2017/02/25

ガラス絵 幻惑の200年史

府中市美術館で開催中の『ガラス絵 幻惑の200年史』を観てまいりました。

ガラス絵と聞いてもあまりピンと来なくて、最初はスルーしてたのですが、結構評判も良いようで、気付いたら会期も終盤、急いで府中に行ってきました。日曜日の16時ぐらいから閉館までいたのですが、割とお客さんも入っていました。

“ガラス絵”は透明なガラス板の裏に絵を描き、表から鑑賞する絵画のこと。そのため通常の絵画とは描く順番も逆で、最初に描いた部分が完成した作品では一番手前に来るようになります。

もともとは中世ヨーロッパの宗教画に始まり、江戸時代にオランダや中国を経て、日本へ伝わったとされています。会場にはドイツや東欧のガラス絵の宗教画や18世紀の中国のガラス絵なども展示されていました。

西洋では版画の技法で作られていて、ガラス版に油絵具を塗り、細い針のようなもので掻いて図柄を描いたり、中国では膠を使った水溶性の絵具で図柄を描き、その後ろに油絵具を重ねたりと、同じガラス絵といっても時代や場所で描き方は少しずつ違うようです。

日本のガラス絵は江戸時代後期のものからあって、最初に伝播した長崎で流行した“ビイドロ絵”と呼ばれた作品や、ガラス絵をはめた硯屏(小さな衝立) が数点展示されています。絵も西洋趣味を感じさせるものや、絵画というより工芸品として鑑賞するものが多かったようです。

一渓 「川岸洋傘をさす女」
明治期 浜松市美術館蔵

明治に入ると、浮世絵の美人画や役者絵なんかも出てきて、外国人向けのお土産物的な風景画から明治天皇の肖像画まで幅も広がってきますが、明治も終わりになるとガラス絵の物珍しさも薄れ、ガラス絵制作も減っていったようです。

ガラス絵自体が幅20センチ前後の小さなサイズのものが多く、そんなにいろんな情景を描き込めないのと、描き直しが利かないということがあり、制約はいろいろと多いんだと思います。ガラスという材質的な問題もあって、割れてヒビが入っている作品も数点ありました。

小出楢重 「裸女(赤いバック)」
昭和5年(1930) 芦屋市立美術博物館蔵

長谷川利行 「荒川風景」
昭和10年(1935) 個人蔵

そんな中でガラス絵独特の質感や色彩に着目したのが大正から昭和にかけて活躍した洋画家・小出楢重と長谷川利行。ともにスタイルは違いますが、キャンバスに描く油彩画とは一味違うガラス絵に魅了され、多くのガラス絵を制作したそうです。

小出楢重は展示されていた作品のほとんどが裸婦で、構図は小出の油彩画とあまり変わりませんが、ガラス絵の方が色彩は明るく、より平坦でマットな感じがします。長谷川利行は油彩画では筆のタッチに特徴を感じますが、ガラス絵では滲むような色彩というか、油彩画とはまた違う即興性があります。長谷川は相撲を描いたガラス絵があったのも面白い。

桂ゆき 「ブドウとキツネ」
昭和期(1960-70年代) 福島県立美術館蔵

戦後になると、瑛久や鶴岡政男、野見山暁治、小松崎邦雄、深沢幸雄など、洋画家も銅版画家も、抽象も具象も、実にさまざまな画家が、余技的とはいえガラス絵に挑戦しているのが興味深い。藤田嗣治のように自身の絵画に近いものを描いている人もいれば、白髪一雄や川上澄生のようにガラス絵に新たな表現を見出している人もいたりします。ガラス絵が絵画のひとつの表現手段として認知されたんだろうなと感じます。

ガラス絵特有の鮮やかな色彩は素朴な表現や民芸的な作風に合うのか、桂ゆきや芹沢銈介に雰囲気のある作品が目立ちました。この絵いいなと思って作家名を見たら、新派の花柳章太郎で、文才もあり絵も描き多芸だったことは知っていましたが、ガラス絵も玄人はだし。「市ヶ谷ボート場」のノスタルジックな味わい、「射的」の遊び心ある構図の面白さ。ガラス絵の素朴な魅力がよく出ていました。

