2018/04/22

ヌード展

横浜美術館で開催中の『ヌード展』に行ってきました。

2年にわたり世界を巡回し話題になった英国テート所蔵作品による『ヌード展』がようやく日本に上陸。古典文学や神話、聖書を題材にした裸体表現に始まり、ラファエル前派や印象派、ロダンやムーアの彫刻、さらには同性愛や人種問題、フェミニズムの視点に立ったヌード作品など、ソフトなものからハードなものまで実に多様でした。

イギリスの美術館だけあり、プロテスタントで性的な表現に厳しかったイギリスの歴史的背景から話が始まり、そこから入るのかい!とも思いましたが、特にイギリスの画家・アーティストの作品に偏ることなく、バラエティに富んでいました。ちょっと間違えば無難な展示、分かりやすい展示で構成されそうなところを、鑑賞者におもねることなくヌード芸術に正面から向き合うという真面目な観点が素晴らしいと思うし、日本の美術館ではここまでの突っ込みはできないではないかという、さすが性表現の受容が進んだ西欧らしくとても興味深い内容になっています。(東京国立近代美術館や横浜美術館など国内の美術館の所蔵作品も一部展示されています)


展覧会の構成は以下のとおりです:
1 物語とヌード
2 親密な眼差し
3 モダン・ヌード
4 エロティック・ヌード
5 レアリスムとシュルレアリスム
6 肉体を捉える筆触
7 身体の政治性
8 儚き身体

フレデリック・レイトン 「プシュケの水浴」
1890年発表 テート所蔵

宗教画や歴史画であっても裸体表現がなかなか受け入れられなかったイギリスでようやくヌードが描かれるようになったのが19世紀。ラファエル前派に代表される理想化されたヌードが芸術として認められるようになったのはアカデミズム偏重主義への反発といったイギリス的な時代背景もあるのでしょうか。ルネサンスやゴシック期の裸体表現に比べると、たとえばレイトンの「プシュケの水浴」やアルマ=タデマの「お気に入りの習慣」、ドレイパーの「イカロス哀悼」のリアルな肌の質感や過度な美の追求、肉体美の表現、欲望の視線は余程扇情的な気もします。

ハーバート・ドレイパー 「イカロス哀悼」
1898年発表 テート所蔵

レイトンの理想化されたヌードの絵画に対抗したのがソーニクロフトの理想化されたヌードの彫刻。「イカロス」はまるでギリシャ彫刻のような美しい身体性と筋肉のリアルな表現性が素晴らしい。股間を葉で隠しているのは自主規制?

ピエール・ボナール 「浴室」
1925年 テート所蔵

ただ単に時代の流れとともにヌードの表現がどう変わっていったのか、ということを見せるだけでなく、同じヌードというテーマでさまざまな美術運動やそれぞれに特色ある表現方法を観て行くことができて、これが予想以上に面白い。

ドガやルノワール、マティスにボナール。テートの優れたコレクションとはいえ、作風はそれぞれに見慣れたものですが、ヌードが宗教や神話から抜け出し、現実の、親密な距離に置かれたという点では当時は相当挑戦的な表現だったのでしょうし、ここにマネがあればと思ったりもしました。

ピカソ晩年の「首飾りをした裸婦」は相変わらずのインパクト。ジョルジュ・デ・キリコの初期作品やバルテュスも良かった。ハンス・ベルメール、マン・レイもユニーク。スタンリー・スペンサーの「ふたりのヌードの肖像」も生々しい。

オーギュスト・ロダン 「接吻」
1901-04年 テート所蔵

そして、なんといってもロダンの「接吻」の肉体表現の素晴らしさ。大理石の白さが筋肉の繊細な動きを際立たせ、うっとりするほど美しい。360°観ることができるのですが、観る方向によって景色が変わり、物語が違って見えてくる気がします。これだけ写真撮影可。



ヌード展なんだし、多少エロティックな作品があっても驚きはしませんが、別の意味で驚いたのがターナーのヌードスケッチ。ターナーの名誉のためにとターナーの死後に処分されたらしいのですが、処分漏れがあったのか近年発見されたのだそうです。ターナーというとイギリスを代表する国民的画家。風景画家として知られますが、裸婦のスケッチや中には性行為中の男女のスケッチなんかもあって、ちょっと衝撃的です。

デイヴィッド・ホックニー 「23, 4歳のふたりの男子」
(『C.P.カヴァフィスの14編の詩』のための挿絵より)
1966年 テート所蔵

大好きなホックニーのヌードスケッチが観られたのも嬉しい。ルシアン・フロイドの「布切れの側に佇む」には圧倒されました。これが観られただけでも来た甲斐があるというもの。ベーコンの「ミュリエル・ベルチャーの肖像」と「横たわる人物」は日本の美術館からの特別出品。やはりこうして観るとベーコンの存在感は強烈。テートからはベーコンのスケッチが来てますが、テート所蔵の油彩画はヌードではないんですね。

フランシス・ベーコン 「スフインクス-ミュリエル・ベルチャーの肖像」
1979年 東京国立近代美術館蔵

ルシアン・フロイド 「布切れの側に佇む」
1988-89年 テート所蔵

人種や性の多様性、フェミニズム的視点、そうした観点がヌード表現とリンクしてきたのはここ数十年のことかと思っていたのですが、実は70年代にはすでに政治的主張の場として裸体表現がクローズアップされていたのだそうです。伝統的なヌード表現や既存の女性像に対する反抗。古典的なオダリスクの構図を借りた黒人男性の裸体、筋骨隆々な女性ボディビルダー、出産直後の母親と赤ん坊、何か性暴力を思わせるようなシンディ・シャーマンの“ピンク・ローブ”…。ヌードという固定観念を破ろうとする流れとともに新しいヌード表現への挑戦が見て取れます。

下村観山 「ナイト・エラント(ミレイの模写)」
明治37年(1904) 横浜美術館蔵

横浜美術館の所蔵品コーナーも関連作品を展示。『ヌード展』に展示されているミレイ作品を模写した観山や小倉遊亀といった近代日本画家から諏訪敦、松井冬子といった現代アーティストまで。こちらも忘れずに。

諏訪敦 「Stereotype Japanese 08 Design」
2008年 横浜美術館寄託

松井冬子 「成灰の裂目」
2006年 横浜美術館蔵

小倉遊亀 「良夜」
昭和32年(1957) 横浜美術館蔵


【ヌード展-英国テート・コレクションより】
2018年6月24日(日)まで
横浜美術館にて


官能美術史: ヌードが語る名画の謎 (ちくま学芸文庫)官能美術史: ヌードが語る名画の謎 (ちくま学芸文庫)

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