2015/08/28

線と色の超絶技巧

太田記念美術館で開催中の『線と色の超絶技巧』を観てきました。

今年は“錦絵”と呼ばれる多色摺木版画の技法が確立してからちょうど250年なのだそうです。“錦絵”は木版画なので、絵師がいて、彫師がいて、摺師がいて初めて成り立つ作品。いつもは色の美しさや構図の面白さ、江戸の風俗や歌舞伎、妖怪画や戯画といったモチーフに目が行きがちですが、その裏で職人たちの高度な技術が浮世絵版画を支えてるというわけです。

そこで浮世絵版画に隠された超絶技巧のテクニックにスポットをあて、彫りや摺りのワザにも注目しようというのがこの展覧会。彫りや摺りの丁寧で繊細な技術や作業の流れを知ることで浮世絵の見方も変わっくるというもの。浮世絵専門の太田記念美術館だからこそできる企画展です。


Ⅰ 錦絵誕生以前の肉筆画

まずは浮世絵が生まれた背景から。ここでは浮世絵の祖と呼ばれる菱川師宣や宮川長春、奥村政信、懐月堂派らの肉筆浮世絵が展示されています。主に初期の肉筆浮世絵の特徴である立美人図で、こうした風俗画(浮世絵)が当時持て囃されていただろうことが分かります。


Ⅱ 錦絵が誕生するまで

墨摺絵、丹絵、紅絵、紅摺絵など、錦絵誕生の過程で生まれた初期浮世絵作品を展示しています。版元挿絵や風俗絵本などで木版画は既にあったわけですが、菱川師宣が版本の挿絵から一枚絵として独立させたことにはじまったと解説にはありました。墨一色の“墨摺絵”だったものに筆を使って鉱物質の朱色の絵具を彩色したのが“丹絵”、紅花を材料とした絵具を塗ったのが“紅絵”、複数の色で版画で摺る方法が編み出され、赤や緑など2~4色ほど用いられるようになったのが“紅摺絵”というわけです。

石川豊信 「若衆三幅対」
寛延~宝暦(1748~64)頃 (展示は8/30まで)

こうして技術も進み、明和2年(1765)に10色の多色摺りの錦絵が生まれます。ただこの頃はまだ大量生産できるまでは至っておらず、 裕福な好事家向けの“絵暦”(絵入りカレンダー)として鈴木春信らがコスト度外視で制作していたようです。

鈴木春信 「風俗四季哥仙 五月雨」
明和5年(1768) (展示は8/30まで)


Ⅲ 彫りの超絶技巧

髪の生え際、降り注ぐ雨、蚊帳の網目、着物の柄や模様、彫物、細かな文字、雑踏のにぎわい、といったテーマに分け、彫師の腕が光るテクニックを見ていきます。

喜多川歌麿 「五人美人愛敬競 松葉屋喜瀬川」
寛政7~8年頃(1795-96) (展示は8/30まで)

江戸初期には印刷の技術も相当進んでましたから、木版の彫りの技術も相応のレベルがあったはずですが、やはり浮世絵という一枚ものの鑑賞用の絵として人気が出てくることで、彫師の腕の競い合いもあるでしょうし、版元からの要求が高くなってくることもあったのでしょう。髪の毛一本一本の生え際の細密な表現や、土砂降りやら小雨やらの繊細な雨の表現など、彫りの技術も急速に上がっていることが分かります。

喜多川歌麿 「蚊帳の男女」
寛政後期(1795-1801) (展示は8/30まで)

蚊帳の網目なんかも、ただ直線的に描く(彫る)のではなく、タテの線とヨコの線をそれぞれ別々に彫り重ねて摺ることで網目を表現するなど、網の動きや緩やかな曲線が感じられるようになっています。まさに超絶技巧!