川上澄生 「洋燈を持つ洋装婦人之図」
昭和29年(1954) 福島県立美術館蔵

さまざまな画家がガラス絵に魅了され、のめり込んだ理由も分かります。ガラス絵独特の質感、鮮烈な色彩に驚き、ガラス絵の楽しさを感じる展覧会でした。


【ガラス絵 幻惑の200年史】
2017年2月26日(日)まで
府中市美術館にて


読んで視る長谷川利行 視覚都市・東京の色―池袋モンパルナス そぞろ歩き (池袋モンパルナス叢書)読んで視る長谷川利行 視覚都市・東京の色―池袋モンパルナス そぞろ歩き (池袋モンパルナス叢書)

2017/02/19

オルセーのナビ派展

三菱一号館美術館で開催中の『オルセーのナビ派展』のブロガー内覧会がありましたので参加してまいりました。

本展は、印象派を中心にしたコレクションで知られるフランスのオルセー美術館の所蔵品約80点で構成された展覧会。ナビ派というと、ポスト印象派や象徴主義の展覧会で作品を目にすることはありますが、単独でここまでしっかり取り上げられるのって恐らく初めてではないでしょうか。

三菱一号館美術館といえば、一昨年に『ヴァロットン展』があって、その前にも『ワシントンナショナルギャラリー展』でボナールやヴュイヤールに1コーナーが設けられてたり、ナビ派と繋がりのある『ルドン展』もやってたりして、ナビ派とは縁の深い美術館。ギャラリートークで三菱一号館美術館の高橋館長がお話されていましたが、ナビ派は海外でも近年再評価されていて、またオルセー美術館のコジュヴァル館長がナビ派に造詣が深く(専門がヴュイヤールとか)、ここ数年一千点単位でナビ派コレクションが増えているといいます。高橋館長はオルセー美術館に在外研究員として赴任していたこともあり、オルセー美術館とは繋がりが深く、今年3月に退任されるというコジュヴァル館長の協力もあって、ナビ派の展覧会としてはトップレベルの内容になったようです。


ポール・セリュジエ 「にわか雨」 1893年

1 ゴーガンの革命

ゴーギャンとナビ派って一瞬結びつかないのですが、ナビ派がポン=タヴェン派の流れを汲むことを考えると、ゴーギャンの影響は計り知れないのでしょう。ここではゴーギャンとともに総合主義を実践したポン=タヴェン派の画家エミール・ベルナールやポール・セリュジエ、モーリス・ドニの初期の作品を展観します。作品は10点も満たないのですが、写実主義の否定や、色や形態の感覚的かつ平面的な描写、輪郭線の強調などが見て取れ、ベルナールやセリュジエらがゴーギャンの指導をどう咀嚼していったかが分かります。

セリュジエの「タリスマン(護符)」はナビ派初期の記念碑的な作品(すいません、写真がピンボケでしたw)。「にわか雨」はゴーギャン以上に平面的で、雨の描写はどこか浮世絵を思わせます。そばにはゴーギャンの言葉も紹介されていました。ドニの「テラスの陽光」はお城の庭園らしいですが、完全に色面のみで構成され、よくこんな大胆な発想ができたなとも思いますし、1890年という時代を考えても、かなり実験的な作品という気がします。ゴーギャンでは2010年の『オルセー美術館展』にも来日した代表作「《黄色いキリスト》のある自画像」が展示されていました。

モーリス・ドニ 「テラスの陽光」 1890年

[写真左] エミール・ベルナール 「収穫」 1888年
[写真右] エミール・ベルナール 「ブルターニュの女性たち」 1888年


2 庭の女性たち

象徴主義はナビ派と密接に結びついていて、ある意味ナビ派の特徴の一つでもあるのですが、女性と自然というテーマは多分に象徴主義的なイメージがあります。ドニがいくつか並んでいて、どれもとても良質な作品で、装飾性が高く、ドニの象徴主義的な傾向がよく出ています。ケル=グザヴィエ・ルーセルの作品なんて唯美主義的なムードもあって、ナビ派という言葉より象徴主義という言葉の方が先に出てくる感じがします。

[写真左] モーリス・ドニ 「10月の宵、若い娘の寝室装飾のためのパネル」 1891年
[写真右] モーリス・ドニ 「9月の宵、若い娘の寝室装飾のためのパネル」 1891年

