2015/04/28

桃山時代の狩野派

京都国立博物館で開催中の『桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち』を観てまいりました。

わたし的にドストライクな展覧会。ちょうどいい具合に関西出張が入りまして、金曜日の夜間開館に寄れるように、まぁいろいろと裏工作してスケジュールの都合をつけました(笑)

京博では2007年の『狩野永徳展』、2013年の『狩野山楽・山雪展』につづく狩野派の展覧会。今回は『狩野永徳展』の続編といいましょうか、永徳の後を継いだ狩野派の絵師たちにスポットを当てています。時代でいうと、永徳急逝から探幽が江戸で盤石な体制を敷くまでの約50年ぐらいです。


第一章 永徳の残映 -金碧大画-

まずは導入部として、永徳の長男・光信、永徳の影武者・宗秀、京狩野の祖・山楽、永徳の次男にして探幽ら三兄弟の父・孝信の作品を展観。永徳は絶頂期の40代半ばで過労死のような死に方をしますが、永徳の豪壮な金碧障壁画はその後継者たちにもしっかり引き継がれています。

狩野山楽 「槇に白鷺図屏風」

本展のメインヴィジュアルにもなっている山楽の「唐獅子図屏風」は永徳の「唐獅子図屏風」の親獅子だけを描いたような感じ。背景は総金地で、勇壮孤高な雰囲気を醸し出しています。山楽ではもう1点、昨年末に発見されニュースになった「槇に白鷺図屏風」。永徳の「槇図屏風」を思わせる槇の枝ぶりに白い鷺の取り合わせが印象的です。

永徳の弟で兄の片腕として活躍した宗秀の現存唯一の金碧大画という「柳図屏風」も素晴らしい。こんな大きな柳があるんだろうかというぐらい巨木の柳と、対照的にか細い枝葉が絶妙なバランスで配されていて見事。


第二章 華麗美の極致 -後継者・光信-

光信というと、これといった特徴をあまり感じたことがなかったのですが、こうしてまとめて観ると、光信の卓越したセンスや個性を強く感じます。壮麗な永徳画とは異なる、優美で華麗な世界。

狩野光信 「四季花木図襖」(重要文化財)
慶長5年(1600年) 園城寺蔵

永徳の下で活動していた頃の作品とされる「四季花鳥図屏風」の繊細で丁寧な絵作り、「四季花木図襖」の凛とした美しさ、「源氏物語図屏風」のめくるめく華麗な王朝文化。とりわけ素晴らしいのは、秀吉の子・鶴松の遺品という「松竹鶴亀図童具足」や、貝合わせの道具をしまう「唐人物図貝桶」の非常に細やかな線描と表現。爛熟期の桃山文化を見る思いがします。

狩野光信 「源氏物語図屏風」(右隻)
檀王法林寺蔵


第三章 より凛々しく、美しく -権力者の肖像-

光信は秀吉を描いた作品を複数残しているようで、「秀吉像」が前後期で1点ずつ公開されるのですが、図録で見比べると顔の形・表情は全く同じなんですね。本などでよく見る有名な高台寺の秀吉像(光信筆)ともこれまた同じ。光信の人物画は、体躯に比べて顔や手が小さいのが特徴なのだそうです。

狩野光信 「豊臣秀吉像」 (重要文化財)
慶長4年 宇和島伊達文化保存会蔵 (展示は4/26まで)

ほかにも淀殿とされるものや北政所(高台院)、小早川秀秋を描いたものなどがあり、特に「小早川秀秋像」は光信筆の可能性が高いとか。戦国武将とは思えない気弱そうな表情が面白い。


第四章 にぎわいを描く -百花繚乱の風俗画-

絢爛豪華な桃山美術を象徴する洛中洛外図や遊楽図を紹介。金雲の中に咲く満開の桜が美しい「吉野花見図屏風」や、風流踊りの大輪舞が楽しい「花下群舞図屏風」、孝信工房の作とされる「洛中洛外図屏風 勝興寺本」など、まさに百花繚乱。濃麗な彩色美にクラクラします。