歌川国貞 「河原崎三升(権十郎)の不破伴左衛門、
二代目岩井紫若の大和屋おわか、五代目坂東薪水(彦三郎)の名古屋山三」
元治元年(1864)  (展示は8/30まで)

文字は左右対称の鏡文字に彫らなければならないので相当な技術を有します。修業し始めの頃の彫師は下書きなしで文字を直接板に彫る練習をするのだそうです。文字を彫るのも大変そうなのに、さらに小さなフリガナまで彫られていたりして驚いてしまいます。

会場には彫り道具や彫りの工程、また摺り道具や摺りの工程などを紹介したコーナーもあり、浮世絵版画の理解に役立ちます。

二代目歌川豊国 「名勝八景 大山夜雨」
天保4~5年頃(1833~34) (展示は8/30まで)


Ⅳ 摺りの超絶技巧

最初に北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を例に、刷りの順序が説明されていてます。先の章でも、着物の模様の色が線からはみ出さない技術について触れられていましたが、浮世絵の色が増え、細密な描写が増えるに連れ、最後に高い完成度を要求される摺師のプレッシャーはどんなものだったんだろうと感じます。

葛飾北斎 「諸国滝巡り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」
天保4年(1833)頃 (展示は8/30まで)

ベロ藍(プルシアンブルー)は若冲も使った輸入顔料で、もともとは高価な絵具だったようですが、中国で安価なものが生産されるようになると浮世絵でも盛んに使用されるようになったといいます。従来の藍色の絵具に比べて色が鮮やかで、水に溶けやすく使いやすかったとか。北斎や広重の浮世絵が例に取り上げられていました。

ほかにも、敢えて色を摺らず紙の地の色を活かして雪を表した例や、紙の質感を活かした摺りや木目を活かした摺り、バレンの強弱や色の濃淡による摺りの技、雲母引きのように趣向を凝らした表現などが紹介されています。

歌川国芳 「高祖御一代略図 佐州塚原雪中」
天保前期(1831~37) (展示は8/30まで)


Ⅴ 凄腕の彫師・摺師たち

浮世絵師の名前はある意味浮世絵の看板なので必ず一緒に摺られていますが、幕末になると腕のある彫師や摺師の名前も絵師の名前と並んで浮世絵に摺られるようになったそうです。フツーに名前を入れるのも芸がないので、広重の「木曾海道六拾九次之内 贄川」では宿場の看板に彫師と摺師の名前が描かれているなど、中には遊び心のあるものもあったりします。

歌川広重 「木曾海道六拾九次之内 贄川」
天保8~9年(1837~38) (展示は8/30まで)


Ⅵ 現代に伝わる彫りと摺り

最後のコーナーでは現代の版画作品から。加山又造や中島千波、山口晃なんかもあります。展覧会の主題からは少し逸れる気がしましたが、錦絵誕生前の肉筆画から歴史を観てきたので、現代に繋がる版画の系譜として興味は尽きません。


展示作品数は約100点。北斎や歌麿から国芳や芳年まで、作品の充実ぶりはさすが浮世絵専門の美術館ならではです。浮世絵の初心者からツウの人まで、幅広い層にオススメできる展覧会だと思います。


【錦絵誕生250年記念 線と色の超絶技巧】
前期:2015年8月1日(土)〜8月30日(日)
後期:2015年9月4日(金)〜9月27日(日)
太田記念美術館にて


ようこそ浮世絵の世界へ 対訳付 (An Introduction to Ukiyo-e, in English and Japanese)ようこそ浮世絵の世界へ 対訳付 (An Introduction to Ukiyo-e, in English and Japanese)

2015/08/23

伝説の洋画家たち 二科100年展

東京都美術館で開催中の『伝説の洋画家たち 二科100年展』に行ってきました。

二科展というと昔は文展から分離した由緒ある展覧会で、洋画家の登竜門としてそれなりの位置づけだったわけですが、近年は芸能人が入選したりすることで話題になるぐらいですから、名もあるけれど、いい意味で門戸の広い展覧会なんだろうなという印象を持ってました。

そんなこともあり、ちょっとスルーしてたのですが、観に行かれた方の評判も割といいので、夏休みで時間もありましたし、ちょっと拝見してまいりました。

お盆休みの土曜日でさぞや混んでるかと思いましたが、館内はそれほどでもなく、もう10年近く前ですが、国立新美術館で開かれた『日展100年展』や、昨年の日本美術院再興100年記念の『世紀の日本画』などに比べると、お客さんの入りもいま一つでしょうか。それでも日本の洋画界を牽引してきた錚々たる画家の作品が並んでますし、西洋画のトレンドや技術を貪欲に吸収してきた日本の近代洋画の流れを見る上でもなかなか興味深い内容になっています。