モーリス・ドニ 「ミューズたち」 1893年

ドニの「ミューズたち」はタイトルの通りに女神なのですが、現代の女性風に描かれているのが面白いですね。優美な女性の曲線とどっしりとした太い幹の直線が様式化された構図にリズムを生み、装飾性を高めているように思います。ドニの代表作「木々の中の行列(緑の木立)」(未出品)と同じ年の作品ということを考えると、その違いも興味深い。

モーリス・ドニ 「鳩のいる屏風」 1893年

ジャポニスムの影響はナビ派の作品に多く指摘されているところですが、ドニの「鳩のいる屏風」は日本の屏風に感化されてるのでしょうし、“日本かぶれ”と揶揄されたボナールの「庭の女性たち」なんて、女性の腰のひねり具合や草花の描写が浮世絵や日本美術をヒントにしているのだろうなと感じます。この作品を観てて、大正ロマンの美人画は西洋の日本趣味作品の逆輸入的な影響もあるんだろうかと思ったりしました。

[写真左から] ピエール・ボナール 「庭の女性たち 白い水玉模様の服を着た女性」
「庭の女性たち 猫と座る女性」「庭の女性たち ショルダー・ケープを着た女性」
庭の女性たち 格子柄の服を着た女性」 1890-91年


3 親密さの詩情

ナビ派のひとつの流れに親密派(アンティミスム)があって、パーソナルな部分に触れてるというか、とてもインティメイトなムードのする作品が多くあります。装飾的な美しさ、かわいらしさとは相入れない、日常の中にある不安や違和感。見てはいけない生活の一断面を覗き見てしまった後ろめたさのような感覚を覚えるのもナビ派の面白さです。

ピエール・ボナール 「ベッドでまどろむ女(ものうげな女)」 1899年

ボナールというと女性のヌードを描いた“浴槽”シリーズがありますが、こんなあからさまな性的イメージを想起させる裸婦画も描いてたのですね。ボナールってもっと明るい色のイメージがあるのですが、色合いも暗めで、淫靡で、どこか退廃的で、世紀末美術のような雰囲気があります。

ヴュイヤールの「エッセル家旧蔵の昼食」も家庭の秘密的な何かが潜んでる感じが伝わってきます。ヴュイヤールの義兄で画家のケル=グザヴィエ・ルーセル一家の食事の風景ということなのですが、夫は浮気をしていて妻の顔をまともに見れないのだとか。目を合わせない夫婦のビミョーな距離感がいたたまれません。

エドゥアール・ヴュイヤール 「エッセル家旧蔵の昼食」 1899年

ヴァロットンも複数作品が出ています。「室内、戸棚を探る青い服の女性」は『ヴァロットン展』でも強く印象に残った作品。何を探してるのが知りませんが、後ろ姿が不気味です。ヴァロットンの木版画シリーズ「アンティミテ」もヴァロットンらしいユニークな作品。独特の冷めた眼差しが後を引きます。

[写真左] フェリックス・ヴァロットン 「髪を整える女性」 1900年
[写真右] フェリックス・ヴァロットン 「室内、戸棚を探る青い服の女性」 1903年


4 心のうちの言葉

肖像画を集めたコーナー。画家の個性がそれぞれ出ていて、ナビ派らしい作品もあれば、正攻法で描いたものもあったりして、表現の追求としての作品と注文肖像画を使い分けていたのかとか、いろいろ興味深いものがあります。

エドゥアール・ヴュイヤール 「八角形の自画像」 1890年頃

ヴュイヤールの「八角形の自画像」は八角形という発想も面白いのですが、色彩の奇抜で大胆な配色が楽しい。本展のメインヴィジュアルにも使われているボナールの「格子柄のブラウス」は手漉き和紙のちぎり絵のようなタッチが印象的。縦長のフレーミングと温かみのある色彩、食卓に目を落とした視線、すごくいい。

[写真左] モーリス・ドニ 「マレーヌ姫のメヌエット」 1891年
[写真右] ピエール・ボナール 「格子柄のブラウス」 1892年

ナビ派の作品は親密な生活空間を描いた作品が多いからか、一緒に暮らす猫や犬が描かれた作品をちらほら見かけます。ボナールには「白い猫」という有名な作品がありますが(しかもオルセーに)、本展には「猫と女性」が出品されていました。こちらも白い猫。ボナールの飼い猫だったのでしょうか。