中でも、先の山楽の「槇に白鷺図屏風」と同じく新発見として話題になった孝信筆の「北野社頭遊楽図屏風」は絶品。非常に状態がよく、また境内の賑わいや武士の宴席の様子が実に生き生きと描かれています。細部に至るまで丁寧に描き込まれていて、人々の衣装がまた色とりどりで美しい。いずれ重文になるでしょうね。

狩野孝信 「北野社頭遊楽図屏風」

桃山の狩野派に見られる風俗画が江戸時代になると極端に少なくなるのが個人的にずっと謎で、てっきり探幽の好みの問題かと思っていたのですが、時代の変転を嫌う徳川幕府の意向で狩野派は風俗画の制作に消極的な姿勢をとるようになったとあって、なるほどなと思いました。

ほかにも見事な「調馬・厩馬図屏風」や、当時の狩猟文化を知る上でも貴重な「犬追物図屏風」、これまた細部まで克明で素晴らしい孝信の「唐船・南蛮船図屏風」など、見応えがあります。


第五章 狩野派の底力 -影武者たちの活躍-

狩野派は血族と一部の門弟で構成されていますが、その下には工房で働く名もない絵師たちがいて、“ゼネコン”狩野派の大事業を支えていたわけです。ここでは実力はあるものの美術史に登場しない影武者たちの作品を紹介。「唐美人製茶・唐子図屏風」や「文王霊台・鞨鼓催花図屏風」などは高いクオリティで、素人には判断が付きません。


第六章 光信没後の大黒柱 -宮廷絵所預・孝信-

永徳の死後、長谷川派の躍進におびやかされる狩野派。生き残りを賭けた“三面作戦”で朝廷の窓口となり、宮廷絵所預として高く評価されたのが孝信でした。東博の『京都-洛中洛外図と障壁画の美』で仁和寺の「牡丹図襖」や「賢聖障子絵」などは観ていますが、ここまでまとまった形で観る機会がなく、今回その傑出した技量に正直驚きました。

狩野孝信 「牡丹図襖」
慶長18年(1613年) 仁和寺蔵

永徳の血を感じる「雪松図屏風」、堅固かつ繊細な筆致の唐人物図と花鳥図の衝立「唐人物・花鳥図座屏」、空を自由に飛んだり水浴びをしたり、餌を啄んだりとツバメの様々な姿が魅力的な「芒燕図屏風」、明兆の下絵をもとに描いたという「羅漢図」など、どれも素晴らしい。

狩野孝信 「羅漢図」
東福寺蔵

中でも興味深かったのが「三十六歌仙図扁額」や「紫式部像」といった人物画で、強い線描が女性はしっかりとした意志を持ち、男性は彫り深くキリリとした印象を与えます。「三十六歌仙図扁額」は光信や山楽のものも出品されているので、比較して見ると面白いと思います。三人それぞれの特徴が良く分かりますよ。

狩野孝信 「紫式部像」
石山寺蔵


第七章 女御御所に描く -狩野派新世代-

孝信亡きあと狩野派を継いだ貞信による徳川秀忠の娘・和子(東福門院)の内裏女御御所の障壁画を紹介。まだ18歳の頃の作品という探幽の「唐美人図張台構貼付」が見ものですが、ちょっと状態が悪いのが残念。

貞信というと若くして亡くなってしまうため、現存する作品が極めて乏しいといいます。本展で展示されている「住吉社頭図壁貼付」や「楼閣山水図戸襖」は瀟洒で詩情豊かな味わいがあって、探幽に繋がる狩野派の画風の変遷が見て取れます。

狩野貞信 「住吉社頭図壁貼付」(重要文化財)
元和5年(1619年) 京都国立博物館蔵


第八章 江戸絵画の扉を開く -早熟の天才・探幽-

ときはすでに江戸時代ですが、ここでは探幽の初期の作品である二条城二の丸御殿と名古屋城本丸御殿の障壁画を紹介。二条城の障壁画は探幽25歳、名古屋城は33歳。まだ桃山時代の狩野派の流れを汲むスケールの大きさも感じられますが、永徳の激しさや誇張された表現とは明らかに違います。空間の使い方や余韻を残す表現。名古屋城の障壁画の瀟洒な雰囲気のなんと美しいことか。新しい時代に敏感な探幽の感性の高さを感じます。

