2014/03/30

大江戸と洛中

江戸東京博物館で開催中の『大江戸と洛中 -アジアのなかの都市景観-』のブロガー内覧会に参加してきました。

本展は江戸東京博物館の開館20周年の記念展。江戸東京博物館は「都市の歴史を展示することを主題のひとつ」としているということで、本展は「アジア全体のなかで江戸を観ることをテーマ」にした江戸博ならではの展覧会になっています。

タイトルを見たときは既視感というか、昨年の大蔵集古館の『描かれた都-開封・杭州・京都・江戸』やトーハクの『京都-洛中洛外図と障壁画の美』に似た内容の展覧会なのかと思っていたのですが、まーったく違いました。

会場には、洛中洛外図や都市図屏風、世界地図や日本地図などの古地図、さらには江戸城や徳川将軍家ゆかりの品々などが並び、江戸や京都がどう成立したか、アジアの都市からどのような影響を受けたか、そしてどう発展してきたかを、いろいろな角度から明らかにしていきます。


プロローグ

会場に入ると、東海道の要所の町並みの様子を描いた「東海道五十三次図屏風」と、江戸から西国の陸路や海路を描いた「道中図巻」が展示されています。「東海道五十三次図屏風」はなぜか京都の手前の大津まで。「道中図巻」は主要な城が描かれているのがユニークです。

「道中図巻」
17世紀中頃 江戸東京博物館蔵


1 世界の都市

江戸時代、世界でも有数の都市だった江戸が描かれた世界地図や、当時の日本地図を紹介しています。

写真右 「十二都市図世界図屏風」(重要文化財)
17世紀初頭 南蛮文化館蔵 (展示は4/13まで)

「十二都市図世界図屏風」は江戸時代初期に描かれた南蛮絵画風の世界図で、世界地図とともに世界の都市の鳥瞰図が描かれていて、なかなか面白い逸品。

写真左 「新訂万国全図」
文化7年(1810年) 江戸東京博物館蔵

「新訂万国全図」は日本が中央に描かれた最初の世界図で、作者はなんと亜欧堂田善。間宮林蔵の樺太探検の僅か数年後の地図にも関わらず、樺太の正しい図が描かれているといいます。びっしりと地名が書き加えられていたり、とても細かい。ほかにも、1602年に北京で刊行された世界地図「坤輿万国全図」があって、「日本海」もしっかり記されていました。

「日本図」
1595年 明治大学図書館蔵

「日本図」は『オルテリウス地図帳』に描かれた日本地図で、初めて本格的に日本がヨーロッパに紹介されたもの。行基図が基になっているのではないかと言われているそうです。確かに日本でも最古の地図といわれている行基図だけあり、日本の形もいびつですが、朝鮮半島もヘン。


2 洛中への系譜 ~都市の中心と周縁~

ここでは中国をはじめとする東アジアの都市づくり、京都洛中の都市構成の成り立ちを、都市図や洛中洛外図を通して紐解いていきます。前半は中国の全土図や北京、湖北省など地方都市、また平壌などの都市図が展示され、城壁都市としての都市の様子を比較することができます。ただ、中国の地図も明・清朝以降のもので、もう少し時代を遡ったのも見たかったかなと。

写真左 「洛中洛外図屏風」
元和年間(1615-24年) 南蛮文化館蔵 (展示は4/13まで)

江戸時代初頭のものとされる「洛中洛外図屏風」には、京都の名刹や御所、二条城や、祇園祭や南蛮人の行列なども描かれています。保存状態もよく、なかなか丁寧に描かれていて、当時の文化・風俗を垣間見られて面白い。後期にはまた別の「洛中洛外図屏風」が展示されます。

写真右 「賢聖障子 賢聖像」
寛政年間(1789-1801年) 宮内庁京都事務所蔵

そのほか、内裏図や、江戸時代に考察された平安京の都市図、また御所の紫宸殿を飾った狩野派や住吉派による障子などが展示されています。


3 将軍の都市 ~霊廟と東照宮~

ここはさすがの本家本元。充実しているというか、いろんなものを引っ張り出してきたなという感じです。いくつかのテーマに分かれていて、まずは≪江戸と江戸城≫から観ていきます。


写真上 「旧江戸城写真ガラス原板 昌平橋」(重要文化財)
写真上 「旧江戸城写真ガラス原板 呉服橋門(外側)」(重要文化財)
明治4年(1871年) 江戸東京博物館蔵 (期間中展示替え)

最初に登場するのが、明治初期に撮影された江戸城の写真のガラス原版。ネガなので白黒が反転していますが、状態も良く、とてもクリアーで、明治維新直後の貴重な江戸城や江戸の街の様子が見てとれます。