[写真左] ピエール・ボナール 「猫と女性」 1912年
[写真右] ピエール・ボナール 「ブルジョワ家庭の午後」 1900年


5 子ども時代

ヴュイヤールの「公園」は9つの作品から成り、オルセー美術館には5作品が収蔵されていて、今回はその5点とも展示されています。三菱一号館美術館の空間にとてもマッチしているというか、装飾画的な本来の姿が再現されていて素晴らしいです。オルセーでもこういう展示はできないとか。

[写真左から] エドゥアール・ヴュイヤール 「公園 戯れる少女たち」「公園 質問」
「公園 子守」「公園 会話」「公園 赤い日傘」 1894年

『ヴァロットン展』で話題になった「ボール」も展示されています。

[写真右] フェリックス・ヴァロットン 「ボール」 1899年


6 裏側の世界

英語の章題は“Parallel World”。ナビ派の内的志向は夢や詩の世界と結びつき、時に神秘主義的な作品も創り出したようです。ドニの「プシュケの物語」は装飾壁画のための習作。“プシュケ”というとバーン=ジョーンズを思い出しますが、ドニの“プシュケ”は装飾画らしいカラフルでロマンティックな神話の世界が広がります。

ここには彫刻作品も。“彫刻家のナビ”と呼ばれたというラコンブの作品の前ではナビ派とは何なのかと頭を抱えてしまいました(笑)。でも嫌いじゃないです、こういうの。ランソンの「水浴」もいい。ランソンというと国立西洋美術館にある「ジキタリス」のような色彩感のある装飾性の高い作品を思い浮かべますが、「水浴」はとても神秘主義的というか、オカルトに傾倒したというランソンらしさが出ている作品という感じがします。

[写真右から] モーリス・ドニ 「プシュケの物語 プシュケと出会うアモル」
「プシュケの物語 プシュケの誘拐」「プシュケの物語 プシュケの誘拐(第2バージョン)」
「プシュケの物語 プシュケの好奇心」「プシュケの物語 プシュケの罰」
「プシュケの物語 許しとプシュケの婚礼」 1907年

[写真左から] ジョルジュ・ラコンブ 「存在」 1894-96年
ジョルジュ・ラコンブ 「イシス」 1895年
ポール・ランソン 「水浴」 1906年頃

ポール・セリュジエの妻マルグリットの「谷間の風景 四曲屏風」は、これがナビ派か、というとビミョーな気もしますが、やまと絵屏風の世界観を再現した山や渓流、花木の構成が見事だし、すごく雰囲気があります。やまと絵の屏風ではまず見ないきのこが描かれているのがかわいい。

マルグリット・セリュジエ 「谷間の風景 四曲屛風」 1910年頃

今回の作品の中で一番のお気に入りはヴュイヤールの「ベッドにて」。ヴュイヤールは『ワシントンナショナルギャラリー展』で観た作品がとても良くて、それ以来大好きな画家。単純な線と中間色の淡いトーンでまとめたミニマルな構図と穏やかな寝顔から溢れるやすらぎ感がたまらなくいい。

エドゥアール・ヴュイヤール 「ベッドにて」 1891年

観終わった後に、オルセー美術館の外でナビ派の展覧会を開いたとして、果たしてここまでの作品が揃うだろうか、と思い、実はもう一度足を運びました。ナビ派を代表する作品が集まっているという充実度もさることながら、やはり三菱一号館美術館の空間で観ることで、より印象が深まるのではないかと思います。評判もいいようなので、口コミで広がり、だんだんと混み出すでしょうから、早めに観に行かれるのをお勧めします。


  
『オルセーのナビ派展』の図録は2種類。左側のヴュイヤールの「エッセル家旧蔵の昼食」が表紙の方は数量限定です。


※展示会場内の写真は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【オルセーのナビ派展: 美の預言者たち -ささやきとざわめき】
2017年5月21日(日)まで
三菱一号館美術館にて


かわいいナビ派かわいいナビ派


ヴュイヤール:ゆらめく装飾画 (「知の再発見」双書166)ヴュイヤール:ゆらめく装飾画 (「知の再発見」双書166)

2017/02/18

並河靖之七宝展

東京都庭園美術館で『並河靖之七宝展』を観てまいりました。

最近は明治時代の工芸品の展覧会も多く、並河靖之の七宝作品を観る機会も増えましたが、私自身あまり工芸に明るくないので、実際のところよく分かってなかったりします。それでも東京国立博物館の『皇室の名宝』で並河靖之の「四季花鳥図花瓶」を観て衝撃を受けて以来、明治以降の工芸家の中では一番注目していて、京都の並河靖之七宝記念館にも足を運びました。