狩野探幽 「松に孔雀図壁貼付・襖」(重要文化財)
寛永3年(1626年) 元離宮二条城事務所蔵

会場の最後には、徳川家光が自分の夢に現れて病が治ると告げた狐を探幽に描かせたという掛軸が特別出品されています。明治時代に所在不明になり、今年2月に見つかったという作品で、右上には家光の自筆による日付が入っています。八尾の狐はどちらかというと可愛いらしくて、探幽の個性が出ているというより家光の意向が強い作品なのだろうなという感じを受けます。

狩野探幽 「八尾狐図」
寛永14年(1637年)

永徳と探幽の間にあって飛ばされがちな時代をガッチリ抑えた展覧会。桃山時代の狩野派というと、ダイナミックでゴージャスというイメージがありますが、それだけではない繊細で優美な世界も堪能できます。桃山文化、ここに極まれり。

本展には狩野永徳の作品は出品されていませんが、常設展には永徳の作品が出ています。ほかにも狩野元信や長谷川等伯の作品も展示(5/10まで)されているので忘れずに。


【桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち】
2015年5月17日(日)まで
京都国立博物館にて


もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)


聚美 vol.15(2015 SPR 特集:狩野派の隆盛と栄光聚美 vol.15(2015 SPR 特集:狩野派の隆盛と栄光

2015/04/26

燕子花と紅白梅

根津美術館で開催中の『燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密』を観てまいりました。

尾形光琳300年忌を記念した特別展。光琳の二大傑作である根津美術館所蔵の国宝「燕子花図屏風」とMOA美術館所蔵の国宝「紅白梅図屏風」が約半世紀ぶりに揃います。

先に熱海のMOA美術館で『燕子花と紅白梅 光琳アート -光琳と現代美術-』と題し、光琳の「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」と、光琳にインスパイアされた現代美術を展観するという特別展が開催されました。熱海という東京から離れた場所にも関わらず、毎日大変な盛況だったと聞きます。

展覧会の内容は異なれど、「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」が同じく並ぶのですから、混まないわけがありません。日曜日の15時半頃にうかがいましたが、案の定チケット売場は行列でした。先にほかの展示室を観たり、庭園を散策し、人が減った頃を見計らい、メインの<展示室1>へ。閉館30分前には人もまばらで、ゆっくり鑑賞できました。GWや会期末は覚悟しておいた方が良さそうですね。


さて、会場の構成は以下の通りです:
第一章 燕子花図と紅白梅図-「模様」の屏風の系譜
第二章 衣裳模様と光悦謡本-光琳を育んだ装飾芸術
第三章 団扇・香包・蒔絵・陶器-ジャンルを超える意匠

根津美術館での本展は純粋に光琳の作品とそのデザイン性に焦点を絞っています。光琳への影響という観点で俵屋宗達や本阿弥光悦らの作品があるものの、ほかの琳派の絵師の作品などはなく、それだけに光琳の世界に集中できます。

俵屋宗達 「蔦の細道図屏風」(重要文化財)
江戸時代・17世紀 相国寺蔵

<展示室1>でまず目に飛び込んでくるのが宗達の「蔦の細道図屏風」。東京国立博物館で開催された2008年の『対決-巨匠たちの日本美術』以来の再会です。まるで現代アートのように、余計なものを排した無機的で、ミニマルで、洗練された色と構図。宗達のデザインセンスの高さに唸ります。400年も前にこんなデザインセンスを持った人がいたなんて。抜群にカッコいい。ずーっと眺めてました。

尾形光琳 「燕子花図屏風」(国宝)
江戸時代・17世紀 根津美術館蔵

そして会場の中央に光琳の「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」。「燕子花図」は何度も観てますが、「紅白梅図」は初見(MOAでレプリカは観てますが)。まるで音符の連なりのように軽やかな構図が心地いい「燕子花図」に対し、「紅白梅図」は艶っぽいというか、なんだか妙に生々しい。男女の関係を見る向きがあるのも頷けます。渦巻く波文もただの文様というよりも、ちょっと情念的にすら見えます。