第1章 草創期 1914-1919年

文展の日本画部門が新旧の二科に分かれ、新しい傾向の画家たちも受け入れられやすかったのに対し、洋画部門は一科制で旧態依然としていたことから、不満を抱いた一部の洋画家たちが公募展を立ち上げたのが二科展のはじまり。初期の二科展では坂本繁二郎や梅原龍三郎、山下新太郎、有島生馬ら、創設メンバーの作品が中心ですが、その中でも村山槐多や関根正二というまだ10代の若手画家や、また萬鉄五郎や東郷青児といった新しい傾向の画家が登場するところに二科展の気風を感じます。

村山槐多 「田端の崖」
大正3年(1914) 信濃デッサン館蔵

関根正二 「姉弟」
大正7年(1918) 福島県立美術館蔵

村山槐多は22歳で、関根正二は20歳で夭折してしまうわけですが、いまもこれだけ名を残しているのは二科展が彼らに光を当てたことも大きいのだろうと思います。二人は残された作品も少ないので、こうして揃って観られるのは貴重です。ほかにも岸田劉生や正宗得三郎、保田龍門といった後に大成する画家の初期作品が観られるのも有り難いですね。梅原龍三郎や山下新太郎のようにルノワールに感化された作品もあれば、萬鉄五郎や東郷青児のようにキュビズムを取り入れた作品もあって、同時代のものとして並んでいるのも面白いところ。

萬鉄五郎 「もたれて立つ人」
大正6年(1916) 東京国立近代美術館蔵


第2章 揺籃期 1920-1933年

作品数としても多く、また質的にも充実しているのが第2章。この頃になると海外に出る人も多く、また最新の情報にも貪欲になっているのか、キュビズムやシュルレアリスム、未来派といった前衛絵画など西洋の新傾向が時間のズレもなく日本の洋画界にも伝播しているのが分かります。

黒田重太郎 「一修道僧の像」
大正11年(1922) 個人蔵

フランスのキュビズムの画家アンドレ・ロートの作品が数作展示されていましたが、ロートの作品は“おだやかなキュビズム”と呼ばれ、日本人にも受け入れやすかったのか、黒田重太郎が師事したほか、古賀春江など多くの日本人画家に影響を与えたといいます。中には、ドニに師事したという矢部友衛のようにキュビズムの影響が濃厚な作品もありましたが、黒田重太郎の「一修道僧の像」はキュビズムでも然程厳格でなく、写実的なタッチと抑えたトーンが印象的です。

坂本繁二郎 「帽子をもてる女」
大正12年(1923) 石橋財団石橋美術館蔵

正宗得三郎 「パリのアトリエ」
大正12年(1923) 岡山県立美術館蔵

坂本繁二郎の作品は3点出品されていて、得意の馬の絵もいいのだけれど、フランス時代に描いた「帽子をもてる女」は個人的にも好きな作品。色の面で大胆に描いてるにもかかわらず、女性の存在感や個性、服や帽子の肌触りや穏やかな空気感まで伝わってくるようです。

フランス留学組では、正宗得三郎の「パリのアトリエ」が印象的。野山の風景の絵のイメージのある画家だったので、こんな洒落た絵も描いていたのかというのも新しい発見です。ルオーに師事したという伊藤廉の「窓に倚る女」は暗い色調とタッチがルオー的でこれも雰囲気があります。

東郷青児 「超現実派の散歩」
昭和4年(1929) 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館蔵

佐伯祐三 「新聞屋」
昭和2年(1927) 個人蔵

“二科会のドン”東郷青児は3点あって、「ピエロ」はキュビズムの影響を匂わせるも、丸みを帯びた大柄なピエロの造形がユニーク。東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館でも数年前に観た「超現実派の散歩」は解説に「風紀取り締まりにより公開禁止となるが、一部修正を加えることで出品を認められた」とありましたが、こののんびりとした感じの絵のどこが風紀を乱したのでしょう(もちろん展示されてるのは修正後のものですが)。うーん気になる。

佐伯祐三は2点あって、ユトリロの影響を強く感じる「リュ・ブランシオン」と遺作の「新聞屋」。「新聞屋」はよくあるパリの抒情的な風景とも違い、佐伯らしい繊細なタッチでありながらも新鮮さと力強さを感じさせます。

