2016/12/10

小田野直武と秋田蘭画

サントリー美術館で開催中の『小田野直武と秋田蘭画』を観てまいりました。

秋田蘭画は江戸絵画の展覧会でもときどき見ますし、あまり長く続かず絶えたということも知っていたのですが、それが7年という短い時間の中の出来事だったとは知りませんでした。

本展では、秋田蘭画の中心人物である小田野直武と佐竹曙山、また秋田蘭画の理論的指導者だったという平賀源内を中心に、7年という短い時間を駆け抜けた彼らの足跡を丹念に追っています。秋田蘭画の展覧会としては約16年ぶりだといいます。

秋田蘭画というと洋風画の先駆けの和洋折衷絵画ぐらいにしか思っていなかったのですが、その印象が根底から覆りました。


第1章 蘭画前夜

秋田蘭画は江戸絵画の中でも主流ではありませんし、決してメジャーではないからか、会場の入口にはプロローグとして秋田蘭画の“5つのポイント”が紹介されていました。
  1. 江戸時代半ばに誕生
  2. 東洋と西洋の美が結びついた不思議な絵
  3. 中心的な描き手は秋田藩士・小田野直武
  4. 制作期間が短く、稀少
  5. 江戸の豊かな文化を背景に成立
秋田蘭画は「秋田藩士が中心に描いた阿蘭陀(オランダ)風の絵画」ということでそう呼ばれているのですが、 その中心人物である小田野直武は秋田藩士、佐竹義躬は角館城代、佐竹曙山(義敦)に至っては秋田藩主というところがそもそも凄い。3人とも年もほぼ同じということが、これまた秋田蘭画の7年という短い制作期間にも関係があります。

小田野直武 「大威徳明王像図」
明和2年(1765) 大威徳神社蔵 (展示は12/12まで)

最初の章では小田野直武を中心に、秋田蘭画以前の作品が展示されています。直武は秋田藩お抱えの狩野派の絵師に手ほどきを受けていたとかで、10代の頃の作品は粉本とはいえ、なかなかの腕前だったことが窺えます。その画才は早くから知られていたようで、依頼を受けて描いたとされる「大威徳明王像図」は数え17歳の作品というから驚きです。


第2章 『解体新書』の時代 ~未知との遭遇~

小田野直武という名前を知らなくても、『解体新書』の扉絵や挿絵は教科書などで見覚えがあるはず。ここでは直武原画の『解体新書』や、その絵の原典などが並んでいます。

面白いのは『ヨンストン動物図譜』で、そこに描かれているライオンを直武や宋紫石らが模写していて、実際に直武が描いたライオン図も展示されていました。当時よく描かれていた“獅子図”ではなく、いかにもライオン。

石川大浪・孟高 「ファン・エイロン筆花鳥図模写」 (重要美術品)
寛政8年(1796)賛 秋田県立近代美術館蔵 (展示は12/12まで)

江戸時代の洋風画の絵師として知られる石川大浪・孟高兄弟による「ファン・エイロン筆花鳥図模写」があって、これが見事。徳川吉宗がオランダから買い寄せた油彩画の一つだそうで、花や鳥の精緻な表現や陰影は明らかに日本画のそれとは異なります。谷文晁も同じ絵を模写していて、『谷文晁展』で展示されいたのを覚えています。

ほかにも浮絵に眼鏡絵、泥絵など。なぜか鈴木春信の浮世絵があって、一説には錦絵の誕生に平賀源内が関わっていたとか。


第3章 大陸からのニューウェーブ ~江戸と秋田の南蘋派~

小田野直武は平賀源内との出会いを通じて、秋田蘭画の源流となる西洋絵画や銅版画を知ることになるわけですが、もうひとつベースとなったのが当時ブームを巻き起こしていた南蘋派だったのだそうです。

佐々木原善 「花鳥図」
江戸時代・18~19世紀 秋田県立近代美術館蔵 (展示は12/5まで)

ここでは江戸で活躍した南蘋派の諸葛監や宋紫石の作品のほかに、秋田に南蘋派を伝えたという佐々木原善、そして原善の師という松林山人の作品が紹介されていました。松林山人という方の絵は初めて観ましたが、あまりの素晴らしさに感動しました。中でも「牡丹図巻」が傑作。粗い筆致の牡丹と写実的な牡丹を墨だけで描き対比させていて素晴らしいの一言。後期に巻替えがあるのでまた観に行くつもりです。松林山人は沈南蘋の弟子・熊斐に師事し、安永年間末ごろから江戸で活躍した絵師だといいます。