尾形光琳 「紅白梅図屏風」(国宝)
江戸時代・17世紀 MOA美術館蔵

ほかにも光琳の「槇楓図屏風」とその元となった宗達工房の「槇楓図屏風」、光琳の画稿・下絵など貴重な資料である「小西家文書」など。展示は2階にもあって、<燕子花図屏風の茶>という特集展示は、「燕子花図屏風」を購入した実業家の初代根津嘉一郎がお披露目のために開いた茶会で使用された茶道具や掛軸などが展示されていて、数寄者として名高い氏の趣味が垣間見れてなかなか興味深かったです。


【尾形光琳300年忌記念特別展 燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密】
2015年5月17日(日) まで
根津美術館にて

もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)


光琳図案図録光琳図案図録

2015/04/20

片岡球子展

東京国立近代美術館で開催中の『片岡球子展』に行ってきました。

早いもので片岡球子が天命を全うして7年。亡くなられたのが103歳のときでしたので、今年で生誕110年なんですね。本展はそれを記念しての展覧会です。

本展では絵画作品約60点、遺されたスケッチや渡欧時の資料類約40点が展示されています。作品数は多くありませんが、代表作『面構』シリーズをはじめ、要所々々をおさえた展示で、球子の画業の全貌を知ることができます。

大好きなんですよ、片岡球子。亡くなられた後の追悼展も観に行きましたが、ここまでの規模の回顧展を観るのは初めて。とても楽しみにしていました。


第1章 個性との闘い-初期作品

初期の作品はまだおとなしく、筆も薄塗りで、いい意味で昭和初期の近代日本画の流れに乗ってるなという印象です。前田青邨に褒められたという「炬燵」は、着物の色とりどりの文様に球子のこだわりが既に出ているとはいえ、個性と呼べるものはまだ見られません。公募展にもなかなか入選せず、自らを“落選の神様”と称したといいます。

片岡球子 「炬燵」
昭和10年 北海道立近代美術館蔵

描きたいものとか、実力とか、自分らしさとか、そうした葛藤の行き着いた先なのか、戦前の頃すでに球子の絵は“ゲテモノ”扱いされていたようです。会場に小林古径が球子に語ったという言葉が紹介されていました。

「あなたは、みなから、ゲテモノの絵をかく、と、ずいぶんいわれています。今のあなたの絵は、ゲテモノに違いありません。しかし、ゲテモノと本物は紙一重の差です。あなたは、そのゲテモノを捨ててはいけない。自分で自分の絵にゲロが出るほど描きつづけなさい。いつかは必ず自身の絵に、あきてしまうときが来ます。そのときから、あなたの絵は変わるでしょう。薄紙をはぐように変わってきます。それまでに、何年かかるかわかりませんが、あなたの絵を絶対に変えてはなりません。」

球子の絵は確かにお世辞にも上手いとは言えないし、アクが強く個性的なんですが、とはいえこの頃はまだ突き抜けたものは感じられません。

片岡球子 「祈祷の僧」
昭和17年 北海道立近代美術館


第2章:対象の観察と個性の発露-身近な人物、風景

片岡球子は約30年もの間、小学校で美術教師をしていたというのは有名な話ですが、どんな先生だったんでしょうね。球子に教えてもらっていた児童がうらやましい。

学校の仕事の傍ら、画家としての活動を続けていたわけですが、児童たちをモデルにした作品というのもありました。絵の上手な小学生が描いた作品といわれても分かりませんが(笑)。こうした児童たちを観察し描いた作品がその後の“面構”に繋がっていくんだろうなと感じます。