木下孝則 「後向の裸女の習作」
大正14年(1924) 和歌山県立近代美術館蔵

初めて観た画家だと思うのですが、木下孝則の「後向の裸女の習作」も見入ってしまう素晴らしさ。独学で油彩を学んだとのことですが、完成度の高い写実的な表現力と品性さえ感じる落ち着いた画風が秀逸です。

古賀春江 「素朴な月夜」
昭和4年(1929) 石橋財団石橋美術館蔵

ほかにもメルヘン的だけどシュールで不思議な空間感覚が面白い古賀春江の「素朴な月夜」や、フォーヴィズムの色遣いと日本的な女性というミスマッチのインパクトが凄い長谷川利行の「女」など、やはり大正から昭和初期にかけての洋画は興味深い作品が多くあります。長谷川利行の「女」は「女人の裸体を獣肉の如く描き出した」と評されたといいます。なるほど。

長谷川利行 「女」
昭和7年(1932) 京都国立近代美術館蔵


第3章 発展、そして解散 1934-1944年

この時代、二科会の“顔”のような存在となるのが藤田嗣治。日本に活動の拠点を移し、昭和9年に二科会会員となって以降、藤田は洋画界のニュー・リーダーとしても重要な位置を占めたといいます。展示されていた「町芸人」と「メキシコに於けるマドレーヌ」は日本帰国直前の中南米旅行時の影響が色濃い作品で、1920年代の乳白色の作品とは異なる色彩豊かなリアルな表現が印象的。マドレーヌは藤田の四番目の妻で、約2年におよぶ旅にも伴い、一緒に来日しますが、この絵の描かれた翌年フランスに帰国。その後モルヒネ中毒で亡くなります。

藤田嗣治 「メキシコに於けるマドレーヌ」
昭和9年(1934) 京都国立近代美術館蔵

安井曾太郎 「玉蟲先生像」
昭和9年(1934) 東北大学史料館蔵

ここでは、安井曾太郎らしい写実とデフォルメが見事に折衷し、人柄まで伝わってくるような「玉蟲先生像」、いつもの田舎の民家の絵とは違って力強いタッチに惹き込まれる向井潤吉の「争へる鹿」、写実性の高さと描写力が素晴らしい宮本三郎の「家族席」が秀逸。

時代的には戦争の影も色濃く、作品的にも国威発揚の名の下、制作されたような作品もありますが、その中で何かに怯える家族を守るように堂々と屹立する松本竣介の「画家の像」が強く心に残ります。絵画も国家に役立つ思想感情を表現する必要があると叫ばれる中、美術への干渉に抗議して「生きてゐる画家」を寄稿した松本の姿とダブり、彼の気概を感じさせます。

松本竣介 「画家の像」
昭和16年(1941) 宮城県立美術館蔵


第4章 再興期 1945-2015年

最後に少しだけ戦後の二科展の出品作から。岡本太郎や山口長男、大沢昌助など。ここではサーカス団をモチーフにした岡田謙三の「シルク」が印象的。後年の抽象絵画とは異なる、どこかピカソの新古典主義あたりを思わせる画風で、時代的な新しさこそありませんが、フランスで学んだ成果が表れたような、そんな作品に感じます。

岡田謙三 「シルク」
昭和22年(1947) 横浜美術館蔵

日本を代表する洋画家の初期作品や出世作が多く、フランスを中心とした最先端の西洋画の技法を取り入れながらも独自の洋画を確立しようと試行錯誤する若き画家たちの姿に胸打たれる展覧会でした。


【伝説の洋画家たち 二科100年展】
2015年9月6日まで
東京都美術館にて


評伝 藤田嗣治〔改訂新版〕評伝 藤田嗣治〔改訂新版〕

2015/08/17

国宝 曜変天目茶碗と日本の美

サントリー美術館で開催中の『国宝 曜変天目茶碗と日本の美』を観てまいりました。

陶磁器や茶器に疎いわたしでも「曜変天目茶碗」のウワサはいろいろと耳にしていて、一度は観てみたいとずっと思っていました。藤田美術館でも数年に1度しか公開されないそうで、館外へはまず貸し出さないとも聞いていました。それが東京にいて観られるなんて、これはまたとないチャンスです。

大阪の藤田美術館は、関西を代表する明治の実業家・藤田傳三郎と長男の平太郎・次男の徳次郎の2代3人が蒐集した美術品を紹介するために作られた美術館。傳三郎は、廃仏毀釈により廃棄や海外流出の危機にあった仏像や仏画など文化財の保護に尽力したといいます。