第4章 秋田蘭画の軌跡

近景に写実的でインパクトのあるものを描き、遠景に遠近法による風景を描くというのが秋田蘭画の典型パターン。銅版画の影響もあってか、細部まで結構細かく描かれています。従来の日本画とは異なる空間表現が多く、構図としても決して安定しているわけではないのですが、そのアンバランスな感覚がまた秋田蘭画の面白いところです。

小田野直武 「不忍池図」(重要文化財)
江戸時代・18~19世紀 秋田県立近代美術館蔵 (展示は12/12まで)

直武の代表作「不忍池図」は近景に南蘋風の芍薬が描かれ、遠景には弁天堂に参詣する人まで丁寧に描きこまれています。花の蕾には肉眼では気付かないぐらい小さな蟻もいます。不忍池に蓮がないのも不思議なのですが、描かれている花の季節もそれぞれ違うのだそうです。花鳥画でもない、風景画でもない、独特の構成がまたどこか異国的で幻想的な印象を与えます。

小田野直武 「日本風景図」
江戸時代・18~19世紀 照源寺蔵

陰影法を意識し立体感を描出した「笹に白兎図」や遠近法で奥行きを出した「日本風景図」などを観ると、日本画的な構図、表現の中に洋風画の技術を巧みに取り入れていて、ある意味、直武は新しい日本画の創造に挑戦していたのではないかと感じます。

中国画にも関心が高かったようで、「人物図」や「児童愛犬図」など中国の風俗を描いた作品も散見されます。円窓をモチーフにした作品も多く、だまし絵的な効果を狙ったものだそうです。

小田野直武 「児童愛犬図」(重要美術品)
江戸時代・18~19世紀 秋田市立千秋美術館蔵 (展示は12/5まで)

佐竹曙山がまたなかなかいい。もともと狩野派から絵を学び、直武から洋風画の教えを受けたそうですが、藩主の余芸というには余りある才能を発揮しています。ただ、曙山の作品は直武に比べて、ちょっとシュール。代表作の「松に唐鳥図」は画面を斜めに大胆に横切る松に異国的な鳥という不思議の光景が広がります。曙山の作品には鳥とか昆虫が描かれているものも多い。どうも博物学に熱を上げていて、参勤交代の途中で生物を写生したり、同じく博物学愛好家の大名と情報交換したりしていたのだとか。会場には曙山が参勤交代の折々に描きためたという写生帖や熊本藩主・細川重賢の写生帖、松平定信の作品もあったりして、当時の大名の間で盛り上がった博物学熱を垣間見ることもできます。

佐竹曙山 「松に唐鳥図」(重要文化財)
江戸時代・18~19世紀 個人蔵 (展示は12/12まで)

佐竹曙山 「岩に牡丹図」
江戸時代・18~19世紀 個人蔵 (展示は12/12まで)

「岩に牡丹図」は南蘋派の影響の色濃い作品。太湖石の印象的な青色は当時まだ珍しかった舶来のプルシアンブルーが使われているそうです。「燕子花にナイフ図」も不思議な作品。江戸時代の日本画でナイフが静物のように描かれているのは初めて観ました。ナイフには銀の裏箔が使われていて、燕子花の色はプルシアンブルーと染料の臙脂を混ぜているとか。

佐竹曙山 「燕子花にナイフ図」(重要美術品)
江戸時代・18~19世紀 秋田市立千秋美術館蔵 (展示は12/5まで)

秋田蘭画系の絵師の作品は他にもあったのですが、特に秋田藩士の田代忠国の絵がかなり異色でキョーレツでした。ただ、こうした秋田蘭画は、小田野直武と佐竹曙山が若くして相次いで亡くなると自然消滅してしまいます。


第5章 秋田蘭画の行方

最後に秋田蘭画以降の洋風画作品を展観。司馬江漢が多かったのですが、司馬江漢になるともう西洋画を強く意識してる感じがあって(実際に油絵や銅版画も手掛けてますし)、却って秋田蘭画はあくまでも日本画の範疇の中で洋風の実験をしていたんだなということが浮き彫りになってくる気がします。

わずか7年、わずか数人の絵師の中で盛り上がっただけなのかもしれないけど、いち早く西洋画法を研究し、日本画の革新に果敢に挑んだ人たちが江戸時代にいたということを知る機会としてとても有意義な展覧会でした。


【世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画】
2017年1月9日(月・祝)まで
サントリー美術館にて


日本洋画の曙光 (岩波文庫)日本洋画の曙光 (岩波文庫)

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