片岡球子 「飼育」
1954年 横浜市立大岡小学校蔵

1950年代に入ったあたりから、ついにゲテモノが薄紙をはぎはじめ、鮮やかな色彩、個性的な造形、特徴的な構図が現れます。“火山”シリーズや、球子といえばという“富士山”を描いた作品など、強烈なインパクトをもった絵が並びます。太い輪郭線や主張の強い色彩。「桜島の夜」や「「海(小田原海岸)」、「海(真鶴の海)」、「カンナ」などは最早日本画の概念を飛び越え、フォーヴィスムやキュビスムを思わせます。

片岡球子 「海(真鶴の海)」
昭和34年 神奈川県立近代美術館


第3章:羽ばたく想像の翼-物語、歴史上の人物

会場の解説には、たびたび“フィルター”という言葉が登場します。独自の感性で磨きあげられたフィルターを通して、色彩や造形をとらえ、対象を突き詰めていく。球子ならではの手法は時に衝動的でアバンギャルドに見えますが、その図像を徹底的に研究するなど、入念な準備をしていたといいます。会場に「歌舞伎南蛮寺門前所見」という歌舞伎の舞台に取材した作品がありましたが、公演期間の1ヶ月の間ずっと、歌舞伎座に通い詰めたのだそうです。

片岡球子 「海(鳴門)」
昭和37年 神奈川県立近代美術館

片岡球子 「幻想」
昭和36年 神奈川県立近代美術館

「海(鳴門)」の生き物のように蠢く波、「幻想」のまるで細かな千代紙を貼り合わせたような圧倒的な色彩美。どの絵をとっても、ちょっとたじろぐインパクトです。

片岡球子 「面構 足利尊氏」
昭和41年 神奈川県立近代美術館

代表作の“面構(つらがまえ)”シリーズもいろいろと揃ってます。「足利尊氏」「足利義満」「足利義政」の面構三部作はまるでウォーホル。

片岡球子 「面構 国貞改め三代豊国」
昭和51年 神奈川県立近代美術館

都営大江戸線の築地市場駅にあるパブリックアートのもととなっている「国貞改め三代豊国」や、「葛飾北斎」「東洲斎写楽」といった歌舞伎絵師のシリーズや、晩年に描いた「雪舟」や「一休さま」も。 浮世絵や日本画の世界観を自由に再構築していくその頭脳回路の楽しいことといったら。

片岡球子 「面構 歌川国貞と四世鶴屋南北」
昭和57年 東京国立近代美術館


第4章:絵画制作の根本への挑戦-裸婦

最後は晩年のライフワークとなった裸婦画。この裸婦画に挑むにあたり、球子は一からデッサンの勉強を始めたのだそうです。最後の最後まで対象を表現することの追求に余念がなかったというその創造欲の凄さ。会場の最後に展示されていた作品は実に98歳のときのものでしたが、年齢や衰えを全く感じさせないから驚きです。

片岡球子 「ポーズ2」
昭和59年 札幌芸術の森美術館

ゲテモノがひと皮むけたら、さらに強烈なゲテモノになった。それが片岡球子なんだという気がします。何もかもエネルギッシュでした。常設展にも片岡球子の作品が出てるので忘れずに。


【生誕110年 片岡球子展】
2015年5月17日まで
東京国立近代美術館にて


もっと知りたい片岡球子―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい片岡球子―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2015/04/11

マグリット展

国立新美術館で開催中の『マグリット展』に行ってきました。

久しぶりの大回顧展とあって、開幕前から話題もちきりの展覧会。マグリットの回顧展としては2002年にBunkamuraザ・ミュージアムで開かれた展覧会以来だそうです。初日に拝見してまいりましたが、お客さんの入りも上々で、『マグリット展』への期待の高さが伺えます。

本展には世界中からマグリットの代表作が集められていて、よくもここまで集められたなというか、よくみんな快く貸し出してくれたなと思うほど。作品は初期から晩年まで満遍なく揃っていて、約130点。参考資料の展示を含めると190点近くにもなり、かなりボリュームもありました。

『ジョルジュ・デ・キリコ展』のときにもちょっと書いたのですが、高校生の頃に初めて買った画集がデ・キリコとマグリットでした。むかし画集で見た作品もたくさんあって、正直かなり興奮しました。あまりに楽しすぎて2巡してしまったほどです。