その藤田美術館は国内でも有数の東洋・日本美術のコレクションを誇り、2,111件の収蔵品のうち、国宝が9件、重要文化財が52件もあるのだそうです。本展(東京会場)ではその中から、8点の国宝と22点の重文を含む約130点の貴重なコレクションが出品されています。


会場は4つの章で構成されています。
第1章 傳三郎と廃仏毀釈
第2章 国風文化へのまなざし
第3章 傳三郎と数寄文化
第4章 茶道具収集への情熱

快慶 「地蔵菩薩立像」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 藤田美術館蔵

会場に入るとまず「千体聖観音菩薩立像」がお出迎え。興福寺から売りに出されていたという仏像で、もとは藤原氏が奉納したと伝えられているといいます。小振りの木彫仏ですが、一体々々雰囲気が異なり、表現の豊かさと風雅な佇まいに見とれます。

彩色が美しい「地蔵菩薩立像」は快慶後半期の傑作。穏やかな表情といい、バランスのいいプロポーションといい、美しく整えられた衣文の表現といい、見事な光背といい、何れをとっても非の打ちどころのない素晴らしさ。玉眼は快慶の弟子・行快が担当したと墨書銘に記されているそうです。

それにしても解説などを見てると、どこそこのお寺伝来のものとか、何某家の旧蔵のものとかあって、明治維新の社会の混乱と仏教美術品の悲運はいかばかりのものだったのかと思います。

藤原宗弘 「両部大経感得図」(国宝)
保延2年(1136) 藤田美術館蔵(展示は8/31まで)

仏画では、インドの僧が経典を手に入れる物語を描いたという国宝「両部大経感得図」がいい。一見中国画を思わせますが、右幅には桜や鴛鴦、鵜が、左幅には秋草や紅葉が描かれ、風情を感じます。平安時代の初期やまと絵としても貴重だといいます。「薬師三尊十二神将像」は鎌倉仏画らしい力強い筆致と彩色が印象的。

「深窓秘抄」(国宝)
平安時代・11世紀 藤田美術館蔵

和様の書も充実していて、中でも「後拾遺和歌集」序文から藤原公任が撰んだという和歌集を書写した「深窓秘抄」が白眉。藍や紫の繊維を漉き込んだ飛雲を散らした料紙と、お手本のような流麗な仮名文字が何より美しい。本品は切断されてない完本としても貴重なものだそうです。

元は冊子本の「古今和歌集」を帖仕立てにした「古今和歌集断簡 筋切 通切」の豪華さも目を惹きます。仮名文字の優美さもさることながら、料紙には銀泥の“筋切”といわれる線があり、また青地に金で描かれた絵も美しい。

絵画では、三蔵法師の一生を描いた色鮮やかな「玄奘三蔵絵」、信仰と功徳のことを分かりやすい絵で説く「阿字義」、最も古い歌仙絵の一つという「上畳本三十六歌仙切」が印象的。ほかにも、周文や中国絵画の馬遠、梁楷といった錚々たる絵師の作品や、狩野正信や永徳、円山応挙なども見事。

竹内栖鳳 「大獅子図」
明治35年(1902)頃 藤田美術館蔵(展示は8/31まで)

ひとつ階段を下りた3階では栖鳳の代表作「大獅子図」にまず驚きます。数年前の『竹内栖鳳展』では京都会場にしか貸し出されなかった傑作。東京会場は横向きのライオンでしたが、正面を向いた本作はさすが百獣の王といった威圧感たっぷりの堂々たる顔つきで素晴らしい。

「曜変天目茶碗」(国宝)
中国南宋時代・12~13世紀 藤田美術館蔵

そして「曜変天目茶碗」。現存する曜変天目は世界で3碗(藤田美術館所蔵、静嘉堂文庫美術館所蔵、大徳寺龍光院所蔵)しかなく、その中でも外側まで曜変があるのは本品のみ。薄暗い館内で照明の当て具合も絶妙で、漆黒の碗の中に浮かび上がる瑠璃色の斑紋はまるで小宇宙のよう。いまだ製法が不明で再現できないというだけあり、まさに奇跡の産物です。藤田美術館で観たことのある方も皆さん、藤田美術館で見るより綺麗に見えるとおっしゃってますね。

