく分かる展覧会です。


第1章 名作で辿る日本美術院の歩み

まずは最初の近代日本画家といわれる狩野芳崖の作品から。芳崖は日本美術院の創立には直接関わっていませんが、狩野派の伝統を基本としながらも日本画の新たな可能性を示し、岡倉天心とともに日本美術院の基礎を築いたと評価されているそうです。前期は晩年の代表作「不動明王」が、後期には芳崖の最高傑作「悲母観音」が展示されます。

狩野芳崖 「不動明王」(重要文化財)
明治20年(1887) 東京藝術大学蔵 (展示は2/25まで)

となりには橋本雅邦の代表作「白雲紅樹」。藝大美術館の所蔵作品展などで何度か拝見していますが、非常に大きな作品で、狩野派の伝統を基礎としながらも空間遠近法と彩色で奥行き感を出し、よく見ると岩の上に小さな猿が描かれていたり、ダイナミックな印象を与える構成になっています。

橋本雅邦 「白雲紅樹」(重要文化財)
明治23年(1890) 東京藝術大学蔵 (展示は2/25まで)

ほかに、菱田春草の「四季山水」、下村観山の代表作「弱法師」といった初期日本美術院を代表する画家の作品が並びます。土牛にしてはモダンな感じの「閑日」も素敵でした。

奥村土牛 「閑日」
昭和49年(1974) 東京国立近代美術館蔵 (展示は2/25まで)


第2章 院展再興の時代 大正期の名作

ここでは日本美術院が再興した大正時代の代表作を展示しています。何はさておき、やはり大観と観山で、大観は代表作の「遊刃有余地」、観山は『下村観山展』にも出ていた「白狐」と、岡倉天心を描いた絵の画稿(実際の作品は震災で焼失)が出品されています。西洋画から日本画に転向したあと、昭和初期まで日本美術院に在籍していた川端龍子の作品もあったのですが、これはこれで池の情景やカワセミの描写が素晴らしいのですが、この時代の代表作なら「慈悲光礼讃」も観たかったかなと。

川端龍子 「佳人好在」
大正14年(1925) 京都国立近代美術館蔵 (展示は2/25まで)

個人的にいいなぁと思ったのが、小杉未醒(小杉放菴)の「飲馬」で、西洋画のような装飾的な画風の中にも片ぼかしといった日本画の技法を用い、新しい日本画の方向性を探っているようなところがあり、とても面白く感じました。

小杉未醒 「飲馬」
大正3年(1914) 小杉放菴記念日光美術館蔵 (展示は2/25まで)

ほかに、安田靫彦の晩年の良寛を描いた「五号庵の春」、橋本平八の彫刻「猫」あたりが印象に残りました。


第3章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ

フロアーを一つ上がり、まず登場するのが小林古径の「竹取物語」。まぁ、これは古径らしい絵巻で、女性ウケしそうな感じ。ほかにも安田靫彦の「卑弥呼」や平山郁夫の「祇園精舎」あたりが見どころでしょうか。

個人的に強いインパクトを受けたのが、漁村の教会の夜のミサを様子を描いた小山硬の「天草(礼拝)」で、力強く太い線描と、どこか民芸調の素朴だけれど深い信仰を感じさせる村人の表情が秀逸。「私はキリスト教ではないから教会へは行かないと言いながら夜の教会の片隅で祈りに参加している」老婆の祈りの姿が忘れられません。

安田靫彦 「卑弥呼」
昭和43年(1968) 滋賀県立近代美術館蔵 (展示は2/25まで)


第4章 花。鳥。そして命を見つめて

ここでは大観の「紅葉」に久しぶりに再会。色とりどりの紅葉の美しさと川の群青、ハッとする美しさです。ほかに、那波多目功一の「うすれ日」がとても印象的。小茂田青樹の「虫魚画鑑」も面白かったです。

横山大観 「紅葉」
昭和6年(1931) 島根・足立美術館蔵 (展示は2/9まで)


第5章 風景の中で

今村紫紅の「熱国之巻」は東京国立博物館で何度か拝見していますが、ここでは「朝」を前期、「夕」を後期に分けて半分ずつ展示とのこと。東南アジアの取材旅行をもとに描いた作品で、近代的な造形とゴーギャンのような明るい色彩に加え、金砂子を撒いたりとチャレンジングな面白さに溢れた傑作です。

今村紫紅 「熱国之巻 (熱国之朝)」(部分)(重要文化財)
大正3年(1914) 東京国立博物館蔵 (展示は2/25まで)

これもトーハクでよく観る古径の「阿弥陀堂」があったほか、これは初見ですが、速水御舟の「洛北修学院村」という初期の作品がありました。御舟の若い頃の作品は山種美術館でも観ていますが、「群青中毒だった」と後年自ら語っていたように、これでもかというぐらいの群青一色の色彩がとても美しいです。

速水御舟 「洛北修学院村」
大正7年(1918) 滋賀県近代美術館蔵 (展示は2/25まで)

ここでは、小松均のスケールの大きな水墨の作品「雪の最上川」に圧倒されました。自然の力強さを感じる骨太な水墨の表現はインパクト大。ほかに後藤純男の「淙想」も印象的でした。


第6章 幻想の世界

最後のフロアーでまず目に飛び込んでくるのが中村岳陵の「婉膩水韻」で、裸の女性が泳いでいる、いま観れば何でもない綺麗な作品ですが、発表当時は不埒な絵だと物議を醸したのだとか。まぁ、それは昔の話で、清涼な色合いや波紋が美しい優品です。

中村岳陵 「婉膩水韻」
昭和6(1931) 静岡県立美術館蔵 (展示は2/25まで)


第7章 人のすがた

上半身裸の少年のような姿がユニークな安田靫彦の「風神雷神」、ロマン的なタッチで殉教を描いた古径の「異端(踏絵)」、「女性は美醜ではなく、…白粉の奥にある真実を描きたい」と語る言葉が少々言い訳めいて聞こえなくもない御舟の「京の舞妓」といった、いい意味で印象的な作品が並びます。近年のものでは菊川多賀の「文楽」が素晴らしかったです。

その中で、一番良かったのが小倉遊亀の「径(こみち)」で、長いこと観たかった作品で初めて拝見しましたが、この『サザエさん』的な明るく、楽しく、ほのぼのとして、しかもモダンなタッチに見とれてしまいました。高度成長期の平和で家族の温かさに満ちた時代を象徴するような素敵な作品です。

小倉遊亀 「径」
昭和41年(1966) 東京藝術大学蔵 (展示は2/25まで)

“世紀の”という言葉に偽りはありませんが、“世紀の”という言葉から受ける期待ほどのものがあったかというと、ちょっと物足らなさも残ります。前後期に分けているからか、あまりボリューム感はなく、これは趣味が分かれるところですが、現代の日本画家の作品も多く、このあたりも満足度に影響していたかもしれません。また、院展に出品されたり、院展で高く評価された作品が恐らく中心なのかもしれませんが、代表作なら他にもいいのがあるだろうというものもあり、川合玉堂や寺崎広業、堅山南風といった日本美術院で活躍した著名な画家の作品がなかったのも気になりました。100年の歴史、活躍した画家に満遍なくスポットを当てて紹介するのはなかなか難しいのかもしれません。



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月刊 美術 2014年2月号 [雑誌]月刊 美術 2014年2月号 [雑誌]


「朦朧」の時代: 大観、春草らと近代日本画の成立「朦朧」の時代: 大観、春草らと近代日本画の成立