Ⅰ 最初の探求 1920-26

初期のマグリットは未来派やキュビズムの影響が顕著で、線や形、色面で構成された抽象絵画が目立ちます。この時期マグリットはグラフィックデザイナーとして活動をしていて、当時手掛けた商業デザインやポスターなども参考展示されていました。デザインはアールデコ調で、なるほどそういう時代だったんだなと感じます。

ルネ・マグリット 「水浴の女」
1925年 シャルルロワ美術館蔵

「水浴の女」はアールデコと都会的な女性の組み合わせで、オシャレ感をアピール。その中にも後年の作品にたびたび登場する球面と海が描かれているのが興味深いところです。


Ⅱ 自由な空間としてのシュルレアリスム 1926-30

デ・キリコの作品に強い影響を受け、一気に作風が変わります。思いっきりデ・キリコを彷彿とさせる作品やエルンストを匂わす作品もありますが、徐々にマグリットらしさも出てきます。分割された画面や模様が切り取られた紙、コラージュやフロタージュ的なもの、文字が書きこまれたもの、空を描いたもの…。マグリットの作品に頻繁に登場する白い雲の浮かぶ青空やフレーム、鈴といったモティーフもこの頃すでに見られます。

ルネ・マグリット 「困難な航海」
1926年 個人蔵

この時期の代表作といえば「恋人たち」。本展には2点の「恋人たち」が来ています。有名なMoMAの作品は顔を布に包まれたまま接吻していますが、もうひとつのオーストラリア国立美術館の作品は顔を布に包まれたまま屋外で頬ずりをしています。MoMAのものは心中するかこのまま飛び降りるんじゃないかというような不安な印象を受けるんですが、もう一点はどちらかというと逆のイメージに映りますね。

ルネ・マグリット 「恋人たち」
1928年 ニューヨーク近代美術館蔵


Ⅲ 最初の達成 1930-39

この頃マグリットはダリの影響もあって、より緻密で写実的な傾向が強くなります。野原を描いた作品に描かれた一枚のカンヴァス。そこには同じ野原が切り取られたように描かれています。この発展系が「野の鍵」で、今度は割れたガラスに映っていただろう景色が描かれているという摩訶不思議な光景。それまでの奇妙で意味不明で混沌としていた世界が、現実と虚構が隣り合わせた独自の空間に変化を遂げていくのが分かります。

ルネ・マグリット 「美しい虜」
1931年 ニュー・サウス・ウェールズ美術館蔵

ルネ・マグリット 「野の鍵」
1936年 ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵

女性の身体が部位ごとにバラバラにされ、それぞれ小さな額に描かれた「永遠の明証」や、女性の乳房が両目に、ヘソが鼻に、性器が口になるという「凌辱」といった偏執的な作品も。マグリットが描いた知人の肖像画もいくつかあったのですが、そこはマグリット。マグリット流に描かれていて、フツーに描かれるより余程記念になりそう。


Ⅳ 戦争と光 1939-48

“木の問題”シリーズがいくつかあって、葉っぱの形をした不思議な木が一本だけ立ってるんですが、広大な大地とか遠景の山並みとかは現実世界だったりします。この超現実的なモチーフとリアリティのある背景や遠景との組み合わせというのがこの頃からよく登場します。基本的にこの人は絵が上手いんだなと思いますね。

女性の彫像を描いた“黒魔術”シリーズの作品や裸婦画もいくつかあって、これがまたマグリット的でとてもいい。女性をとても丁寧に描いているのも印象的。

ルネ・マグリット 「不思議の国のアリス」
1946年 個人蔵

1943年から47年頃に描かれた作品は印象派風のタッチと淡い色彩に溢れ、“陽光のシュルレアリスム”といわれたそうです。なるほどルノワールを思わせる作品もあったりします。でも、生きた鳥をむさぼる少女を描いた「快楽」とか童話的な「不思議の国のアリス」とかかなりシュール。