「砧青磁袴腰香炉香雪」
中国南宋時代・13世紀 藤田美術館蔵

ほかにも、翡翠の青磁と梅花紋の蓋が美しい「砧青磁袴腰香炉 銘 香雪」や、見込みの双魚が風情のある「砧青磁双魚小鉢」、まんまるでかわいい「鴨形香合」と逸品揃い。「交趾大亀香合」は形物香合で最も大きく、幕末の“形物香合相撲”で最上位の東の大関に番付されたもの。死の床に臥していた傳三郎はこの香合の落札に執念を燃やし、当時としては破格の9万円(現在の9億円)で手に入れたといいます。亀の甲羅の三彩の配色がまたいいですね。

「交趾大亀香合」
中国・明~清時代・17世紀 藤田美術館蔵

藤田傳三郎のように私財を投じて美術品の保護と蒐集に努めた人がいなかったら、もしかしたら海外に散逸したり、廃棄や所在不明の憂き目にあっていたかもしれないわけで、こうして今も観られることはとても有難いことです。藤田美術館のお宝お目白押しで、誠に眼福でした。


【国宝 曜変天目茶碗と日本の美 -藤田美術館の至宝】
2015年9月27日(日)まで
サントリー美術館にて


関西の二大実業家が護った東洋の宝 藤田美術館 白鶴美術館関西の二大実業家が護った東洋の宝 藤田美術館 白鶴美術館

2015/08/15

エリック・サティとその時代

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『エリック・サティとその時代展』に行ってきました。

西洋音楽の伝統に革新的な技法を取り入れ、20世紀の現代音楽に大きな影響を与えたサティ。ピカソやジャン・コクトー、マン・レイなどの芸術家とも交流し、互いに刺激を与え合う中で、多くの作品が生まれました。

作曲家の展覧会ってどんな感じになるんだろう? ちょっとイメージが湧かなかったのですが、なるほど本展は、サティとコラボレートした芸術家たちの作品を通して、作曲家サティの活動や新たな側面を浮かび上がらせようというものでした。会場には心地よいサティの音楽が流れ、ゆったりとした時間の中で、サティが活躍した20世紀初頭のパリの雰囲気を味わいつつ、資料や美術作品を観ることができます。


会場の構成は以下の通りです。
第一章 モンマルトルでの第一歩
第二章 秘教的なサティ
第三章 アルクイユにて
第四章 モンパルナスのモダニズムのなかで
第五章 サティの受容

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 「ディヴァン・ジャポネ」
1893年 川崎市市民ミュージアム蔵

時はベル・エポック。ムーラン・ルージュに、フレンチカンカンを踊る女性、キャバレー歌手…、19世紀末のパリの享楽的なパリを今に伝えるポスターなどが並びます。サティも出入りしていたというキャバレー“シャ・ノワール”が発行した冊子や雑誌など資料も豊富。こうした刺激に溢れた街で、サティは若い芸術家や芸術家の卵たちと出会い、また感性を磨いてきたのでしょうね。

会場に流れるのは「ジムノペディ」。パネルでは初期の代表作「オジーヴ」のことにも触れられていました。各コーナーには、こうした時代時代のサティ代表作についても紹介されています。

エリック・サティ(自筆手稿) 「3つのジムノペディ、第2番」
1888年 フランス国立図書館蔵

象徴主義の画家のことを調べたり、美術展に行ったりしたときに、ときどき聞く名前に“薔薇十字展”というのがあります。“薔薇十字展”は19世紀末に象徴主義の画家を中心に開催された展覧会で、モーリス・ドニやルドン、ルオー、クノップフ、ヤン・トーロップ、ベルナール、ヴァロトン、ホドラーらが出品したりしていました。

その“薔薇十字展”は秘教主義の“薔薇十字会”の創設者ジョセファン・ペラダンが主催していて、サティはシャ・ノワールでピアニストをしていた頃にペラダンと出会い、“薔薇十字会”の聖歌隊長になって曲を書いたりしてるんですね。“薔薇十字展”の開会式にはサティ作曲の「薔薇十字会のファンファーレ」が演奏され、大勢の来場者が訪れ、大成功を収めたといいます。