写真左 「江戸城御本丸惣地絵図」
万延元年(1860年) 江戸東京博物館蔵

江戸の古地図や江戸城の見取り図、海外に紹介された江戸城の様子を描いた本なども展示されています。圧巻は「江戸城御本丸惣地絵図」で、天井まで届くほどの大きさ。展示されたのが今回で3度目という貴重な地図です。万延元年に建築された江戸城最後の本丸(1863年に火事で焼失)の表および中奥の御殿の平面図ということで、細部まで正確に細かく書き記されています。

写真左 「武州豊島郡江戸庄図」
天保元年(1830年) 江戸東京博物館蔵

そのほか、江戸を描いた最古の都市地図といわれる「寛永図」の木版刊行のものや、測量による初めての江戸の地図、明暦の大火後の江戸を描いた市街図、江戸城天守の建築図面などが展示されています。

「武家諸法度」
寛永12年(1635年) 江戸東京博物館蔵

≪徳川秀忠≫では、江戸の基礎固めを行った二代将軍・秀忠をクローズアップ。「武家諸法度」や書状、太刀や兜、秀忠筆による絵なども展示されています。

徳川秀忠筆 「猿引図」
17世紀 徳川記念財蔵(展示は4/13まで)

つづいて、≪廟所≫と≪東照宮≫。将軍家の霊廟である寛永寺と増上寺の霊廟の図や葬列の様子、大きな銅製燈籠なんていうのも展示されていました。

「紅葉山東照宮御簾」
享保21年(1736年)以前 津山郷土博物館蔵

本展の目玉のひとつが、紅葉山東照宮の「御簾」。紅葉山東照宮はかつて江戸城内にあった家康の廟所で、本丸と西の丸の間にあったといいます。この「御簾」は昨年江戸東京博物館の調査で発見された貴重な品で、ご神体を祀る廟の観音扉の中に掛けられてたものとされます。


≪武家の都市≫では、鎧・兜など具足や、采配や幟旗などを展示。なぜか下着や下帯も。甲冑の見せ方がカッコよくて、まるで野口哲哉かモビルスーツかといったよう。個性的な立物も見もので、十一代将軍家斉の七男が所用した兜にはカマキリの前立てが。聞くところによると、カマキリには「雪が積もるであろう高さより、上に卵を産むことから、予測の力があるとされ、戦で先を読む、つまり戦に勝つ」という意味があるのだそうです。

「本小札濃勝糸威二枚胴具足」
江戸時代末期 江戸東京博物館蔵


エピローグ

最後に、江戸時代の城下町の都市図屏風が展示されています。洛中洛外図や江戸図屏風はまあ見かけますが、地方の城下図屏風をまとめて観る機会というのはそうはないのではないでしょうか。前期(4/13まで)では小田原、高松、延岡、宇和島、鹿児島が、後期(4/15から)では盛岡、仙台、小浜、津山の城下図屏風や景観図を紹介しています。

写真左 「延岡城下図屏風」
17世紀後半 個人蔵(展示は4/13まで)

洛中洛外図のように人々の様子まで丁寧に描かれているものもあれば、城下町の区画が細かく描かれているものもあり、港町には船も多く、どれも地方色があって楽しめます。鹿児島の整備された港などを見ると、薩摩はやはり違うなと思います。本展でこれまで観てきた都市の成り立ちが、日本の地方都市でどう引き継がれ発展していったのか、こうした具体的な絵図を観るとよく分かります。

写真左 「高松城下図屏風」
17世紀 香川県立ミュージア蔵(展示は4/13まで)

博物館の方が今回は大きなものを集めたとおっしゃってただけあり、見応えのある展覧会でした。その中でも江戸東京博物館らしい資料性の高い展示物も多く、美術ファン歴史ファンだけでなく、都市学や古地図などが好きな人にもたまらないんじゃないでしょうか。


※会場内の写真は主催者の許可を得て撮影したものです。


【大江戸と洛中 -アジアのなかの都市景観-】
会期: 2014年3月18日(火)~5月11日(日)
会場: 江戸東京博物館 1階展示室
開館時間: 午前9時30分~午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで) ※入館は閉館の30分前まで。
休館日: 5月7日および毎週月曜日(ただし、4月28日・5月5日は開館)

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2014/03/27

観音の里の祈りとくらし展

東京藝術大学大学美術館で開催の『観音の里の祈りとくらし展 -びわ湖・長浜のホトケたち-』の内覧会にお邪魔してきました。

『観音の里の祈りとくらし展』は、琵琶湖北岸の湖北地方の仏像とその地で育まれた仏教文化を紹介した展覧会。信仰の対象として村人の手で大切に守り継がれてきた18躯の観音像が展示されています。