本展は並河靖之の没後90年を記念する回顧展で、初期から晩年まで、ここまでの規模で作品が一堂に会するのは初めてだといいます。七宝作品だけでも出品数は90点を超え、そのほか貴重な下絵なども展示されていて、大変充実した展覧会になっていました。


並河靖之は工芸を生業とする家に生まれたわけでなく、もともとは武家の生まれで、宮家に仕えていたりした人で、一念発起して七宝制作を始めたのも20代後半になってからといわれています。最初は失敗も多かったようで、クオリティーの悪さから輸出業者に買い取ってもらえなかったというエピソードも紹介されていました。

並河靖之 「松に鶴図花瓶」
明治前期 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

並河靖之 「鳳凰草花図飾壷・草花図飾壷」
明治中期 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵

初期の作品は伝統的な京七宝や中国の泥七宝を参考にした作品が多く、光沢はなく、色調も少し濁っていたりします。とはいえ、これこれこうですと説明されればなるほどと思いますし、比較して見れば確かに後年の作品の水準には遠いと分かりますが、どれも緻密で繊細で美しく、いきなり完成形なのに驚きます。

「鳳凰草花図飾壷・草花図飾壷」は茶金石という並河が発明したという技法が使われていて、よく見ると褐色の地がキラキラしています。黒地の質にもこだわり、七宝の色彩を引き立たせる艶やかな漆黒の黒色透明釉薬を開発するなど、有線七宝の概念を覆す技を次々と考案。独自の美意識で日本の伝統美を表現するようになります。

並河靖之 「四季花鳥図花瓶」
明治32年 宮内庁三の丸尚三館蔵

そんな並河の転機となったのが、『皇室の名宝』にも出品されていた「四季花鳥図花瓶」で、パリ万博で金賞を受賞し、七宝家としての名を知らしめることになります。時に並河54歳。ここに辿り着くまでにどんな苦労を重ねてきたか。

並河靖之 「菊紋付蝶松唐草模様花瓶」
明治中期 泉涌寺蔵

並河の七宝は、植線と呼ばれる金属線で文様や絵柄の輪郭を作り、そこに釉薬を流し込むという有線七宝という技術で制作されていて、会場ではその制作工程がパネルで分かりやすく解説されています。第二会場では制作風景をビデオで紹介していたりするのですが、現代の工芸家でさえも並河の有線七宝は再現不可能の様子で、その仕上がり具合が並河作品と差があり過ぎて、並河の技術がどれだけ難易度が高く超絶で技巧的なのかが凄く実感できます。

並河靖之 「桜牡丹菊蝶文小花瓶」
明治後期 並河靖之七宝記念館蔵

円熟期の作品は技術だけでなく意匠的にも幅が広がり、クオリティの高さに舌を巻きます。その超細密な模様の美しさ、華麗な色彩にため息が漏れるばかり。超絶技巧という言葉で簡単に一括りにしてしまいたくない、究極の美と技術の高さに圧倒されます。単眼鏡で覗くとさらに驚くこと必至。制作工程のことが知ると、植線に肥瘦を付けるとか水墨画のようなボカシを入れるとか、最早神技なんだということがよく分かります。単眼鏡は会場でも貸出しているので、是非借りて観てみてください。

並河はいわばプロデューサーのような役割をしていて、七宝制作は多くの職人により分業で行われていたようです。会場には工房の様子を写した写真があったり、並河作品の図案を多く手掛けた中原哲泉の下画もあって、実際の作品を比べながら観ることもできます。

並河靖之 「菊御紋章藤文大花瓶」
明治時代~大正時代  並河靖之七宝記念館蔵

並河の七宝作品は輸出工芸品として制作されたこともあり、大部分は海外に渡っているわけですが、本展は国内外の博物館・美術館から重要な作品が集まり、大変見応えがあります。旧朝香宮邸の建物ともとてもマッチしていて、雰囲気も抜群です。


【並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑-透明な黒の感性】
2017年4月9日(日)まで
東京都庭園美術館にて


別冊太陽217 明治の細密工芸 (別冊太陽 日本のこころ 217)別冊太陽217 明治の細密工芸 (別冊太陽 日本のこころ 217)