印象派風の作品から一転、フォーヴィスム(野獣派)に似たケバケバしい色と荒々しいタッチの“ヴァーシュ(雌牛)”なる作品も。マグリットと言われなければ、これは分からない。案の定、評価も悪かったようです。ただ、この大戦前後の作品は、作品の良し悪しは別として、かなり興味深い。


Ⅴ 激しい回帰 1948-67

“ルノワールの時代”も“ヴァーシュ”も成功したとはいえず、結局シュルレアリスムに回帰します。晩年にシュルレアリスムに回帰するところはデ・キリコを思い出しますが、構図やデザイン性、色彩などがさらに洗練され完成度が高くなっていくところは、過去の作品の焼き直しの域を出なかったデ・キリコとは大きく異なります。

ルネ・マグリット 「光の帝国Ⅱ」
1950年 ニューヨーク近代美術館蔵

ルネ・マグリット 「ゴルコンダ」
1953年 メニル・コレクション蔵

家並みは夜なのに空は真昼の青空という「光の帝国Ⅱ」や山高帽をかぶった紳士が浮かんでいる「ゴルコンダ」など、この世界観がたまりませんね。

マグリットはこんなことを言ってます。
「人は常にわたしの作品に象徴を見ようとします。そんなものはありません。その種の意味はないのです」

ルネ・マグリット 「白紙委任状」
1965年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

代表作の「白紙委任状」や「空の鳥」、また「大家族」と作品が充実しています。かつての不安を煽るような作品と違って、時に詩的なメッセージすら感じとれて、不思議な心地よさすらあります。

途中の休憩室にはマグリットのプライベートフィルムなど数本の映像が流れていたり、また写真も多く展示されていて、マグリット的な写真もあれば、私生活を垣間見られるものもあって興味深いものがあります。

ルネ・マグリット 「空の鳥」
1966年 ヒラリー&ウイルバー・ロス蔵

マグリットの作品には意味不明なタイトルも多く、言葉からイメージする固定観念を突き破ったような面白さがあります。意味から解放された先にある絵画の楽しさを体感することができます。不思議感覚に溢れた素晴らしい展覧会でした。


【マグリット展】
2015年6月29日(月)まで
国立新美術館にて


マグリット事典マグリット事典


もっと知りたいマグリット 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたいマグリット 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2015/04/09

ルーブル美術館展

国立新美術館で開催中の『ルーブル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄』に行ってきました。

主催の日テレはこれまでにも何度かルーブル美術館展を開催していますが、なんだかルーブル美術館と長期的な契約を交わしたとかで、2018年から2034年までの20年間に合計6回のルーヴル美術館展を日本で開催するのだそうです。本展はそのシリーズに先立つ展覧会とのこと。今回は“風俗画”にスポットを当てています。

そのうち「モナリザ」あたりが再来日するんじゃないのかと淡い期待を抱いてしまいますが、今回は目玉としてフェルメールの「天文学者」が来日しています。

伺った日は平日でしたが、ちょうど春休みということもあり、館内は親子連れや学生、カップルなど大勢の人で賑わっていました。さすがルーブル。


さて、会場の構成は以下の通りですじ:
プロローグ
第Ⅰ章 「労働と日々」-商人、働く人々、農民
第Ⅱ章 日常生活の寓意-風俗描写を超えて
第Ⅲ章 雅なる情景-日常生活における恋愛遊戯
第Ⅳ章 日常生活における自然-田園的・牧歌的風景と風俗的情景
第Ⅴ章 室内の女性-日常生活における女性
第Ⅵ章 アトリエの芸術家

まずは古代エジプトやギリシャ、中東の作品の中の日常的情景の表現に風俗画の起源を見ていくということで、遺跡の破片や壺などが並びます。混雑する展覧会はいつもそうですが、入ってすぐの場所は何重もの列で、あまりゆっくり観られず。

つづいて、<絵画のジャンル>として、歴史画や肖像画、風景画、静物画を代表する作品例を紹介。 風俗画がジャンルとして認められるのは18世紀後半から19世紀にかけてのことだといいます。