おととし三井記念美術館で『近江路の神と仏 名宝展』という展覧会も開かれましたが、近江は古くから宗教を基盤とした文化が根付いた土地で、特に湖北の長浜は観音菩薩像が多く分布し、集落の数に匹敵するほどの観音像があるといいます。

会場に展示されている観音像にはそれぞれ解説とともに、仏様がどのような環境の中で安置されているのかが分かるパネル写真が並んでいます。都の洗練された仏像とは違い、素朴で地方色はあるけれど、村々でどれだけ長い間大切にされ、村人の暮らしとともにあったのか、観音様に対する人々の思いが伝わってきます。

個人的に気になった観音様をいくつかご紹介。

写真左 「十一面観音立像」 (長浜市指定文化財)
平安時代・12世紀 田中自治会蔵

長浜というと向源寺の国宝「十一面観音立像」が有名ですが、本展でも5躯の十一面観音像が展示されています。写真の「十一面観音立像」は自治会が所蔵しているというのが地元密着型の観音様なのだなと感じます。一部彩色されていて、おっとりとした優しい表情が印象的です。

「十一面観音立像」 (重要文化財)
平安時代・10世紀-11世紀前半 善隆寺蔵

本展では3躯の重文指定の仏像が出品されていますが、善隆寺の「十一面観音立像」はその一つ。桜の一木造で、切れ長の目をした凛々しいお顔の観音様です。衣文の模様は向源寺の「十一面観音立像」に似ています。

「聖観音立像」 (重要文化財)
平安時代・11世紀-12世紀 総持寺蔵

「千手観音立像」 (長浜市指定文化財)
平安時代・12世紀 総持寺蔵

総持寺の本堂の右脇壇に設置された厨子に安置されているのが「聖観音立像」で、左の厨子内安置されているのが「千手観音立像」とのこと。慈愛に満ちたふっくらとしたお顔の聖観音と丸顔の柔らかな面立ちの千手観音。姿かたちは都風なんですが、にこやかに微笑み佇むその風貌はどこか身近な感じがして、親しみを覚えます。

写真左 「十一面観音立像(腹帯観音)」
平安時代・12世紀 大浦十一面腹帯観音堂蔵
写真中央 「千手観音立像」 (重要文化財)
平安時代・9世紀 日吉神社(赤後寺)蔵

赤後寺の「千手観音立像」は本展の目玉展示のひとつ。地元では「転利(コロリ)観音」として親しまれ、三回お参りすれば極楽往生できると伝えられているとか。平安初期の作とされ、今は頭上面もなく、腕も失われていますが、どっしりとした体躯が在りし日の立派なお姿を思い起こさせます。大浦観音堂の「十一面観音立像」はお腹にサラシを巻いていることから「腹帯観音」と呼ばれ、子宝・安産祈願の本尊として地元で大切にされているといいます。

写真左 「如来形立像(いも観音)」
平安時代・10世紀 安念寺蔵
写真右 「菩薩形立像(いも観音)」
平安時代・9世紀末-10世紀初頭 安念寺蔵

会場の中でもひときわ印象深かったのがこの「いも観音」と呼ばれる2躯の仏像。身体は激しく損傷し、手足は欠け、見るも無惨な仏様ですが、織田信長の比叡山の焼き討ちで寺が焼失したとき、村人が仏像を田んぼの中に埋め難を逃れたとか、昭和初期までは子どもたちが仏様と川で水遊びをしたとか、村人の生活とともにあったんだなと観音像の長い歴史が垣間見え、感動的な気持ちにすらなります。

「十一面観音立像」 (長浜市指定文化財)
奈良~平安時代・8世紀末-9世紀初頭 菅山寺蔵

今回出品されている仏像の中で一番制作年が古いのがこの「十一面観音立像」。奈良末期から平安初期の作とされる木心乾漆の珍しい仏像で、数年前まで一般公開されていなかったそうです。奈良末期にここまでの仏像が当地で造られていたことに驚くと同時に、湖北地方の仏教文化の成熟ぶりをあらためて思い知らされます。

ほかにも細身で美人の集福寺の「聖観音立像」、竹生島の品のある「聖観音立像」、瞑想する姿が美しい阿弥陀寺の「聖観音座像」、インパクトのある「馬頭観音立像」などが展示されています。

写真右 「十一面観音坐像」 (長浜市指定文化財)
平安時代・12世紀前半 岡本神社蔵

会場の入口には“観音の里”の14分間のビデオが流されていて、湖北地方の観音像とともに観音信仰の背景にある人々の生活や文化、風土、歴史が紹介されています。



『観音の里の祈りとくらし展』の反対側の会場では、『藝大コレクション展 -春の名品選-』が開催されています。日本画、西洋画、彫刻・工芸の所蔵作品に加え、2つの特集展示があり、特集展示1では≪女性を描く / ヌードと出会う≫、特集展示2では≪近世の山水 / 近代の風景 -富士山図を中心に-≫をテーマに藝大所蔵の優品が展示されています。