2017/02/07

ティツィアーノとヴェネツィア派展

東京都美術館で開催中の『ティツィアーノとヴェネツィア派展』に行ってきました。

昨年国立新美術館で開催された『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』がすごく良かったので、今回の『ティツィアーノとヴェネツィア派展』も大変楽しみにしていました。

ただ、これはあくまでも個人的な感想ですが、去年の『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』ほどの感動は残念ながらありませんでした。メインのティツィアーノは大変素晴らしいのですが、ティツィアーノ以外は玉石混淆というか、同じヴェネツィア派の展覧会で何でこんなにクオリティが違うのかというのが正直なところ。

昨年は『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』のほかにも、『ボッティチェリ展』『カラヴァッジョ展』、また『クラーナハ展』など、ルネサンス期の優れた作品を沢山観たせいか、期待しすぎてしまったのかもしれません。


展覧会の構成は以下のとおりです:
Ⅰ 1460-1515 ヴェネツィア、もうひとつのルネサンス
Ⅱ 1515-1550 ティツィアーノの時代
Ⅲ 1550-1581 ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ - 巨匠たちの競合


ジョヴァンニ・ベッリーニ 「聖母子(フリッツォーニの聖母)」
1470年頃 コッレール美術館蔵

15世紀後半の作品はテンペラ画や板絵が中心。技術的にも未発達なところがあり、たとえば聖母を描いた作品も、顔の向きや構図など画一的なものが目立ちます。その中で目を惹くのがヴェネツィア派第一世代を代表するベッリーニ。イコン画のような前時代的な作品もまだ残る中、ベッリーニの精緻な描写、澄み渡った青空を背景にした明るく大胆な色彩は一歩先を行っている感じがします。

初期ヴェネツィア派では、マレスカルコの『田園の奏楽』も印象的。『田園の奏楽』というとティツィアーノの同題作(本展未出品)が有名ですが、マレスカルコの作品は楽器を奏でる3人の女神がティツィアーノというよりボッティチェリ的でもありました。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「フローラ」
1515年頃 ウフィツィ美術館蔵

約70点の出品作品中ティツィアーノは7点。何と言っても「フローラ」が抜群に美しい。美しさと品を兼ね備えた女神フローラの表情もさることながら、シルクのような肌の質感や柔らかな赤毛の表現力はさすが。色数を抑えながらも、広がりと深みを与えるように丁寧に描かれた色のトーンが実に清新で優美な印象を与えます。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ダナエ」
1544-46年頃 カポディモンテ美術館蔵

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「教皇パウルス3世の肖像」
1543年頃 カポディモンテ美術館蔵

ティツィアーノは「ダナエ」や「教皇パウルス3世の肖像」も素晴らしい。「ダナエ」は深い明暗がドラマティックさを演出。この絵を観たミケランジェロが「色彩も様式も気に入ったが、表現の修練が足りない」と語ったとか。素描を基礎とし、明確な線描で立体的な表現・空間構成を重視したフィレンツェ派のミケランジェロらしい言葉です。

一方のヴェネツィア派は明るく大胆な色彩と自由でのびやかな筆触に特徴があるとされます。 「教皇パウルス3世の肖像」は光と影の強いコントラストが教皇の威厳とどこか近寄りがたい雰囲気を浮き彫りにしています。マントや椅子のビロードの表現も見事。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「マグダラのマリア」
1567年頃 カポディモンテ美術館蔵

ティツィアーノの晩年の作品 「マグダラのマリア」は「フローラ」に比べて筆致の違いが明らか。表現にも放埓さを感じます。マグダラのマリアというとティツィアーノに学んだとされるエル・グレコもいくつか作品を残していて、エル・グレコの同題作も胸に手を当てたり、天を仰ぐポーズをしています。かつての宗教画でマグダラのマリアはイエスの足元に跪く構図が多かったといいますが、胸に手を当て悔悛する構図はいつ頃から生まれたのでしょうか。ティツィアーノの「マグダラのマリア」は大変な人気で、版画化もされたということですから、このあたりから広まったポーズなのかもしれませんね。

パルマ・イル・ヴェッキオ 「ユディト」
1525年頃 ウフィツィ美術館蔵

ティツィアーノと同時代の画家では、どうだ!と言わんばかりの逞しいユディトが強烈なパルマ・イル・ヴェッキオの「ユディト」や、劇的な構図で緊張感漂うセバスティアーノ・デル・ピオンボの「男の肖像」が抜きんでていたと思います。