しかし、ベラダンは熱狂的なワーグナー崇拝者、片やサティはアンチ・ワーグナー。二人は相反する美学を持っていて、またベラダンの性格の問題もあって、二人の関係は長く続かなかったようです。サティの変わり者ぶりもエピソードには事欠きませんが。

このコーナーではサティの「薔薇十字会のファンファーレ」が流れています。

カルロス・シュヴァーベ 「薔薇十字展の小さなポスター」
1892年 フランス現代出版史資料館蔵

会場にはサティの肖像画や愛用の帽子があったり、サティが五線譜に描いた恋人ヴァラドンの絵なんていうのもあります。ヴァラドンはルノワールやロートレックのモデルをしたり、ユトリロとの同棲歴があったりと、当時のパリのアート界では有名な女性だったようですね。サティにとっては生涯唯一の恋愛だったとありました。

「サティを聴きながら」(『今日のファッションとマナー』より) 1920年

サティの斬新で独特の作曲ポリシーは一部で高い評価をされていたものの、時代はまだワーグナーなど新ロマン主義が主流。その中で、ドビュッシーやラヴェルなど印象主義の音楽家が台頭してきていましたが、サティはその波には乗れずにいました。しかし、1911年に演奏会でラヴェルが「ジムノペディ」を披露したのがきっかけとなり、サティの音楽は広く注目されます。

プライベートコンサートでサティの音楽を楽しむ女性たちの様子を描いた絵が展示されていましたが、サティの音楽が上流階級の間でもオシャレな最先端の音楽として受け入れられいたことが分かります。


シャルル・マルタン(挿絵)、エリック・サティ(作曲) 「『スポーツと気晴らし』より“カーニバル”」
リュシアン・ヴォージェル刊 1914-23年

当時人気の挿絵画家シャルル・マルタンの作品に合わせて作曲をしたのが「スポーツと気晴らし」。マルタンの絵は上流階級の優雅な生活を描いたアールデコ調の20枚の連作で、それぞれに合わせて小品が作曲されています。会場にはマルタンの絵とサティの楽譜が一緒に展示されているのですが、サティ自筆の楽譜には詩ともコメントとも取れるような一文が添えられてあったり、楽譜そのものが調号や小節線もなかったりと、いかにもサティらしい。カリグラフィーも特徴的。

会場の最後に、「スポーツと気晴らし」の演奏と詩の朗読を聴きながら、スチール映像を観ることのできるスペースもあります。

『パラード』の再現公演 抜粋 (2007)

サティはパリで活躍する多くの芸術家と交流があったわけですが、そこから生まれた作品も多く、セルゲイ・ディアギレフが率いるバレエ・リュスのために書いた『パラード』がここでは取り上げられています。『パラード』は音楽をサティ、台本をコクトー、美術と衣装をピカソという当時最先端の芸術家たちが結集した一幕ものバレエ。内容的にも前衛的なところがあり、かなり賛否両論を巻き起こしたといいます。ピカソによる舞台や衣装の下絵や、コクトーの覚書などとともに、舞台の写真が展示されているほか、数年前に行われた再現公演の様子が映像で流れていて、どんな舞台だったのかを垣間見ることができます。

ルネ・クレール(監督)、エリック・サティ(作曲) 『幕間』 1924年

晩年のサティはコクトーに半ば祭り上げられたこともあり、フランスの若手作曲家のグループ6人組やダダイストら、若い芸術家たちにも受け入れられ、交流を深めます。ここでは、サティが上映会のための音楽を作曲をしたサイレント映画『幕間』の映像が流れていたり、マン・レイのサティへのオマージュ作品が展示されていたり、サティの音楽の現代性が音楽の域を超え多くの芸術家たちに影響を与えたいたことが分かります。

マン・レイ 「エリック・サティの梨」 1968年

数年前にブリヂストン美術館で『ドビュッシー、音楽と美術』という展覧会があり、音楽と美術の関係にスポットがあてられていましたが、ドビュッシーとサティの僅か10数年の時代の差(もちろん音楽の違いもありますが)だけで、これだけ影響を受けた/与えた世界が違うのだと、そういう点でも興味深く感じる展覧会でした。