日本画では尾形光琳の重要文化財「槇楓図屏風」、曾我蕭白の「群仙図屏風」、狩野山雪の「四季耕作図屏風」がずらっと並んでいて、これが壮観。奈良時代の貴重な絵画例である国宝「絵因果経」や重文の「小野雪見御幸絵巻」、また下村観山の「小倉山」の下図なども展示されています。


≪女性を描く / ヌードと出会う≫では、日本近代洋画の父と評される高橋由一の「美人(花魁)」(重要文化財)や黒田清輝の代表作「婦人像(厨房)」、安井曾太郎の「裸婦」をはじめ、黒田清輝の師・ラファエル・コランの「花月(フロレアル)」が会場の入口に展示されています。これがまた美しい。

≪近世の山水 / 近代の風景 -富士山図を中心に-≫では、池大雅の「富士十二景」、曽我紹仙の「山水図」、亜欧堂田善の「江戸街頭風景図」、橋本雅邦の「月夜山水」などを展示。個人的には和田英作の銀地の屏風に雪を頂いた富士を描いた「富士山」が印象的でした。

『観音の里の祈りとくらし展』をご覧になられた方は当日に限り藝大コレクション展も無料で鑑賞できます。これだけの名品が観られて500円はお得だと思います。お花見もいいけど、春の藝大美術館もオススメです。


※会場内の写真は主催者の許可を得て撮影したものです。


【観音の里の祈りとくらし展 -びわ湖・長浜のホトケたち-】
会期: 2014年3月21日(金・祝)〜 4月13日(日) (休館日:毎週月曜日)
会場: 東京藝術大学大学美術館 展示室2にて

【藝大コレクション展 -春の名品選-】
会期: 2014年3月21日(金・祝)〜 4月13日(日) (休館日:毎週月曜日)
会場: 東京藝術大学大学美術館 展示室1にて

開館時間: 午前10時 - 午後5時 (入館は午後4時30分まで)
ただし、4月11日(金)は午後8時まで開館(入館は午後7時30分まで)
休館日: 毎週月曜日




びわ湖・長浜のホトケたちびわ湖・長浜のホトケたち


仏像巡礼 湖北の名宝を訪ねて仏像巡礼 湖北の名宝を訪ねて

2014/03/26

杉本文楽 曾根崎心中

世田谷パブリックシアターで『杉本文楽 曾根崎心中』を観てきました。

文楽の観劇歴はまだ2年足らずのひよっこですが、現代美術家の杉本博司氏がプロデュースしたとあり、2011年の杉本文楽を見逃した身としては是非観たいと思っておりました。

アート系のファンからは絶賛の評価を聞いていましたが、文楽ファンからはかなり手厳しい批判も耳に入っていたので、そのあたりを自分でも確かめてみたいというのもありました。

構成・演出・舞台美術・映像は杉本博司が手掛け、太夫には豊竹嶋大夫、豊竹呂勢大夫、竹本津駒大夫、三味線に人間国宝の鶴澤清治、鶴澤藤蔵、人形遣いに桐竹勘十郎などなど錚々たる顔ぶれ。文楽勢の力の入れようが分かります。

今回の杉本文楽のポイントとしては、
  • 『曾根崎心中』の初演時の台本を使い近松門左衛門の原文に忠実に舞台化したこと
  • 現代では行われなくなった“一人遣い”を採用したこと
  • 現在の文楽公演ではカットされている「観音廻り」を復活させたこと
  • 文楽に必須の“手摺り”をなくしたこと(下駄も履かない)
  • 杉本博司による舞台美術や映像、束芋のアニメーションが使われていること
などでしょうか。

従来の文楽では舞台に沿って“手摺り”があり、人形は横の動きに限定されるわけですが、杉本文楽は“手摺り”がないので縦の動きを可能とし、「観音廻り」では舞台奥から手前に向かい、お初が歩いてくるという演出を実現しました。NHKで放映した初演時のドキュメンタリーを観ていましたので、どんな感じかは多少分かっていましたが、私自身はなかなか面白いアイディアだなと思っています。ただ、会場のSPTは初演時の神奈川芸術劇場より舞台構造が小さく、縦の導線が思ったほど長くなかったのと、初演時にはあった「道行」での縦の動きが本公演ではありませんでした。(他に杉本氏所蔵の観音像が登場しなかったなど演出上の変更点はいくつかあるようです)