ル・ナン兄弟 「農民の食事」
1642年

17世紀のフランスのル・ナン兄弟の作品は一見農民画という雰囲気ですが、テーブルの上のパンとワインは宗教的な暗喩でしょうか。陰影に富んだ描写はカラヴァッジョの影響も指摘されています。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 「物乞いの少年(蚤をとる少年)」
1647-48年頃

西洋美術の本で取り上げられることも多い、スペインのバロック期を代表するムリーリョの傑作「物乞いの少年」も来ています。強い明暗対比と写実的な少年の描写が素晴らしい。貧しさを物語る粗末な服や汚れた足の裏、虱をつぶす手、床に散らばる海老の殻や芋。何ともやるせない気持ちにさせます。

“抜歯屋”を題材にした二つの作品は面白かったですね。抜歯は医者が行うものと祭りで見世物として行われるものがあるそうで、痛がる患者と周囲の人々の表情がおかしい。

ピーテル・ブリューゲル1世 「物乞いたち」
1568年

小品ながらもインパクトがあったのが、ブリューゲル(父)の最晩年の作「物乞いたち」。物乞いする不具者を描いていますが、それぞれ被っている帽子が王や司教、兵士、市民、農民を表していて、階級制度への批判ではないかと考えられているそうです。顔の表情がいかにもブリューゲルらしい。

ヨハネス・フェルメール 「天文学者」
1668年

やはりここはフェルメール。フェルメールらしい構図、ずば抜けた写実性、想像を膨らますさまざまな小道具。見れば見るほど興味深い作品だなと感じます。大航海時代のオランダを思わせる地球儀や東洋風の衣服もイメージを掻き立てます。もしも願いが叶うなら、「地理学者」と並べて観てみたいですね。

レンブラント・ファン・レイン 「『聖家族』または『指物師の家族』」
1640年

レンブラントもありました。一見、家族の風景のようですが、幼子イエスに授乳する聖母マリアとマリアの母、そしてイエスの父ヨセフの聖家族を描いたものだそうです。非常に精緻な描写ですが、光の表現はフェルメールとはまた違うのが面白い。

ジャン=バティスト・グルーズ 「割れた水瓶」
1771年

印象的だったのがグルーズの「割れた水瓶」。グルーズは風俗画の評価がまだまだ低かった時代に、アカデミーの会員にもなった17世紀フランスを代表する風俗画家。乱れた衣服や割れた水瓶は純潔の喪失を表しているといい、教訓的な絵画として高い人気を集めたのだそうです。

ピーテル・デ・ホーホ 「酒を飲む女」
1658年

フェルメールやレンブラントといったオランダ絵画の展覧会があると、同時代のオランダの風俗画を観る機会が割とありますが、そこでよく見かけるのが男女の恋愛にまつわる絵画。ここでも17世紀オランダ絵画を代表するデ・ホーホ、ヤン・ステーンの作品があります。ただ、ルーブルの美術展なのでフランスの風俗画が多いのは致し方ないところ。個人的にはオランダの風俗画ももう少し観たかったかなと。

ジャン・シメオン・シャルダン 「猿の画家」
1739-40年頃

最後は画家のアトリエを題材にした作品。ありきたりな感じの作品が多い中、意表をついたのがシャルダンの「猿の画家」。シャルダンというと、数年前に『シャルダン展』があって、静物画や風俗画をいろいろと観ましたが、こんな作品も描いていたとは。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「鏡の前の女」
1515年頃

ほかに印象に残った作品は、ティツィアーノの「鏡の前の女」、ルーベンスの「満月、鳥刺しのいる夜の風景」やレピシエの「素描する少年」、コローの「身づくろいをする若い娘」などなど。

本展は目玉という目玉はフェルメールぐらいしかないんですが、そこはルーブル・クオリティ。風俗画といえども、質の高い作品が来ています。


【ルーブル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄】
2015年6月1日(月)まで
国立新美術館にて


ルーヴル美術館の名画 フェルメールと「風俗画」の巨匠たち: なぜ「天文学者」はキモノを着ているのか?ルーヴル美術館の名画 フェルメールと「風俗画」の巨匠たち: なぜ「天文学者」はキモノを着ているのか?



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