【エリック・サティとその時代展】
2015年8月30日
Bunkamura ザ・ミュージアムにて


高橋アキ プレイズ エリック・サティ-1高橋アキ プレイズ エリック・サティ-1


高橋アキ プレイズ エリック・サティ-2高橋アキ プレイズ エリック・サティ-2

2015/08/14

秘蔵の名品 アートコレクション展 美の宴

ホテルオークラで開催中の『第21回 秘蔵の名品 アートコレクション展 美の宴 -琳派から栖鳳、大観、松園まで-』を観てきました。

今年はいつもの別館が改修工事中のため、本館で一番大きな宴会場「平安の間」で行われています。

そのホテルオークラ本館もこの夏を最後に建て替えのため取り壊しになるので、本展が今のホテルオークラでは最後のイベント。見納めもあってか、会場は多くのお客さんで賑わっていました。

今回のテーマは<美の宴>。美しい音色を感じる<奏でる>、華やかに彩る<舞い踊る> 、人々が集い楽しむ<集う>の三つをテーマに、その名の通り琳派から栖鳳や大観、松園まで、名品の数々がホテルオークラ本館の最後の宴を華やかに盛り上げています。


第1章 ~奏でる~

三味線の稽古をする喜多川歌麿の「三美人」や舞の支度をする上村松園の「舞支度」といった和楽器や西洋の楽器がモチーフに描かれている作品が並びます。松園や池田輝方、木谷千種、橋本明治といった美人画で定評のある画家の作品が目立ちます。

上村松園 「虫の音」
明治42年(1909) 松伯美術館蔵

本展は松園の作品が充実していて、全部で9点が出品されています。来場者の9割は女性で、女性の方の松園人気は高いので、みなさん作品を観るたびにため息が漏れ聞こえます。

静かな三味線の音にまぎれて虫の音が聞こえてきそうな松園の「虫の音」なんてとてもいいですね。祇園の舞妓をモデルに描いたという「舞支度」もうっとりする美しさ。

上村松園 「舞支度」
大正3年(1914) ウッドワン美術館蔵


第二章 ~舞い踊る~

日本舞踊や歌舞伎、能楽に舞楽とさまざまな“舞い”をテーマにした作品が並びます。日本画や近代洋画の中にアンリ・マティスの「ジャズ」が並ぶのは意表を突きますが面白い取り合わせ。ここでは竹内栖鳳の代表作「アレ夕立に」が出てるほか、伊東深水の「鏡獅子」や宗達派の「扇面流図」が印象的でした。建て替え前の歌舞伎座にいつも飾られていた岡田三郎助の「道成寺」にも2011年の『知られざる歌舞伎座の名画』展以来久しぶりに再会。片岡球子の「宮廷の舞」はさすがのインパクト。

竹内栖鳳 「アレ夕立に」
明治42年(1909) 高島屋史料館蔵


第三章 ~集う~

人々の集いもあれば、花と鳥、季節と季節の集いも。清水登之の「チャイルド洋食店」の街のにぎわいや、宮川長亀の「上野観桜図・隅田川納涼図」の江戸のにぎわい、今村紫紅の「護花鈴」の醍醐の花見のにぎわい。にぎわいといえば、面白かったのが隣りあった河鍋暁雲「百布袋之図」と藤井松林の「百福之図」で、遊興にふける布袋やお多福がびっしり描かれ、わいわいと盛り上がる楽しげな声が聞こえてきそうです。これが宮内庁の所蔵とは。

清水登之 「チャイルド洋食店」
大正12-13年(1923-24) 府中市美術館蔵

ほかにも、靄に包まれた山や川の風景が美しい下村観山の「嵐山・加茂川」や、栖鳳の門人という石崎光遙の大胆な構図の「藤花孔雀之図」が印象的。抱一の「四季花鳥図屏風」も琳派らしい華やかさが見事。

今村紫紅 「護花鈴」
明治44年(1911) 霊友会妙一コレクション蔵

酒井抱一 「四季花鳥図屏風」
文化13年(1816) 陽明文庫蔵

会場がいつもの別館ではないので、スペースの関係もあり、作品の点数は若干少なめでしたが、ホテルオークラ最後を締めくくるイベントとして優品の数々が集められています。なかなか足を運べない地方の美術館や、関係者でないと通常は観られない企業所有のものなど、こうして観られるのはほんと有り難いですね。


【第21回 秘蔵の名品 アートコレクション展 美の宴 -琳派から栖鳳、大観、松園まで-】
2015年8月20日まで
ホテルオークラ本館1階 平安の間にて


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