「観音廻り」の見どころは、やはり勘十郎による一人遣いの人形表現と、今回のために作曲された鶴澤清治による楽曲と、呂勢大夫が切々と謳いあげる近松オリジナルの詞章でしょう。お初は実は観音信仰が高く、仏に帰依する気持ちが『曾根崎心中』の浄土思想の根本にあるということで、この「観音廻り」の復活は非常に意味のあるものだと思うのですが、ただ残念なのは、そうした重要な事柄が一体どれだけの人に伝わっているのかということ。舞台は闇の中で進行するため、床本を見ることもできず、また文楽公演にあるような字幕もありません(字幕表示の是非は別として)。

「観音廻り」では舞台の背景に杉本博司による映像と束芋が手がけたアニメーションが流されます。演出としてはユニークな試みでしたが、思ったほどの映像体験でも、期待したほどの映像効果もなく、また話題のアニメーションも近松の雰囲気とは合わず浮いていました。そのあとの「生玉社の段」、「天満屋の段」、「道行」は筋としては『曾根崎心中』と同じで(本は違うのでしょうが)、先に挙げた点を除けば特に意表を突く演出はありません。全体的に照明は非常に計算され、高い効果を上げていると感じましたが、たとえば「生玉社の段」は手摺りや背景の書き割りもないため、人形遣いの動きが不安定で、緊張感のない場になってしまったのは否めません。

コクーン歌舞伎が伝統に縛られない現代的な演出やスタイリッシュなセットなどで従来の歌舞伎ファン以外の層に受け入れられ、歌舞伎であって歌舞伎とちょっと違うように、杉本文楽も文楽であって文楽とはちょっと違います。初演版の台本を使うとか一人遣いとか、杉本博司が古典回帰を狙ったのかといえば、それはまた違う話で、あくまでも杉本氏の表現手段のネタとしての『曾根崎心中』なのだなという印象です。

アイディアや演出はさすがユニークでよく考えてるなと思いましたが、冠に杉本の名が付いていようがいまいが、文楽の力は圧倒的で、近松の世界はやはり面白いなぁというのが率直な感想。文楽ファンから見れば、批判の対象となるところもいろいろあるのでしょうが、私はそこまでは思ってなく、文楽の間口を広げるためにも、こうした新しい試みはあってもいいのじゃないかと思います。今回の公演で初めて文楽に触れた人たちが、これから文楽に親しんでくれたなら、杉本文楽をやった意味もあるというもの。それと、できれば、本来の文楽公演で、あらためて「観音廻り」の復活上演をして欲しいですね。


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アートの起源アートの起源


三毛猫ホームズの文楽夜噺三毛猫ホームズの文楽夜噺

鳳凰祭三月大歌舞伎

久しぶりに歌舞伎を観てまいりました。

もともとは中村福助の歌右衛門襲名公演の予定だったのですが、福助の急病により公演延期となったため、代わって≪歌舞伎座松竹経営百年≫を銘打ち、鳳凰祭としての公演となりました。

座頭クラスの役者さんはだいたい一年ぐらい前にはスケジュールが決まっているといいますから、もともと襲名公演に出演予定だった役者さんもいるでしょうが、空いてしまった穴を埋めるために急遽借り出された役者さんもいるのでしょう。皮肉にも柿葺落公演の最後にふさわしい豪華な布陣となりました。

さて昼の部。まずは『壽曽我対面』から。梅玉の工藤、橋之助の五郎、孝太郎の十郎、芝雀の大磯の虎とそれぞれみな丁寧でいいのですが、インパクトが弱いというか、少々物足らなさ感も。そんな中で魁春が舞鶴をうまく演じていたと思います。

つづいて菊五郎と吉右衛門の『身替座禅』。これが傑作。菊五郎の憎めない右京と吉右衛門の誇張せずとも滲み出る山の神ぶり。菊五郎らしい味わいがたまらなくいい。吉右衛門の奥方も右京を愛しすぎる故の行き過ぎた愛情に溢れ、これもこの人の風合いだと感じます。笑いを取ろうとか滑稽に演じようとか、そんなわざとらしさややり過ぎ感がなく、二人の役者の息のあった演技が素晴らしく、ほのぼのと楽しい舞台でした。太郎冠者の又五郎、侍女の右近も安定の巧さ。

次は『封印切』。さすがに藤十郎が何言ってるんだか分からなくなってきていますが、まぁよく動くこと。年齢のことを考えると凄いと思います。今回はみんな上方の役者ということで、前回観たときよりも個人的には楽しめました。翫雀の八右衛門も良かったのですが、我當の治右衛門が素晴らしい。