ティツィアーノの次世代のヴェネツィア派画家を代表するティントレットとヴェロネーゼは別枠扱いで紹介。ティントレットは工房作と合わせて3作品、ヴェロネーゼは工房作と合わせて4作品。特にティントレットでは高い技術と表現力を駆使したティントレットの「レダと白鳥」、画面全体が輝くような明るさと柔らかで的確な表現が冴えるヴェロネーゼの「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」が印象に残りました。

ヤコボ・ティントレット 「レダと白鳥」
1551-55年頃 ウフィツィ美術館蔵

パオロ・ヴェロネーゼ 「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」
1565年頃 カポディモンテ美術館蔵

日本ではほとんど無名の版画家の作品がずらーっと並んでるコーナーもあって、これはこれでルネサンス期の宗教画題の銅版画として興味深いところもありましたが、ヴェネツィア派の絵画(版画ではなく)を観たくて来た展覧会なので、ちょっとがっかり感があります。本展は複数の美術館から作品を借り受けているようですが、企画力の差なのか、資金力の差なのか、実際のところは分かりませんが、ティツィアーノを除くと、それぞれの画家を代表する作品が来てるわけではなく、第一級の作品が並んでるわけでもありません。もちろんヴェネツィア派の優品を一堂に観ることができるのは有り難いことですし、ルネサンス期のイタリア絵画が好きな人には観て損はない展覧会だと思います。


【日伊国交樹立150周年記念 ティツィアーノとヴェネツィア派展】
2017年4月2日(日)まで
東京都美術館にて

ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論 (集英社新書)ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論 (集英社新書)

2017/02/04

春日大社 千年の至宝

東京国立博物館・平成館で開催中の『春日大社 千年の至宝』を観てまいりました。

昨年、20年に一度行われる“式年造替”があったばかりの春日大社。ちょうど去年の春、特別参拝に行ってきたのですが、宝物殿がまだ改修工事中で拝見できなかったので(昨年10月にリニューアルオープン)、今回の展覧会で春日大社の宝物を観られるのを楽しみにしていました。

とはいえ、春日大社ってどんな宝物を持っているのか。パッと思い浮かぶものといえば、春日鹿曼荼羅や絵巻で、あとはよく知らなかったのですが、そこはさすが“平安の正倉院”。平安時代に遡る古神宝や美術品、さらには神仏習合の仏像や芸能まで圧倒的な物量で紹介していて、思った以上に充実していました。ここまでいろんなものを網羅してるとは思いませんでした。


展覧会の構成は以下のとおりです:
第1章 神鹿の杜
第2章 平安の正倉院
第3章 春日信仰をめぐる美的世界
第4章 奉納された武具
第5章 神々に捧げる芸能
第6章 春日大社の式年造替

「鹿図屏風」(写真は左隻)
江戸時代・17世紀 春日大社蔵

春日大社といえば、やはり“神鹿(しんろく)”。平城京を鎮護するために建てられた春日大社に武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が鹿島神宮から鹿に乗ってやってきたとされることから、春日大社は鹿を神の使いとして大切に扱ってきました。そのため春日大社にまつわる美術品には、象徴としての鹿が描かれているものが大変多くあります。

会場に入ってすぐのところでまず目に飛び込んできたのが、六曲一双の大きな琳派風の金屏風。右隻は空間を広くとり鹿を描き、左隻には隙間なく鹿を描き、そのバランスが面白い。かなり剥落しているのが残念ですが、宗達派系の絵師によるものではないかとありました。恐らく誰かが宗達の工房かそれに連なる絵師に描かせ、春日大社に奉納したのでしょうか。

「鹿島立神影図」
南北朝~室町時代・14~15世紀 春日大社蔵

春日大社ゆかりの絵画というと、春日の神鹿を中心に描く鹿曼荼羅をよく見ます。「春日鹿曼荼羅」は鹿の背に榊が立ち、その先に円鏡があるというのが基本パターンで、円鏡がなく代わりに御蓋山(三笠山)が描かれているものもあったりします。後小松天皇が奉納したという「鹿島立神影図」は鹿の上に見えないはずの春日神が具象化された姿で描かれたもの。よく見ると、円鏡の中に本地仏が描かれているのも分かります。