昼最後の『二人藤娘』は噂に違わぬ美しさ。玉三郎と七之助で釣り合うのだろうかと思っていましたが、全く遜色なし。ただ、なんと言うんでしょうか、私たち綺麗でしょ可愛いでしょ、みたいなアピール度が強すぎる気がしないでもありません。某歌舞伎評論家に“女子会”と揶揄された意味も分かる気がします。まぁいかにも女子ウケしそうですし、玉三郎の趣味なのだからしょうがないなとは思いますが。

つづきまして夜の部。(実際にはこちらを先に観てますが)
最初は高麗屋の『加賀鳶』。昔観たときはなんだか暗くて面白くない芝居だなという記憶があったのですが、今回はなかなか楽しめました。去年の『不知火検校』にも似て按摩でしかも極悪人。幸四郎はこういう悪人風情が妙にうまい。特に後半は、ちょっととぼけた味も絡め、幸四郎カラーが良い感じで出ていて飽きません。

梅玉の松蔵も颯爽としていて安定のうまさ。秀太郎のお兼は下卑た色気があって面白いのですが、江戸のあの手の中年女とはちょっと違う気も。出色は歌女之丞のおせつ。リアルにうまい。「木戸前」は橋之助や勘九郎、最後の左團次あたりは台詞を聞かせて様になるのですが、若手は黙阿弥調に気風の良さが感じられず、語る人が多い分、弛んだ感じになり残念でした。

そしてすこぶる評判のいい『勧進帳』。弁慶に吉右衛門、富樫に菊五郎。菊五郎の富樫は昨年四月の杮葺落公演と同じですが、吉右衛門や5年ぶりの弁慶。先に観た方の感想、また劇評もすこぶる良く、“ネ申レベル”なんてツイートも見かけました。

自分はそんなに勧進帳の数をこなしてないので、そこまで絶賛するものかは分かりませんが、それでも名舞台を観たなという感慨に打たれました。吉右衛門の弁慶は決して派手さはなく、抑制された感じがありますが、たっぷりと丁寧に演じている印象を受けました。その分、人間ドラマとしての説得力、面白さが前に出て、弁慶と冨樫、また義経との関係や思いがクローズアップされていたように思います。吉右衛門の存在感に比して負けない大きさを見せる菊五郎の富樫の深い芝居。途切れぬ緊張感と圧倒的な気迫。藤十郎の威厳のある義経も素晴らしい。勧進帳とはこういうものだったのかと初めて感じたような気がしました。

最後は玉三郎で『日本振袖始』。生贄になる稲田姫の米吉がいい。玉三郎から相当仕込まれてるのでしょうが、岩長姫の嫉妬を買うような若さと美しさに溢れ、動きや仕草が実に丁寧で好感が持てます。最近の玉三郎は若手を抜擢して芸を仕込むという方に注力しているようですが、今後はこうした活動がメインになるのでしょうか。その玉三郎は顔の表情一つとっても体の流れや動き一つとっても無駄がなく、視線や指先まで細やかに表現。乱れた髪さえ美しい。ここまで魅せる女形は玉三郎の他にいないと改めて思わさられる一方、その玉三郎を観られる時間にも限りがあるということと、その域に並ぶ女形が他にいないという現実を痛感させられるのです。

今月の歌舞伎座は夜も昼も充実した内容で満足度が高く、特に菊五郎・吉右衛門の活躍ぶりに当代一の役者の域をあらためて思い知った気がします。願わくば、玉三郎が舞踊ではなく、芝居でこの二人と絡むのを観たいと強く思います。


歌舞伎入門 役者がわかる! 演目がわかる!歌舞伎入門 役者がわかる! 演目がわかる!

2014/03/09

世紀の日本画 [後期]

東京都美術館で開催中の『世紀の日本画』の後期展示に行ってまいりました。

前期は自分の中では今一つ盛り上がりに欠けたのですが、後期は個人的に観たい作品が固まっていて、どちらかというとこちらの方を期待していたりしました。
 
そうしたこともあってか、実際に後期の満足度は私自身かなり高めでした。前期と後期でどういう分け方にしていたのか、特に基準はないようですが、後期の方が名のある作品も心なしか多く、その分、作品のラインナップが割と充実していたようにも感じます。あくまでもこれは個人の趣味の問題になりますが。

展覧会の概要と前期展示についてはこちらをご参照ください。
世紀の日本画 [前期]


第1章 名作で辿る日本美術院の歩み

ここはやはり狩野芳崖の「悲母観音」。狩野派最後の作品であると同時に近代日本画の夜明けを告げた記念碑的作品です。個人的には2008年の『狩野芳崖展』(東京藝術大学大学美術館)以来の再会。フェノロサに見せられたジョルジョーネの聖母画に感銘を受け、本来は男体である観音を女体に見立て慈悲の神として描いたといいます。衣文は伝統的な仏画の技法でありながら、その色彩や赤子の描写には西洋画の影響を感じさせます。本作は芳崖の絶筆となり、背景は橋本雅邦が手を加えているそうです。

狩野芳崖 「悲母観音」(重要文化財)
明治21年(1888) 東京藝術大学蔵

ここでは大観が2点。会場に入ってすぐのところに展示されてたのが大観初期の傑作「無我」。これはトーハクで何度かお目にかかってます。もう1点が「屈原」。昨年の『横山大観展』(横浜美術館)で短期間だけ公開されているようですが、展示機会がとても少ない作品だと聞きます。第一回院展に出品された記念すべき作品で、東京美術学校を追われた岡倉天心を陰謀により失脚し国を追われた屈原の身に重ねて描いたそうです。無念さを滲ませた険しい表情の中にも決して失わない信念と威厳さが感じられ、大観の深い思いやただならぬ気迫が伝わってきます。

横山大観 「屈原」
明治31年(1898) 厳島神社蔵

そのとなりには雅邦の「龍虎図屏風」が。今回の展示でどうしても見たかった作品のひとつです。これも滅多に公開されない作品で、私も初見。伝統的な龍虎図屏風を近代的な技法とダイナミックな描写で再現していて、実に面白い。劇画調と解説されていましたが、確かに。湧き出でる雲、激しく上がる波の飛沫、走る稲妻。陰影に富んだ立体的表現がまるで3Dのようです。

橋本雅邦 「龍虎図屏風」(重要文化財)
明治28年(1895) 静嘉堂文庫美術館蔵

前期展示での一番のお気に入りは小倉遊亀の「径」だったのですが、後期も小倉遊亀で素敵な作品が出てました。「コーチャンの休日」は越路吹雪をモデルに描いたそうで、寝椅子でくつろぐコーチャンの姿態や表情に“らしさ”が見事に表現されています。わたしの悪い癖が全部出てると語ったいう越路吹雪の言葉が最大の賛辞ではないでしょうか。小倉遊亀というと、東京国立近代美術館や山種美術館にある舞妓を描いた作品ぐらいしか観たことがなかったのですが、今回の展示で一気にファンになりました。

小倉遊亀 「コーチャンの休日」
昭和35年(1960) 東京都現代美術館蔵

そのほか、前期から巻き替え展示となる菱田春草の「四季山水」がこれまた素晴らしいのと、造形的な構図が面白い奥村土牛の「門」も印象的。


第2章 院展再興の時代 大正期の名作

まず目に留まったのが、木村武山の「小春」。武山はもともと歴史画や花鳥画を得意としていて、大正初期には琳派に傾倒したといいます。「小春」はその時代の代表作で、右隻には実がたわわになった柿の木と葉鶏頭やヒマワリ、左隻には粟や竹笹が淡いタッチで描かれ、その壮麗かつ秋らしい落ち着いたトーンの色彩感が素晴らしい。葉っぱが虫に食われていたりして妙にリアルだったりします。

木村武山 「小春」
大正3年(1914) 国立大学法人茨城大学蔵

前期でもとても印象的だった小杉未醒が後期にもありました。19世紀フランスの壁画装飾家シャヴァンヌに影響を受けたというその作品は神話風でもあり異国風でもあり、フレスコ画のような柔らかな独特の色調とシャヴァンヌを思わせる構図が一種癒しのような空間を醸し出しています。

小杉未醒 「山幸彦」
大正6年(1917) 石橋財団石橋美術館蔵

コーナーの最後に展示されていた平櫛田中の彫刻「禾山笑」が傑作。臨済宗の僧侶・西山禾山をモデルにした作品で、豪快に大笑いする僧侶の生き生きした姿が面白い。


第3章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ

これも今回の展示で最も観たかった作品の一つ、前田青邨の晩年の傑作「知盛幻生」。能や歌舞伎で知られる「船弁慶」の一場面を描いた作品で、青邨の歴史画の集大成と言われています。波の描写は同じ平家物語を題材にした青邨の「大物浦」に似ていますが、焦点はあくまでも船上の落人の怨霊。その姿からは無念さ、哀しさがストレートに伝わってきて、圧倒的な迫力がありました。

ほかに、仏画を極めた荒井寛方らしい「涅槃」、近年のものでは平等院の雲中供養菩薩を描いたという伊藤髟耳の「空点」が素晴らしい。


第4章 花。鳥。そして命を見つめて

もうひとつ、とても観たかったのが、これも青邨の「芥子図屏風」。写真だと色がつぶれて分かりづらいのですが、右隻に白い芥子の花を、左隻には蕾だけを描き、紛れて咲く紅いケシがアクセントになっています。光琳を意識したようなリズミカルなデザイン性と琳派風の軽やかさが心地よい作品です。よく見ると、葉の描写も実にきめ細かく、非常に丁寧に描いているのに気づきます。