「春日宮曼荼羅」 は春日大社まで日常的に参拝できない人が遠くからでも春日神を礼拝できるようにと作られたものだといいます。曼荼羅には鳥瞰的に捉えた春日大社の景観と御蓋山や春日山、そして春日神やその本地仏が描かれています。中には、神の姿とそれぞれ垂迹した本地仏の繋がりを図解で分かりやすく描いた「春日本迹曼荼羅」や、恐らく浄土思想と関係するものなのでしょうが、本地仏と浄土を描いた「春日浄土曼荼羅」という曼荼羅もありました。こういうのを見ると、神と仏が一体だった神仏習合の背景がよく分かります。

「春日宮曼荼羅」 (重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 陽明文庫蔵(展示は2/12まで)

そして本展の目玉の一つが春日神(春日権現)の霊験を描いた「春日権現験記絵」。作者は国宝「玄奘三蔵絵巻」で知られる鎌倉時代後期の絵師・高階隆兼とされ、全20巻からなる絹本の大変見事な作品です。江戸時代に春日大社から流出し、現在三の丸尚蔵館(宮内庁)に所蔵されているため国宝の指定は受けていませんが、鎌倉時代を代表する絵巻の傑作です。2009年の『皇室の名宝展』で一部の巻のみ公開されましたが、今回も残念ながら部分的な展示。傷みもあってか、なかなかその全貌を観ることは難しいのですが、本展では他の巻を模本で紹介しています。

模本もいくつかあって、江戸時代に制作されたものを中心に、渡辺始興や冷泉為恭などの手によるものが展示されています。絵巻を順番にまとめて並べるのでなく、内容に応じて関連の章に分散して見せるというスタイルが面白いですね。模本は2015年にトーハクの特集展示『春日権現験記絵模本Ⅱ -神々の姿-』でも拝見していますが、さすがに色は鮮やか。原本も経年褪色があるとはいっても深みある色彩やコントラスト、線描の確かさが見て取れます。建物の立体感や炎の描写など平安末期の「伴大納言絵巻」を彷彿とさせるところもあります。(平成館1階でも特集展示『春日権現験記絵模本Ⅲ-写しの諸相-』で「春日権現験記絵」の模本が公開されています)

「春日権現験記絵(紀州本) 巻六」
江戸時代・弘化2年(1845) 東京国立博物館蔵(展示は2/12まで)
※写真は2015年の常設展に出品された際に撮影したものです

もちろん神宝類も多い。神宝とは春日大社に奉納された品で、本宮に奉納されたものを“本宮御料”、若宮に奉納されたものを“若宮御料”というのだそうです。奉納神宝は式年造替のたびに社家などに撒下(てっか)する習わしとなっていて、春日大社には平安時代にさかのぼる数多くの古神宝が残っているといいます。剣や矢といった神様をお守りする武具から鏡や蒔絵箱まで、その多くが国宝や重要文化財。雀を捕まえようとする猫が描かれた「金地螺鈿毛抜形太刀」や、『水-神秘のかたち』でも紹介されていた「春日龍珠箱」など見ものも多い。驚くのはどれも非常に状態が良いことで、また奉納品なだけに精巧で美しく、まさに“平安の正倉院”という趣きです。

ほかにも春日神と繋がりの深い仏像や神像、春日信仰にまつわる品々など興味深いものがたくさんありました。ちょうど観に行ったのが呉座勇一氏の新書『応仁の乱』を読んでいたときで、『応仁の乱』に主要人物として登場する経覚の書もあり、感慨深いものがありました。

ここ数年のトーハクの特別展は展覧会のアミューズメントパーク化がますます強くなってきていますが、それが良いか悪いかは別として、展示品の見せ方をすごく考えていて知的好奇心をくすぐることが多いのは確か。一般公開されてない本殿の建物(第二殿)を原寸大で再現したり、春日若宮おん祭の遷幸の儀の様子を映像で紹介したり、ここまでやれるのはやはりトーハクだけ。ただボリューミーなので観るのに時間と体力が入ります。閉館時間があったので2時間ぐらいで切り上げましたが、時間があれば、もっとゆっくり観たかった。時間に余裕をもって臨まれるのがいいと思います。


【春日大社 千年の至宝】
2017年3月12日(日)まで
東京国立博物館・平成館にて

芸術新潮 2017年 02 月号 [雑誌]
芸術新潮 2017年 02 月号 [雑誌]


春日大社 千古の杜
春日大社 千古の杜