前田青邨 「芥子図屏風」
昭和5年(1930) 光ミュージアム蔵

古径の「孔雀」もいい。鮮やかなグリーンに金泥を効果的に配した華やかな色彩とシンプルな構図が孔雀の美しさを一層引き立てています。「孔雀明王」とも評されたそうです。

小林古径 「孔雀」
昭和9年(1934) 永青文庫蔵

前期に続いて小茂田青樹の「虫魚画巻」も展示。鯉に金魚、蜘蛛やドジョウ、灯りに群がる蛾。写実性高く描きつつも神秘的な独特の表現が目を惹きます。そのほか、春夏秋冬の薄に生命の営みを表現したという田渕俊夫の「流転」、菊の花が官能的なほど美しい齋藤満栄の「秋晨」が印象的でした。


第5章 風景の中で

前期の「洛北修学院村」と同じく“群青中毒”だった頃の御舟の「比叡山」が見事。下から見上げたような大きな山容を薄墨と群青の濃淡のみで描くも、尾根の形や木々の様子を丁寧に描き分けることで悠然と聳え立つ山の重厚さと威厳さがリアルに表現されています。

速水御舟 「比叡山」
大正8年(1919) 東京国立博物館蔵

前期と巻き替えの今村紫紅の「熱国之巻」は後半の「熱国之夕」を展示。何度観ても見飽きない、大好きな作品です。まるでここだけ心地よい熱帯の風が吹いているかのよう。

今村紫紅 「熱国之巻 (熱国之夕)」(部分)(重要文化財)
大正3年(1914) 東京国立博物館蔵

“外光水墨派”とも“光と影の魔術師”とも評されたという近藤浩一路の「十三夜」は星のきらめく月夜の描写がユニーク。近年の画家では、草を食む馬とどこか寒々しい風景が印象的な川瀬麿士の「草原」、懐かしい博物館動物園駅を描いた小田野尚之の「くつおと」が個人的に好み。そのほか、平山郁夫のシルクロードシリーズの代表作「絲綢之路天空」や、全長29mという長さに北海道の四季を描き込んだ岩橋英遠「道産子追憶之巻」と見どころのある作品が展示されています。


第6章 幻想の世界

今回の後期展示で、最も強く心に残った作品というと、馬場不二の「松」かもしれません。末期ガンの絶対安静の状態の中、「死んでも描きあげる」と正に命を削って描いた作品だといいます。永徳の巨木表現ばりのダイナミックさと抽象絵画のようなインパクト。堂々たる松の力強さからは溢れんばかりの生命力が伝わってきて、何か胸に来るものがあります。ぜひ実物を観てほしい一枚。

前期展示では近年の作品にあまり感銘を受けなかったのですが、後期はなかなかの力作が揃っています。このコーナーでも、竹林の緑と光の美しさが素晴らしい中島清之の「緑扇」、屏風を大胆に四分割した構図が斬新な守屋多々志の「無明」、豊かで柔らかな色彩が気持ちいい宮北千織の「うたたね」が印象的です。


第7章 人のすがた

やはりさすがの片岡球子。観る者を飽きさせないというか、驚かすというか、ユニークな構成(というより不思議な発想)やヴィヴィッドな色彩に目を留めずにはいられません。一見斬新だけれど、傘を持つ女性の絵の構図や雨の描写などがしっかり浮世絵になっているのがまたニクい。

片岡球子 「面構(歌川国芳)」
昭和52年(1977) 神奈川県立近代美術館蔵

そのほか、美人画で知られる北野恒富の「茶々殿」は、この人こんな風情の絵も描くんだとビックリしました。不勉強ながら、日本美術院の方だったということも知りませんでした。中村貞以のモダンな「シャム猫と青衣の女」も良かったと思います。細川ガラシャ、出雲阿国、樋口一葉ら近世近代の多才な女性を描いた北澤映月の「女人卍」は人選とタイトルが?でしたが、インパクトはありました。


こんな機会でないと観られない作品も多く、近代日本画の名作に触れられるだけでなく、日本画の“今”を知る上でも、きっといい出会いになるのではないでしょうか。会期末は恐らく桜の時期と重なって混雑が予想されるので、早めに行かれるのが良いかと思われます。


【日本芸術院再興100年 特別展 世紀の日本画】
後期: 2014年3月1日(土)~2014年4月1日(火)
東京都美術館にて


気魄の人 横山大観 (別冊太陽 日本のこころ)気魄の人 横山大観 (別冊太陽 日本のこころ)


近代日本の画家たち―日本画・洋画美の競演 (別冊太陽 日本のこころ 154)近代日本の画家たち―日本画・洋画美の競演 (別冊太陽 日本のこころ 154)